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若井滉斗さんの実家について、どんな家庭で育ったのか気になっている方は多いはずです。
Mrs. GREEN APPLEのギター担当として知られる若井さんは、東京都西東京市(旧田無市)出身で、元消防士の父親・友司さんを持つ家庭で育ちました。
幼少期から銀髪・金髪に染めていたことで「実家は美容室なのでは?」という噂が広まりましたが、これはガセであることが確認されています。
お兄さんのエレキギターとの出会いが音楽人生の原点であり、大森元貴さんとの友情や地元での幼少期エピソードが数多く残っています。
この記事では、若井滉斗さんの実家がある西東京市の地域特性、父親・友司さんと母親・きょうこさんの人物像、兄の存在、幼少期の豊富なエピソードまで詳しく解説します。
記事のポイント
①:実家は東京都西東京市(旧田無市)で大森元貴さんと同じ地元
②:父親・友司さんは元消防士でブルースリー大好きな豪快な人物
③:兄のエレキギターを触ったことがギタリスト誕生の原点
④:幼少期は空手黒帯・地区大会優勝の経験を持つ
若井滉斗の実家がある西東京市と家族の全貌
- 実家がある西東京市の地域概要と生活環境
- 父親・友司のプロフィールと消防士人生
- 母親・きょうこのサッカーへの影響
- 兄の存在とギターとの運命的な出会い
- 実家の家族構成と愛猫もずく・むすびのエピソード
- 実家が美容室という噂の真相と幼少期の金髪
実家がある西東京市の地域概要と生活環境
若井滉斗さんが育った東京都西東京市は、2001年に田無市と保谷市が合併して誕生した市です。
中央線の武蔵境駅や西武新宿線の田無駅を中心とする住宅都市であり、落ち着いた住宅環境と充実した子育て支援が特徴の街です。
西東京市(旧田無市)の地域特性
若井滉斗さんが育った地域は、現在の西東京市内、かつての田無市エリアです。
西東京市は東京23区に隣接する多摩地域に位置し、人口約20万人を抱える住宅都市として知られています。
ベッドタウンとしての性格が強く、閑静な住宅街と商店街が混在するのどかな雰囲気が特徴です。
若井さんと大森元貴さんが同じ中学に通ったことで知られるこのエリアは、今やMrs. GREEN APPLEファンの「聖地」的な場所として語られることもあります。
西東京市のアクセスと地域環境
西東京市へのアクセスは、JR中央線・武蔵境駅や、西武新宿線・田無駅・東伏見駅などが利用できます。
新宿まで約25〜30分という利便性の良さから、都心に通勤・通学する家庭が多い地域です。
公示地価は都心と比べると手が届きやすく、子育て世帯が安心して生活できる環境が整っています。
小中学校の学区も充実しており、のびのびと子どもが育てる地域性が、若井さんのような活発な少年を育てる土台になったと考えられます。
西東京市ではPTAや地域のスポーツクラブが盛んで、サッカー少年団や武道教室も数多く存在します。
若井さんが小学1年から空手を習い、サッカーにも打ち込めた背景には、こうした習い事の受け皿が豊富な地域環境があったといえます。
また西東京市は「住みやすい街ランキング」でたびたび上位に入る地域で、緑も多く、子ども連れで散歩できる公園も充実しています。
こうした豊かな自然環境の中で体を思い切り動かしながら育った若井さんが、空手・サッカー・ギターと多彩な趣味を持つ多才な人物へと成長したのも、地域の環境と無縁ではないでしょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 所在地 | 東京都西東京市(旧田無市エリア) |
| 主要駅 | 西武新宿線・田無駅、JR中央線・武蔵境駅 |
| 新宿までの所要時間 | 約25〜30分 |
| 人口 | 約20万人 |
| 地域の特徴 | 閑静な住宅都市・多摩地域のベッドタウン |
大森元貴さんとの地元の縁
若井滉斗さんが育った西東京市は、Mrs. GREEN APPLEのボーカル・大森元貴さんの出身地でもあります。
2人は同じ市内の小学校・中学校エリアで育っており、中学1年生で同じクラスになったことがMrs. GREEN APPLEの原点とも言える縁です。
西東京市という一つの街が、日本の音楽シーンを代表するバンドを生み出したわけですから、この街の底力を感じますよね。
父親・友司のプロフィールと消防士人生
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若井滉斗さんの父親は、友司(ゆうじ)さんといいます。
元消防士という職業を持ち、豪快で笑い方に特徴がある人物として知られています。
元消防士という職業と家庭への影響
若井滉斗さんの父親・友司さんが元消防士であることは、自身がラジオ番組「SCHOOL of ROCK」の中で語っています。
「僕のお父さんも消防士で、元々」という発言から、父親が消防士だったことが明らかになっています。
消防士という職業は、強靭な体力と精神力、そして仲間との協力が求められる職業です。
この父親の背中を見て育った若井さんが「強い男になりたい」という思いを持っていたことは、非常に自然なことといえます。
消防士は「体を張って人命を救う」という使命感の強い職業であり、友司さんのその姿勢が若井さんの「強さへの憧れ」という幼少期のテーマを作り上げたと見てよいでしょう。
現役時代に鍛えた体力や根性が、家庭でも子どもたちと思いっきり遊ぶ「豪快なお父さん」像につながっていたのだと思います。
消防士として地域の安全を守ってきた友司さんの誠実さや責任感は、若井さんが「バンドメンバーを大切にする」「ファンに誠実に向き合う」という姿勢にも影響を与えているのではないでしょうか。
職業柄、家を空けることも多かったと思われますが、帰宅した際には全力で子どもたちと向き合う父親像が、若井さんのエピソードの端々から浮かびあがります。
ブルースリー好きの豪快な父
友司さんはブルースリーの大ファンで、自宅にブルースリーのDVDが揃っていたとのことです。
幼い若井さんは父親と一緒にブルースリーの映画を観るうちに「俺はブルースリーだ」と思い込み、学校にカンフー着を着ていったというエピソードが残っています(笑)。
仮面ライダーのショーに行く際にもカンフー着で出かけていたというのですから、父親の影響の大きさが伝わりますよね。
この影響で小学1年生から空手を習い始め、後に黒帯を取得するまでに成長します。
沖縄旅行でのカンフー事件
友司さんにまつわるエピソードで特に印象的なのが、小学3年生の夏の沖縄旅行中に起きた出来事です。
ホテルのプールで父親と水中カンフーをして遊んでいた若井さん。
父親が水面から上がって覆いかぶさってきた瞬間、若井さんは反射的に父親のあばら骨をキック。なんとあばら骨が折れてしまったというのです!!
空手の稽古が本当に身についていたことを証明するエピソードですが、父親にとっては笑えない思い出だったかもしれませんね。
この家族のやりとりからも、父親・友司さんが子どもと本気で遊ぶ豪快な人物だったことが伝わります。
母親・きょうこのサッカーへの影響
若井滉斗さんの母親は、きょうこさん(11月7日生まれのさそり座)といいます。
サッカー選手・中田英寿さんの大ファンで、若井さんのサッカー人生に直接影響を与えた人物です。
中田英寿ファンのきょうこさん
若井さんの母親・きょうこさんは、元サッカー日本代表の中田英寿さんを熱狂的に応援しており、ユニフォームを集めるほどの大ファンでした。
幼い若井さんは母親と一緒にテレビで中田英寿さんのプレーを観るうちに「お母さんを喜ばせたい!中田英寿さんになりたい!」と決意したのです。
この動機から11月7日の母親の誕生日に「俺、サッカーを始める!」と宣言したというエピソードは、若井さんの優しい性格と母親への愛情を象徴しています。
中田英寿さんはイタリア・セリエAのペルージャやローマで活躍した日本代表の10番として、2000年代初頭に絶大な人気を誇っていた選手です。
きょうこさんが中田英寿さんのユニフォームを複数枚コレクションするほどのファンだったという事実が、若井さんをサッカーへと向かわせた直接のきっかけになっています。
きょうこさんの育て方
きょうこさんは子育てにおいても個性的なエピソードを持っています。
若井さんが生まれた際、「頭が大きくて重かった」と語っていたほか、幼少期の写真を「和栗のオイル漬け」と表現したというユーモアあふれるエピソードも残っています。
また、若井さんが冬でも半袖半ズボンで学校に通おうとするのに「そんな恰好では風邪をひく」と怒り、パーカーを着せて送り出すものの、若井さんが途中で脱いで登校していたというエピソードも微笑ましいですね。
「強い男になりたい」と思っていた若井少年と、心配しながらも子どもの意志を尊重するきょうこさんの関係が伝わります。
母親の誕生日と若井家の絆
きょうこさんの誕生日が11月7日で、若井滉斗さんの誕生日が10月8日と近いこともあり、秋生まれの親子として家族の絆を感じさせます。
お母さん大好きな若井さんが、お母さんを喜ばせたいという一心でサッカーを始めたという事実は、今の若井さんが持つ純粋さと優しさの原点でもあるでしょう。
きょうこさんの影響は、若井さんが音楽活動を続ける中でも心の支えとなっています。
| 家族 | 名前 | 特徴 |
|---|---|---|
| 父親 | 友司(ゆうじ)さん | 元消防士・ブルースリー大ファン・笑い方に癖あり |
| 母親 | きょうこさん(11月7日生まれ) | 中田英寿の大ファン・サッカーユニフォームを集める |
| 兄 | 名前非公開 | エレキギター所持・若井のギター入門に直結 |
兄の存在とギターとの運命的な出会い
若井滉斗さんがギタリストとなる原点は、お兄さんのエレキギターとの出会いでした。
この偶然の出来事なしには、今のMrs. GREEN APPLEも存在しなかったかもしれません。
中学2年の夏・兄のギターとの出会い
若井滉斗さんがギターを始めたきっかけは、中学2年生の夏休みに暇な時間ができ、お兄さんのエレキギターを触らせてもらったことです。
「これ弾けたらかっこいいだろうな」という純粋な気持ちからギターを手にした若井さん。
当時通っていた中学校には軽音部がなかったため、独学でギターを練習し始めました。
その独学から始まったギターの腕前が、現在では「ギターモンスター」と称されるほどのレベルに達しているのですから、才能と努力の組み合わせの凄さを感じます。
部活もなく、ネットや教則本を頼りに独学でギターを習得したという事実は、若井さんの自主性と学習能力の高さを示しています。
学校の軽音部という仕組みがなくても「やりたいことはとことんやる」という姿勢は、空手でも黒帯を取り、サッカーを8年続けてきた若井さんのキャラクターそのものです。
誰に教わるでもなく一から楽器を習得し、わずか数年でプロとして活動するレベルに達するのは、才能と努力の賜物であることは間違いありません。
お兄さんの存在と若井家での音楽環境
若井家にエレキギターがあったということは、お兄さんがすでに音楽に興味を持っていたということです。
お兄さんがギターを始めていなければ、若井滉斗さんがギターに触れる機会もなく、Mrs. GREEN APPLEも違う形になっていたかもしれません。
「兄のエレキギターを触った」という一つの偶然が、日本の音楽シーンを変えたとも言えます。
お兄さん自身の音楽活動の詳細については公開されていませんが、弟に音楽の扉を開いた存在として、その影響は計り知れません。
ギター入門から「ギターモンスター」へ
中学2年の夏に独学でギターを始めた若井さんは、猛練習を重ねてメキメキと上達しました。
その後のMrs. GREEN APPLEでの活動では、MCを務める番組でゲストのダンスを短期間で覚えて披露するなど、コツコツと努力を積み重ねる姿勢は音楽以外の分野でも発揮されています。
Mrs. GREEN APPLEメンバーも若井さんのことを「コツコツ努力できる人」と認めており、その姿勢はギターデビュー当時から変わっていないのでしょう。
兄の背中を見て育った経験が、若井さんの音楽への情熱を今も支えています。
実家の家族構成と愛猫もずく・むすびのエピソード
若井滉斗さんの実家には、家族のほかに愛猫も暮らしています。
猫好きの若井さんが幼少期から親しんできたペットのエピソードは、ファンの間でも人気のトピックです。
若井家の家族構成
若井滉斗さんの家族構成は、父親・友司さん、母親・きょうこさん、お兄さん、若井さん本人の4人家族と思われます。
Mrs. GREEN APPLEの末っ子メンバーとして知られる若井さんですが、家族の中でも末っ子であることが、その愛されキャラや天真爛漫な性格に影響しているのかもしれません。
父親の友司さんは笑い方に特徴があるユニークな人物で、夫婦喧嘩できょうこさんが友司さんのTシャツを真っ二つに破いたというエピソードも残っているほど、家族全体が賑やかで活気にあふれていたようです。
「家族全員が感情豊かで、明るく笑いの絶えない家庭だった」というイメージが、若井さんのトーク番組でのエピソードの数々から浮かび上がってきます。
こうした賑やかで個性の強い家族環境が、若井さんの人なつこさや表現力の豊かさを育てた素地になっているのでしょう。
末っ子として愛情たっぷりに育てられながらも、父親のブルースリー熱や母親のサッカー熱に囲まれ、自分もなにかに熱中する姿が「当たり前」の家族だったといえます。
そんな環境で育ったからこそ、若井さんは音楽への情熱を周囲に堂々と表現でき、バンドへの誘いという大きな決断をできたのではないかと感じます。
愛猫もずくとむすびの素顔
若井家の実家には、マンチカン種の猫「もずく」と、白黒の猫「むすび」が暮らしていることが知られています。
もずくはマンチカンというずんぐりした体型が特徴の猫種で、その愛くるしい見た目はファンの間でも話題になっています。
猫の名前を「もずく」「むすび」という食べ物系で統一しているあたりに、若井家のユニークなセンスが感じられますよね。
幼少期の「ひろぱ」のニックネームの由来
若井滉斗さんの愛称「ひろぱ」は、おばあちゃんが「ひろぴゃ」と親しみを込めて呼んでいたことに由来します。
デビュー当時から「ひろぱです!」と自己紹介していたほど本人も気に入っているこのニックネームは、おばあちゃんとの温かいつながりを今も感じさせます。
おばあちゃん子だったエピソードも多く、4歳の時に1つ上の女の子に初恋をしたのもおばあちゃん同士が仲良かったことがきっかけだったとのことです。
家族の絆と愛猫たちの存在が、若井さんの音楽活動を温かく支え続けています。
実家が美容室という噂の真相と幼少期の金髪
若井滉斗さんの実家について最もよく語られる噂の一つが、「実家は美容室ではないか」というものです。
この噂はガセであることが確認されていますが、噂が生まれた背景には興味深い幼少期のエピソードがあります。
実家が美容室という噂の真相
結論から言うと、若井滉斗さんの実家が美容室という情報は確認されていません。
父親が元消防士であることはラジオで明かされており、実家が美容室という説とは矛盾します。
この噂が生まれた理由は、若井さんが幼少期から頻繁にヘアカラーをしていたことにあります。
幼少期の写真として知られているように、保育園〜小学校時代に銀髪・金髪に染めており、「実家が美容室でないと、こんな幼い頃から髪を染めさせてもらえないのでは?」という連想が噂の元となったと考えられます。
実際には戦隊ヒーローへの憧れから本人が染めたいと言い出し、親が許可したというシンプルな経緯で、美容室とは無関係です。
「幼稚園児が金髪」というインパクトの強さから、ネット上に噂が広がったのでしょうが、実家は一般的な家庭であることが複数の情報源から確認できます。
今後も「美容室出身」という噂が検索に出てくる可能性はありますが、ラジオ発言や各種インタビューを総合すると、そのような事実はないと断言できます。
噂が出回っている場合でも、公式に近い情報源を優先して判断することが大切ですね。
金髪・銀髪の本当の理由
若井滉斗さんが幼少期に髪を染めていた本当の理由は、戦隊ヒーローへの憧れにありました。
当時、戦隊ヒーローやブルースリーに憧れていた若井さんが「染めたい!」と自ら言い出したことで、髪を染めることになったのです。
父親のブルースリー熱が影響してカンフー着を着ていた若井さんらしいエピソードです。
小学校に上がる際には黒髪に戻したものの、今度は母親の推しである中田英寿さんのヘアスタイル(中田ヘア)を真似るというこだわりを見せました(笑)。
ヘアへのこだわりはミセスデビュー後も
幼少期から髪の色や形に強いこだわりを持ってきた若井さん。
その傾向はMrs. GREEN APPLEでの活動においても変わらず、様々なヘアスタイルやカラーでステージに立ち続けています。
「実家が美容室」という噂はガセですが、美的センスへの強いこだわりは幼少期から一貫していたことがわかります。
若井滉斗の実家と幼少期|大森元貴との出会い
- 幼少期のエピソードと空手黒帯への道
- サッカーから音楽へ:中学時代の転換点
- 中学1年で大森元貴と出会った運命の日
- 毎朝逆方向を歩いた友情の深さ
- 西東京市の生い立ちと出身地の有名人
幼少期のエピソードと空手黒帯への道
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若井滉斗さんの幼少期は、エネルギーにあふれたエピソードの連続です。
保育園時代からの個性的なエピソードと、空手への打ち込みぶりは、現在の若井さんの芯の強さと関係しているように感じます。
保育園〜小学校時代のエピソード
若井滉斗さんは1996年10月8日生まれで、現在29歳です。
保育園時代から「強い男になりたい」という気持ちが強く、戦隊ヒーローとブルースリーに憧れ、銀髪・金髪に染めるという個性的な少年でした。
「ずっとニコニコしている子だったから、小学校の先生から『君は太陽くんだね』って言われた」というエピソードが残っており、学校でも浮くほどの陽気さを持つ子どもだったことがわかります。
保育園時代からサッカー女子日本代表・清家貴子選手(パリオリンピック出場)と幼馴染であり、地元・西東京市の豊かな人材環境が伝わります。
同じ保育園の同級生がのちにオリンピック選手になるという環境は、西東京市がいかに優れたアスリートや表現者を育ててきたかを示すエピソードといえます。
戦隊ヒーローに憧れて金髪・銀髪に染め、仮面ライダーのショーにカンフー着で出かけた若井少年のエピソードは、読む者の想像力を豊かに刺激します。
「周りと違うこと」を恐れず、自分が好きなものを全力で追いかける姿勢は、幼少期からすでに現在の若井さんのステージ上の姿と重なります。
空手への打ち込みと黒帯取得
父親のブルースリー熱に影響を受けた若井さんは、小学1年生から空手を始めます。
ただし空手を始めたのは、単に格闘技への憧れからだけではありません。
幼い頃から「強い男になりたい」と願っていた若井さんが、父親のDVDコレクションを見て「俺もこうなりたい」と思ったことが直接のきっかけです。
空手は小学6年生まで続け、見事に黒帯を取得し、地区大会でも優勝を果たすほどの実力を持ちました。
地元では「空手で有名な子」として知られており、後に仲良くなる大森元貴さんも、別の小学校にいながら若井さんの名前は認識していたとのことです。
骨折エピソードと意志の強さ
空手の稽古中、休憩時間に友達とふざけて右手を骨折し手術するという経験もしています。
また小学4年生のときはサッカーでも骨折するなど、アクティブ過ぎる幼少期を送っていた若井さん。
冬でも半袖半ズボンで登校し、母親にパーカーを着させられても途中で脱いでしまう意志の強さ(頑固さ?)は、今の若井さんの自分のスタイルを貫く姿勢に通じているかもしれません。
サッカーから音楽へ:中学時代の転換点
若井滉斗さんの中学時代は、空手とサッカーに打ち込む「スポーツ少年」から「音楽に魅かれる少年」へと変貌を遂げた転換期でした。
この変化の背景には、母親への思いと大森元貴さんとの出会いがありました。
母親への思いからサッカーを始める
母親・きょうこさんが中田英寿選手の大ファンだったことから、若井さんは小学2年生から中学3年生まで約8年間、サッカーを続けました。
「お母さんを喜ばせたい」という純粋な動機から始まったサッカーでしたが、ポジションはフォワード。
当時は体力があまりなかったため「点取りに行け!」という監督の指示でフォワードになったとのことで、正直なエピソードが笑えます。
当時はプロサッカー選手を目指していた若井さんでしたが、中学2年の夏に人生が大きく動きます。
小学2年生から中学3年生まで約8年間もサッカーを続けたというのは、並大抵の継続力ではありません。
母親を喜ばせたいという気持ちが原動力だったとしても、それだけの年月打ち込めたのは、若井さん自身がサッカーを本当に好きになっていたからでしょう。
小学4年生でサッカー中に骨折するほど本気で取り組んでいた若井さん。
そのスポーツへの真剣さが、後に音楽へ向かった際にも同じ熱量で発揮され、短期間での急成長につながったのだと思います。
中2の夏・ギターとの出会いが一切を変えた
中学2年生の夏休み、暇な時間ができた若井さんはお兄さんのエレキギターを触ります。
「これ弾けたらかっこいいだろうな」という直感から始まったギターの練習が、サッカーへの熱意を超えていきます。
同時期に、大森元貴さんがYouTubeに投稿していた楽曲を発見し「めちゃくちゃいい曲だな」と感動。
大森さんの音楽に夢中になり、「一緒に音楽をやりたい」という強い気持ちが、その後の行動を突き動かすことになります。
スポーツ少年から音楽少年へ
サッカー部に所属しながら、密かにギターを練習し、大森元貴さんに何度も話しかけようとしていた若井さん。
しかし大森さんは当初、まったく相手にしてくれなかったとのことです。
「僕の世界の中には居ない人だった。全く違う星に住んでるやつからいきなり誘われて」と大森さんは後に語っており、当時の若井さんのウザ絡みぶりが想像できますね(笑)。
それでも諦めず近づき続けた若井さんの粘り強さが、最終的に2人の運命的な音楽の出会いにつながりました。
この転換期の経験が、若井さんのアーティストとしての核を形成しました。
中学1年で大森元貴と出会った運命の日
若井滉斗さんと大森元貴さんが出会ったのは、中学1年生のときです。
2人の出会いと関係性の発展は、今も語り継がれる友情のエピソードです。
同じクラスで始まった縁
若井さんと大森さんは中学1年生で同じクラスになったことがきっかけで出会いました。
席は若井さんが前で大森さんが後ろ。
ところが当時の若井さんはサッカー部に入部してサッカー一筋だったため、音楽的なつながりは特になし。
後ろの席の大森さんが鉛筆で若井さんの背中を突いてちょっかいをかけてくるので「なんだこいつ…」と思っていたとのことです(笑)。
この最初の「なんだこいつ」という印象が、後に「音楽をやりたい」という尊敬へと変わっていくのですから、人の縁とは面白いものですよね。
当時の若井さんはサッカーに夢中で音楽には全く興味がなかったため、大森さんが音楽の才能を持つ人物だとはまだ知らない段階でした。
大森元貴との距離が縮まったきっかけ
中学2年でギターを始め、大森さんの音楽に感動した若井さんは、積極的に大森さんに話しかけるように。
しかし大森さんには「サッカー部の人気者」というイメージしかなく、なかなか音楽の話ができませんでした。
転機となったのは中学3年の修学旅行。
同じ班になり、就寝時間に音楽の話をしているうちに「じゃあ一緒にスタジオ入ってみようか」となったことで、2人の距離が一気に縮まります。
これがMrs. GREEN APPLEの前身バンドへとつながるわけですから、この修学旅行の夜は運命の夜だったといえます。
音楽という共通言語が2人を繋いだ
若井さんと大森さんの関係が深まった最大の要因は、音楽という共通の情熱を持っていたことです。
若井さんは独学でギターを習得し、大森さんはYouTubeで楽曲を発表するなど、2人ともすでに音楽への強い思いを抱えていました。
互いの音楽への熱量を確認した修学旅行の夜から、2人の関係は「同じクラスの知り合い」から「音楽を一緒にやる仲間」へと一気に変わります。
大森さんが後の取材で「同じ星に住んでるとは思っていなかった」と語ったほど異なる世界観の2人が、音楽という接点で引き合ったのは奇跡のような出来事です。
若井さんが何度断られても大森さんに話しかけ続けた執念と、修学旅行での偶然の長話が重なり、Mrs. GREEN APPLEの歴史が始まりました。
この中学時代の出会いがなければ、日本の音楽シーンはまったく異なるものになっていたかもしれないと思うと、その偶然の積み重ねには感慨を覚えます。
毎朝逆方向を歩いた友情の深さ
若井滉斗さんと大森元貴さんの友情を語るうえで欠かせないエピソードがあります。
大森さんが不登校になっていた時期に、若井さんが毎朝逆方向に歩いて迎えに行っていたという話です。
不登校だった大森元貴を毎朝迎えに
中学時代、大森元貴さんは音楽に夢中になるあまり不登校の状態になっていました。
学校には来ないものの、動画サイトに楽曲を投稿するなど音楽活動は続けていた大森さん。
その状況を知った若井さんは、通学路が真逆にあたる大森さんの自宅まで毎朝迎えに行くことを決めます。
「今日来る?」とチャイムを押し、「行かない」と断られ続けながら、それでも毎朝足を運び続けた若井さん。
『しゃべくり7』でも語られたこのエピソードは、若井さんの優しさと諦めない精神力を象徴しています。
同じスーパーでのアルバイトエピソード
2人の仲の良さを物語るエピソードはまだあります。
高校時代、若井さんと大森さんの初アルバイトは同じスーパーだったとのことです。
ラジオ「SCHOOL of LOCK」では以下のような会話が紹介されています。
大森さん「若井さん、我々は初バイト一緒にやりましたね?」
若井さん「やりましたね!一緒のスーパーで。」
若井さんが精肉コーナーで働いていたところ、大森さんが後ろから歩み寄り、突然声をかけてくるやりとりを繰り返していたというのも笑えるエピソードです。
この2人の関係性の深さが、Mrs. GREEN APPLEの音楽の根底に流れる温かさにもつながっているのかもしれません。
友情がバンド結成へとつながった軌跡
若井さんが大森さんのために通学路を逆方向に歩き続けたこの友情は、単なるエピソードにとどまらず、バンド結成への実質的な礎となりました。
大森さんが不登校になっていた時期、学校に来られなければ音楽仲間として一緒に活動する機会も生まれないわけです。
「今日来る?」と毎朝チャイムを押し続けた若井さんの行動は、大森さんが音楽の世界へ戻る扉を開け続けることでもありました。
こうした若井さんの諦めない姿勢と思いやりが積み重なって、2人は高校進学後にバンドを本格始動させ、Mrs. GREEN APPLEの前身グループを結成します。
若井滉斗さんの「人を大切にする」性格は、この中学時代の行動にすでに色濃く現れていたといえるでしょう。
今のMrs. GREEN APPLEのライブで見せる若井さんと大森さんの息の合ったパフォーマンスの背景には、こうした地元での深い友情の歴史があることを、ファンなら知っておきたいですね。
西東京市の生い立ちと出身地の有名人
若井滉斗さんが育った西東京市(旧田無市)は、現在Mrs. GREEN APPLEファンには「聖地」として知られるエリアです。
若井滉斗さんと大森元貴さんという2人のメンバーを同時に輩出した街として、音楽ファンの間でその名が語り継がれています。
西東京市ゆかりの著名人
西東京市は多くの著名人を輩出している地域です。
Mrs. GREEN APPLEのメンバーの出身地として知られるほか、スポーツ選手や芸能人にも西東京市にゆかりのある人物が多くいます。
| 人物 | 活動分野 | 西東京市との関係 |
|---|---|---|
| 大森元貴さん | Mrs. GREEN APPLE ボーカル | 西東京市出身(若井さんと同じ中学) |
| 若井滉斗さん | Mrs. GREEN APPLE ギター | 西東京市育ち |
| 清家貴子さん | サッカー日本代表・パリ五輪 | 若井さんと保育園からの幼馴染 |
中学校での音楽エピソードが今に続く
若井さんが通った中学校には軽音部がなかったというのも、今となっては信じられないエピソードです。
軽音部がない環境でも独学でギターを練習し、大森元貴さんとの縁をつかみ取った若井さん。
高校に進学してからはミセスの前身バンドを結成し、修学旅行での音楽話から始まった縁が本格的なバンド活動へと発展していきます。
西東京市という一つの街が生んだ才能の出会いが、日本音楽シーンに多大な影響を与えているという事実は、この街の誇りといえるでしょう。
西東京市が育んだ文化と若井さんへの影響
西東京市は「住みやすい街」として常に上位にランクインする住宅都市であり、文化・スポーツ活動が地域に根づいています。
地域のサッカー少年団や武道教室が充実しており、子どもが多彩な習い事に挑戦できる環境が整っていることが、若井さんの多才な幼少期を支えました。
空手で黒帯を取り、サッカーを8年続け、さらに独学でギターを習得するという幅広い活動歴は、こうした地域の受け皿の豊かさがあってこそ実現できたものです。
また西東京市は東京23区への交通アクセスが良好で、文化的な刺激にも触れやすい環境でした。
こうした「都会と下町が混在する」西東京市の空気感が、若井さんの自由で開放的な感性を育てたのかもしれません。
若井さんが西東京市での幼少期・中学時代を振り返るコメントはラジオやインタビューでたびたび登場しており、故郷への愛着を感じさせます。
Mrs. GREEN APPLEというバンドが生まれた背景には、この西東京市という地域そのものの力があったといっても過言ではないでしょう。
若井滉斗の実家と生い立ちに関する総まとめ
- 実家は東京都西東京市(旧田無市)にある
- 父親・友司さんは元消防士でブルースリー大ファン
- 母親・きょうこさんはサッカー選手・中田英寿の熱烈ファン
- 実家にはお兄さんがいて、そのエレキギターがギタリスト誕生の原点
- 愛猫はマンチカンの「もずく」と黒白猫の「むすび」
- 愛称「ひろぱ」の由来はおばあちゃんが「ひろぴゃ」と呼んでいたこと
- 実家が美容室という噂はガセ。幼少期の金髪・銀髪は戦隊ヒーローへの憧れ
- 小1〜小6まで空手に打ち込み黒帯・地区大会優勝を達成
- 小2〜中3までサッカーを続けた(母親を喜ばせたいという動機)
- 保育園時代からサッカー女子日本代表・清家貴子選手と幼馴染
- 中学1年生のとき大森元貴さんと同じクラスになり仲良くなる
- 不登校だった大森さんを毎朝逆方向の通学路で迎えに行き続けた
- 中2の夏に兄のエレキギターを触ったことでギターを始める
- 修学旅行での会話がMrs. GREEN APPLEの前身バンド結成のきっかけ
- 現在はMrs. GREEN APPLEのギター担当として日本音楽シーンの最前線で活躍

