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榊原郁恵さんの実家がどこにあるのか、また父親や母親はどんな人物なのかが気になっている方は多いと思います。
榊原さんは1959年5月8日生まれのタレント・女優・歌手で、ホリプロ所属です。「夏のお嬢さん」などのヒット曲でアイドルとして人気を博し、現在も女優・タレントとして幅広く活躍しています。
実家は神奈川県厚木市にあり、現在は姉夫婦が暮らしています。父親は中日新聞社の社員で、母親は専業主婦として家事を完璧にこなす方だったそうです。
この記事では、榊原郁恵さんの実家の場所や家庭環境、父親・母親の素顔、そして現在の息子さんたちのプロフィールまで詳しくまとめています。
記事のポイント
①:実家は神奈川県厚木市で姉夫婦が現在も住む
②:父親は中日新聞社社員で一家を支えた
③:母親は専業主婦で料理上手・現在も同居中
④:長男渡辺裕太は俳優・次男渡辺拓弥は既婚
榊原郁恵の実家と父親の素顔
- 実家は神奈川県厚木市|その場所と家庭環境
- 父親の職業と家庭での存在感
- 厳しくも温かい実家のルールと思い出
- 実家から上京するまでの学校生活
- 高校時代のオーディション合格と実家への報告
- 実家近くの上海楼と五目ラーメンの記憶
実家は神奈川県厚木市|その場所と家庭環境
ここでは、榊原郁恵さんの実家の場所と家庭環境についてまとめます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 渡辺郁恵(旧姓:榊原) |
| 生年月日 | 1959年5月8日 |
| 2026年04月04日現在の年齢 | 66歳 |
| 出身地 | 神奈川県川崎市(のち厚木市) |
| 身長 | 155cm |
| 血液型 | B型 |
| 所属 | ホリプロ |
| 夫 | 渡辺徹(2022年11月逝去) |
| 子供 | 長男・渡辺裕太、次男・渡辺拓弥 |
榊原郁恵さんの実家は神奈川県厚木市にあります。
生まれは神奈川県川崎市ですが、2歳(一部資料では3歳)の頃に父親が厚木市に家を購入し、一家で引っ越しています。
そのため、小学校から高校まで厚木市で育ちました。
厚木市はどんな街?
厚木市は神奈川県中部に位置する市で、小田急電鉄の本厚木駅を中心に発展したエリアです。
都心へのアクセスもよく、豊かな自然環境と利便性が共存するような街ですが、榊原さんが幼少期を過ごした頃は「田んぼに囲まれた田舎」という表現がぴったりくる、のどかな雰囲気が漂っていたようです。
ここ、意外と知らない方も多いのではないでしょうか。
現在は宅地開発が進み、昔の面影は薄れている部分もありますが、郊外らしい落ち着いた雰囲気は今でも残っています。
家族構成と家庭の雰囲気
家族構成は両親と4歳年上の姉の4人家族で、ごく普通のサラリーマン家庭でした。
休日には家族揃って出かけるような仲の良い家族だったといいます。
一方で、食事中は正座が基本でテレビを見ることが禁止されていたり、家庭内に厳しいルールも存在していたのが特徴でした。
子供のころの榊原さんは引っ込み思案で大人しい性格だったと本人も語っています。
挨拶をすることが苦手で、内向的なタイプだったそうです。
今の榊原さんの明るくオープンなキャラクターからは想像がつかないかもしれませんが、そんな一面があったのですね。
小学生の頃はプロボウラーの中山律子さんに憧れてプロボウラーになりたいという夢を持っていましたが、映画「サウンドオブミュージック」を観たことがきっかけで、女優の仕事に強く憧れるようになりました。
また、4歳年上の姉が子供のころに児童劇団に所属していたことも、榊原さんが芸能の世界に引き寄せられていく一因になっています。
現在、実家の厚木市には姉夫婦が暮らしており、榊原さんは帰省のたびに懐かしい景色の中に戻ることができます。
都心での忙しい毎日の中でも、実家という存在が榊原さんの心の拠り所になっているのではないでしょうか。
父親の職業と家庭での存在感
榊原郁恵さんの父親の職業と、家庭における存在感についてまとめます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 職業 | 中日新聞社の社員 |
| 家族 | 妻(専業主婦)、長女(郁恵の姉)、次女(郁恵)の4人家族 |
| 家庭での特徴 | 休日は家族揃って外出する仲の良い父親 |
| 逝去時期 | 郁恵さんが23歳以前に他界 |
榊原郁恵さんの父親は中日新聞社の社員でした。
中日新聞社は名古屋市に本社を置く大手新聞社で、「中日新聞」を発行しています。
神奈川県内では「東京新聞」の発行・販売なども手がけており、榊原さんの父親はその関連業務や支社勤務などに携わっていたものと考えられます。
詳細な役職や業務内容については公開されていませんが、安定した会社員として家族を支えていた姿が伝わってきます。
家庭を大切にした父親像
休日には家族揃って出かけるような仲の良い家族だったといいますから、父親も積極的に家族サービスをする方だったのでしょう。
榊原さんが幼少期を過ごした厚木市での生活は、父親が購入した一軒家の中でのことです。
サラリーマンとして家族のために家を購入し、子供たちが安心して育てる環境を整えたことは、当時の社会情勢を考えると決して簡単ではなかったはずです。
そういう意味では、堅実で家族思いの父親だったことが伝わってきます。
父親の他界について
残念ながら、父親はすでに他界しています。
榊原さんが23歳で寮を出て1人暮らしを始めた際、母親が「家事のできない娘を案じて断固反対した」というエピソードがありますが、そのときには「すでに父は他界していた」と述べられています。
つまり、榊原さんが23歳以前に父親は亡くなっていたということです。
具体的な時期は明かされていませんが、比較的早い時期に家族を失ったことは、母親の存在をより大きなものにしていったのかもしれません。
父親の死後、母親が家庭の中心としてしっかりと家族を支え、榊原さんとの絆もより深まっていった経緯があります。
父親の記憶について榊原さん自身が多くを語ることはありませんが、普通のサラリーマン家庭で家族を大切にしていた父親の姿が、榊原さんの根っこにある家族観を形成しているのだと感じます。
ここ、語られることが少ないからこそ、余計に気になるところですよね。
厳しくも温かい実家のルールと思い出
榊原郁恵さんの実家には独特のルールがあり、それが榊原さんの人格形成に大きく関わっています。
食事中の正座とテレビ禁止
実家では食事中は正座が基本でテレビを見ることが禁止されていました。
現代では珍しく感じる方も多いかもしれませんが、昭和30〜40年代の家庭では決して珍しいルールではありませんでした。
食事の時間を家族のコミュニケーションの場として大切にしていたということでもあります。
食卓を囲んで、その日の出来事を話したり、両親から物事を教わったりする時間が自然と生まれる環境です。
こういった家庭環境の中で育ったことが、榊原さんの礼儀正しさや落ち着いた佇まいに影響を与えているのではないでしょうか。
母親の栄養バランスへのこだわり
物心ついた頃には、食卓の脇に3色食品群の図表が貼ってあったと榊原さんは語っています。
専業主婦だった母親は家事全般を完璧にこなすタイプで、娘2人のために「赤い食品はタンパク質、緑の食品はビタミン」と、その日の食材を説明するのが常だったそうです。
安いサバやイワシを揚げて野菜のあんかけにするなど、サラリーマンの家計をやりくりしながらもバランスの良い食事を出してくれたのだといいます。
大好きだった手料理の記憶
子供のころに大好きだった母親の手料理は、ハンバーグ、ナポリタン、オムライスにプリン。
今でも多くの方が「家庭の味」として思い浮かべるような、ノスタルジックなラインナップですね。
外食が縁遠かった時代、誕生日パーティーでは近所の友達を家に呼び合い、お子さまランチが楽しみだったとも述べています。
今でこそレストランや外食チェーンが身近な存在になっていますが、当時の子供たちにとって「外食」は特別なハレの日のものでした。
そんな時代の中で、母親が丁寧に作ってくれた手料理と家族との食卓が、榊原さんの料理や食への向き合い方の原点になっています。
後に自身が料理をするようになってからも、「ふっと母のお弁当の記憶がよみがえる。結局、それが基本になっている」と語るほど、母親の料理の影響は深く刻まれています。
厳しいルールもあった一方で、こんなにも温かな食卓の記憶が残っているというのが、榊原さんの実家の素顔なのかなと思います。
実家から上京するまでの学校生活
ここでは、榊原郁恵さんが実家の厚木市で過ごした学校生活についてまとめます。
| 学校名 | エピソード |
|---|---|
| 厚木市立厚木第二小学校 | 引っ込み思案な性格、映画「サウンドオブミュージック」で女優に憧れる |
| 厚木市立厚木中学校 | テニス部所属、郷ひろみのファンで追っかけ、初恋を経験 |
| 神奈川県立厚木東高校 | 人形浄瑠璃部所属、将来の夢は保母さん、2年生でオーディション合格 |
| 堀越高校(転校) | 芸能活動コース、片平なぎさ・大場久美子と同級生 |
榊原郁恵さんは、厚木市立厚木第二小学校から厚木市内の公立学校を歩んでいます。
小学校時代
小学校時代は、自分から積極的に動くタイプではなく、引っ込み思案で大人しい性格だったとのこと。
挨拶をすることさえ苦手だったと述べており、現在の明るい榊原さんとのギャップに驚く方も多いかもしれません。
この頃に映画「サウンドオブミュージック」を観て女優という仕事に憧れを持ち始めたことが、後の芸能界入りへの種となっています。
中学校時代
厚木市立厚木中学校ではテニス部に所属し、部活動に打ち込んでいました。
夏は真っ黒に日焼けするほど練習に励んでいたそうです。
部活の帰りには肉まんなどを買い食いするのが楽しみだったという、青春らしいエピソードも残っています。
当時は歌手の郷ひろみさんの大ファンで、ファンクラブに入って追っかけをしていたとか。
グループ交際を通じて中学2年生の時に初恋を経験しているなど、ごく普通の青春を謳歌していたことがわかります。
高校時代(厚木東高校)
厚木市立厚木中学校を卒業後は、神奈川県立厚木東高校(当時は女子校)に進学。
高校では人形浄瑠璃部に所属するという、ちょっと個性的な選択をしています。
将来の夢は保母さんになることだったそうで、この時点ではまだ芸能界とは縁遠い存在でした。
同級生たちにとっても、普通の大人しい生徒だったという印象があったようです。
高校時代のオーディション合格と実家への報告
榊原郁恵さんの芸能界入りのきっかけとなった、高校時代のオーディションについてまとめます。
第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン
1976年(昭和51年)、高校2年生だった榊原さんはホリプロが主催する「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」に自ら応募し、グランプリを受賞しました。
このオーディションはテレビで生放送されており、全国から注目を集めた大きなイベントでした。
自ら応募したという事実が、引っ込み思案だったという幼少期のイメージとは少し異なりますが、それだけ芸能への憧れが内側で育っていたのでしょう。
学校と周囲の反応
オーディションを受けることについては、学校の先生に「実はオーディションがあって、休みます」とちゃんと伝えていたそうですが、先生側には「ピンと来てない」様子だったと榊原さんは振り返っています。
同級生たちも、大人しかった榊原さんがオーディションを受けたと知って驚いた様子でした。
また、学校の上級生のいわゆるスケ番的な目立つ先輩が「なんか芸能界に入る人がいるらしいじゃないのよ。どこにいるの?」とのぞきに来たというエピソードも残っています。
「”はあ~、なーんだ”って言って帰ってっちゃって。”良かった、何もなくて”と思いながら」というコメントには、当時の榊原さんのほっとした様子が伝わってきますね。
堀越高校への転校と実家との別れ
グランプリ受賞後、芸能界入りを機に上京し、芸能活動コースのある堀越高校へ転校しています。
厚木の実家を離れ、寮生活がスタートしました。
堀越高校では女優の片平なぎさんや大場久美子さんと同級生になり、特に片平さんとは同じ事務所の縁もあって仲が良く、現在でも親友の間柄だそうです。
翌1977年1月1日には「私の先生」でアイドル歌手としてデビューを飾り、実家の厚木時代とは全く異なる日々が始まりました。
寮生活では10人以上の同じ境遇の仲間がいたこともあり、新しい環境に馴染んでいったのでしょう。
実家を離れることは寂しくもあったはずですが、夢を追い始めた18歳(高校2年生)の春は、榊原さんにとって人生の大きな転換点でした。
実家近くの上海楼と五目ラーメンの記憶
榊原郁恵さんが実家に帰るたびに必ず訪れるお気に入りの場所について紹介します。
本厚木駅近くの中華料理店「上海楼」
小田急電鉄の本厚木駅から少し奥まったところに、「上海楼」という中華料理店があります。
1969年開店の老舗で、店主の黒崎正美さんが横浜中華街で修業を積んだ後に開店したお店です。
榊原さんが子供のころからなじみの一軒で、「ずーっと続いているお店」として紹介しています。
値段が手ごろで地元の人たちに長年支持されてきたお店で、榊原さんにとってはまさに「実家の味」そのものです。
必ず注文する五目そば
榊原さんが必ず注文するのが「五目そば」(税込み700円・当時)。
地元で仕入れる新鮮な豚レバーにイカやエビ、そしてキャベツやタケノコなどの地元産野菜がたっぷり載ったボリューム満点のラーメンです。
「子どもの時はレバーというのがちょっと抵抗があった」と語る榊原さんですが、栄養バランスを考える母親が「ここのラーメンなら食べてもいい」と唯一許してくれた一品でした。
当時は抵抗があったレバーも、今では大好きな味に変わっています。
「それがある、っていうだけで嬉しいんですよね」という言葉に、実家への愛着と共に、その場所にずっとあり続けることへの安心感が滲み出ていますよね。
実家への帰省と上海楼の存在
現在、実家には姉夫婦が暮らしており、榊原さんは帰省のたびに上海楼を訪れています。
ラジオ番組の中でも「実家に帰ると絶対そのお店に行って、絶対そのメニューを頼むんです」と語っており、お店に行くこと自体が帰省の大切な儀式のようになっているようです。
かつて久しく行っていなかったお気に入りのお店がなくなってしまって寂しかった経験を持つ榊原さんだからこそ、「ずっとある」ということのありがたさを誰よりも感じているのでしょう。
50年以上続く老舗のラーメン店と実家への道すがら、という組み合わせが、榊原さんのルーツを象徴しているような気がします。
またお店の皮から手作りするギョーザ(400円・当時)もモチモチ感が自慢で人気メニューとなっているそうです。
実家に帰省する機会があれば、ぜひ一度訪れてみたい一軒ですね。
榊原郁恵の実家に住む母親と現在の家族
- 専業主婦の母親が果たした大きな役割
- 渡辺徹との結婚と母親との同居生活
- 長男・渡辺裕太と次男・渡辺拓弥のプロフィール
- 渡辺徹逝去後の現在の暮らし
- 姉が今も暮らす実家との縁と変わらぬ絆
専業主婦の母親が果たした大きな役割
榊原郁恵さんの母親は、専業主婦として家族を支えた、非常に存在感の大きい方です。
家事全般を完璧にこなす母
食卓の脇に3色食品群の図表を貼り、毎日の食事の栄養バランスにこだわった母親は、家事全般を完璧にこなすタイプでした。
安いサバやイワシを揚げて野菜のあんかけにするなど、家計をやりくりしながらも栄養豊富な食事を作り続けていたそうです。
「赤い食品は、緑の食品は」とその日の食材をわかりやすく娘たちに説明するのが日課だったといいます。
今でこそ食育という言葉が一般的になりましたが、当時からそのような取り組みを自然にしていた母親の先見性が感じられます。
郁恵さんへの料理の影響
榊原さん自身は長年にわたって料理が苦手でした。
寮生活でもほとんど料理をしなかったそうで、23歳で一人暮らしを始めようとした際には母親が「家事のできない娘を案じて断固反対した」ほどです。
結婚後に子供が幼稚園に通い始めた頃、「せめてお弁当くらいは」と作り始めたものの、最初は毎日残されて帰ってくる日々が続きました。
他の母親たちに「あら、意外とできないのね」と言われたことがショックでもあり、「『そうなんです。私、お料理苦手で』と本音を言える場がありがたかった」とも語っています。
それでも子供のために作り続けるうちに、自分も母が作ってくれたような栄養バランスを考えた彩り良いお弁当を作れるようになっていったのです。
「ふっと母のお弁当の記憶がよみがえる。結局、それが基本になっているんですね」という言葉は、母親の影響の深さを物語っています。
寮母さんとの比較にも登場する母の味
ホリプロの寮で6年間お世話になった寮母さんの料理も「特に煮豆はあれ以上のものにまだ出合ったことがない」というほど美味しかったそうですが、最終的には母親の料理が原点となっている点は変わりません。
母親という存在の大きさを、料理を通してひしひしと感じますね。
渡辺徹との結婚と母親との同居生活
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榊原郁恵さんと渡辺徹さんの結婚にまつわるエピソードと、母親との同居生活についてまとめます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 結婚年 | 1987年 |
| 結婚時の年齢 | 郁恵さん28歳・渡辺徹さん26歳 |
| 同居家族 | 郁恵さんの母親(渡辺徹さんの提案で) |
| 夫の逝去 | 2022年11月(敗血症性ショック) |
1987年、28歳の時に俳優の渡辺徹さんと結婚した榊原さん。
結婚のニュースは当時大きな話題になりました。
渡辺徹さんの一言が同居を決めた
結婚の際に渡辺徹さんが「お義母さんと一緒に住もう」と言ってくれたことで、郁恵さんの母親と3人での同居生活がスタートしました。
この一言には、郁恵さんへの愛情はもちろん、義母への気遣いと包容力が表れていますね。
渡辺徹さんが郁恵さんの母親の料理の腕を認め、「苦手としていた水炊きを母のおかげで克服できた」と後に語っていたほど、義母の存在を大切にしていたことがわかります。
義母から学んだ渡辺家の味
一方で郁恵さんは、渡辺徹さんの母親(義母)からも料理を教わりました。
義母のゴマだれは大きな当たり鉢でゴマをベタベタに油が出るまでするという、こだわりの一品。
渡辺家のカレーも独特で、材料がゴロゴロ入ったトロトロの仕上がりで、翌日はお玉さえ入らないほど濃くなるとか。
こうして榊原さんは自分の実家の味と渡辺家の味、両方を吸収しながら料理の腕を上げていきました。
農業塾での野菜作り
結婚後の榊原さんは食への意識をさらに高め、JAあつぎが開く農業塾に2009年から2年間通い、仲間と厚木に畑を借りて野菜を作る活動も行っています。
夏場は「毎週45リットルのビニール袋を抱えてサンタクロース状態」になるほど収穫があり、1袋100円で直売するほどになりました。
「そのトマトおいしいのよね」と心待ちにしてくれるお客さんも増えたそうで、「汗まみれで帰って、それがまた楽しくて、明日も頑張ろうという気になれる」と語っています。
長男・渡辺裕太と次男・渡辺拓弥のプロフィール
榊原郁恵さんと渡辺徹さんの間には2人の息子がいます。長男・渡辺裕太さんと次男・渡辺拓弥さんのプロフィールをまとめます。
| 項目 | 長男:渡辺裕太 | 次男:渡辺拓弥 |
|---|---|---|
| 生年月日 | 1989年3月28日 | 非公表 |
| 2026年04月04日現在の年齢 | 37歳 | 非公表 |
| 身長 | 173cm | 非公表 |
| 血液型 | AB型 | 非公表 |
| 職業 | 俳優・タレント | 非公表 |
| 出身大学 | 武蔵野大学 | 非公表 |
| 結婚 | - | 2024年7月に結婚 |
長男・渡辺裕太さんのプロフィール
長男の渡辺裕太さんは1989年3月28日生まれの俳優・タレントです。
父親の渡辺徹さんと同じ俳優の道を選んでおり、ホリプロに所属しています。
出身高校は和光高校で、大学は武蔵野大学を卒業しています。
身長173cm、血液型はAB型。
父親譲りの端正な顔立ちで、バラエティ番組への出演や舞台など幅広く活動しています。
渡辺徹さんとの共演も果たしており、「親子共演」として話題になることも多くありました。
次男・渡辺拓弥さんについて
次男の渡辺拓弥さんは詳細なプロフィールの多くが非公表ですが、2024年7月に結婚していたことが明らかになっています。
インスタグラムで「ご報告が遅れすみません」として結婚を報告したとのことです。
3ショット写真が公開された際には「次男さんが徹さんにそっくり」「イケメンがおふたり」という声がSNSで相次いだそうです。
父親・渡辺徹さんの面影を受け継いでいるようで、ファンからも関心が集まっています。
子育て方針について
榊原さんと渡辺徹さんは、「子どもたちはいずれ自立して家を出ていくから、子ども部屋は小さめにしよう」という考えを持って家を設計したといいます。
その代わりにロフトをつけたことで、息子たちにとっては「基地みたいで楽しかった」とのこと。
子供の自立を大前提とした育て方が、長男・次男それぞれの独立という形で実を結んでいます。
渡辺徹逝去後の現在の暮らし
2022年11月に夫の渡辺徹さんが逝去して以降の、榊原郁恵さんの現在の生活についてまとめます。
渡辺徹さんとの別れ
渡辺徹さんは2022年11月に敗血症性ショックのため亡くなりました。享年61歳でした。
35年以上連れ添ったパートナーを失うという大きな悲しみの中で、榊原さんは現在も前を向いて生活を続けています。
現在は母親と二人暮らし
渡辺徹さんの逝去後、現在の榊原さんは母親と二人暮らしをしています。
息子2人はすでに自立して家を出ているため、広い家にお母さんと2人で暮らしている状況です。
足腰が弱くなった母親はベッドのある子供部屋を使っており、息子たちが泊まりに来た際には和室を使うという生活スタイルになっています。
渡辺徹さんが残した玄関のスペース
2軒目の家を建てた際に渡辺徹さんの意向で設えた玄関先の広いスペースが、今でも大切な場所になっています。
渡辺徹さんは「とにかく家に人を呼びたい人」で、「打ち合わせや取材などもできる場所が欲しい」と言って吹き抜けの開放的なスペースを作りました。
現在はそこに渡辺徹さんの写真が置かれており、お線香をあげに来てくれる方をお通しして思い出話をする場になっているそうです。
「今でも主人を通して人が集まる場所になっています」という言葉がとても印象的です。
現在の仕事も精力的に継続
渡辺徹さんの逝去後も、榊原さんは女優・タレントとしての活動を続けています。
2022年夏から上演が続く舞台「ハリー・ポッターと呪いの子」ではマクゴナガル校長役として出演しており、3年目に突入するほどのロングランを誇っています。
家族の形が変わっても、生活と仕事の両方を前向きに続けている姿が多くの方に勇気を与えています。
姉が今も暮らす実家との縁と変わらぬ絆
榊原郁恵さんと姉との関係、そして厚木市の実家との縁についてまとめます。
4歳年上の姉との幼少期
榊原さんには4歳年上の姉がいます。
姉は子供のころに児童劇団に所属しており、これが榊原さんが芸能の世界に興味を持つきっかけの一つになっています。
榊原さんも姉の影響で「自分も児童劇団に入りたい」と思い、葉書で申し込みをしたほどです。
第1次審査には合格しましたが、第2次審査の日程が家族旅行と重なってしまい、母親や姉から叱られて断念したというエピソードが残っています。
実家に今も住む姉夫婦
現在、厚木市の実家には姉夫婦が暮らしています。
榊原さんが上京して以降も実家は家族の場として守られ、姉夫婦がそこで生活を続けているわけです。
実家が売却されたり取り壊されたりすることなく、家族の誰かが住み続けていることは、榊原さんにとってもとても心強いことではないでしょうか。
帰省のたびに姉夫婦に会い、幼い頃の思い出が詰まった場所に戻れるというのは、多忙な芸能生活の中での大きな支えになっていると思います。
実家帰省のたびに訪れる上海楼
姉夫婦が暮らす実家に帰るたびに、本厚木駅近くの「上海楼」で五目ラーメンを食べるのが榊原さんの変わらない習慣になっています。
幼い頃は苦手だったレバー入りの五目ラーメンが今では大好物になっているという変化も含めて、長い年月をかけて形成されてきた「実家の味」の象徴です。
「”それがある”っていうだけで嬉しいんですよね」という言葉には、場所や味に宿る記憶と感情の深さが詰まっています。
姉との絆、母親との同居、上海楼の五目ラーメン。
榊原郁恵さんにとって、厚木の実家はどこに行っても帰ってくることのできる、人生の原点のような場所なのだと感じます。
芸能界での長いキャリアの中で様々な変化があっても、実家と家族という軸だけは変わらずに続いているという点が、榊原さんの人柄の温かさを物語っているようですね。
榊原郁恵の実家と家族に関する総まとめ
- 実家は神奈川県厚木市。川崎市生まれで3歳頃に一家で転居した
- 父親は中日新聞社の社員。郁恵さんが23歳以前にすでに他界している
- 母親は専業主婦で家事全般を完璧にこなすタイプ。3色食品群の図表を食卓に貼り栄養管理を徹底した
- 家族構成は両親と4歳年上の姉の4人家族。ごく普通のサラリーマン家庭
- 食事中は正座・テレビ禁止という厳しいルールがあった
- 子供のころは引っ込み思案で大人しい性格。挨拶が苦手な内向的なタイプだった
- 小学生の頃に映画「サウンドオブミュージック」を観て女優業に憧れる
- 厚木市立厚木中学校ではテニス部に所属。郷ひろみのファンで追っかけも経験
- 1976年、高校2年生で第1回ホリプロタレントスカウトキャラバンでグランプリを受賞し芸能界入り
- 堀越高校転校後、片平なぎさ・大場久美子と同級生になり親友関係が生まれた
- 実家近くの老舗中華料理店「上海楼」(1969年開店)の五目ラーメンが帰省のたびの楽しみ
- 1987年、渡辺徹さんと結婚。渡辺徹さんの提案で母親との同居が始まった
- 長男・渡辺裕太(1989年生)は俳優・タレント。次男・渡辺拓弥は2024年7月に結婚
- 2022年11月に渡辺徹さんが逝去後は母親と二人暮らしを続けている
- 現在も実家の厚木市には姉夫婦が暮らしており、帰省のたびに家族との絆を深めている

