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メッシさんの実家について知りたいと感じている方は多いですよね。
ワールドカップ優勝を果たした世界最高のサッカー選手リオネル・メッシさんが育った故郷は、アルゼンチン第3の都市ロサリオです。
父親・ホルヘ・メッシさんは鉄工所勤務の職人で、母親・セリアさんとともにイタリア移民の子孫という家系でした。
この記事では、メッシさんの実家の場所と生家の様子、父親・母親の職業、イタリア移民のルーツ、成長ホルモン欠乏症の診断とバルセロナ移籍の経緯まで詳しくまとめます。
記事のポイント
①:メッシの実家はロサリオのイスラエル通り525番地
②:父親・ホルヘさんは鉄工所で働く職人だった
③:メッシ家のルーツはイタリア移民の子孫
④:11歳で成長ホルモン欠乏症と診断された
メッシの実家があるロサリオの特徴|メッシ実家のある出身地
- メッシ実家の場所と生家の様子
- ロサリオの都市概要|アルゼンチン第3の都市
- ロサリオの治安と生活環境
- ロサリオ出身の有名人
- メッシ家のイタリア移民ルーツ
メッシ実家の場所と生家の様子
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メッシさんの生家は、アルゼンチン サンタフェ州ロサリオ市街地南部のイスラエル通り525番地にあります。
2階建てで門のある立派な造りですが、現在は誰も住んでおらず、長年無人の状態が続いています。
生家の外観と現在の状況
ロサリオを訪ねた記者の取材によれば、生家はよく注意していないと通り過ぎてしまうような小路にひっそりと建っています。
2階建てで門もあり、なかなか立派な造りではありますが、周辺の住宅地は人通りが少なく、閑散とした雰囲気に包まれています。
メッシさんが2021年のコパ・アメリカでアルゼンチン代表として念願の優勝を果たした後、この生家の外壁にはコパ・アメリカ2021をモチーフにした壁画(ムラル)が描かれました。
現在、生家はメッシさんが世界的なスター選手として認知されたことで観光客が訪れるスポットにもなっており、生家の前で写真を撮る観光客の姿も見られます。
母親・セリアさんはかつてのインタビューで「小さな土地を買って、少しずつ家を建てていきました。4人の子供たちは皆この家で生まれました。私たちの本当のルーツはロサリオにあるのです」と語っており、家族にとってロサリオは特別な場所であることがよくわかりますよね。
生家周辺の雰囲気と治安状況
生家があるロサリオ市街地南部の住宅地は、中心部から車で20分ほど離れた場所に位置しています。
ロサリオ市街地の中心部には趣のあるコロニアル様式の古い建築物が立ち並び、パラナ河沿いの街並みはまるで海辺のリゾート地のように優雅で美しいとされています。
しかし、生家がある市街地南部のエリアに足を踏み入れると、雰囲気はがらりと変わります。
現地を取材したジャーナリストも「一見、一軒家が並ぶ普通の住宅地のようでも、どこか乾いた、殺伐とした雰囲気をかもし出している」と述べており、安易に観光目的で立ち入るのはリスクがあるエリアです。
とはいえ、メッシさんが幼少期を過ごしたのがこの地であり、草の根から世界最高の選手に成長した軌跡を感じさせる場所であることは間違いありません。
メッシさんの基本プロフィール表
まず、メッシさんの基本情報を下の表にまとめました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | リオネル・アンドレス・メッシ |
| 生年月日 | 1987年6月24日 |
| 2026年06月11日現在の年齢 | 38歳 |
| 出身地 | アルゼンチン サンタフェ州 ロサリオ |
| 身長 | 170cm |
| 国籍 | アルゼンチン/スペイン(二重国籍) |
| 職業 | プロサッカー選手 |
| 所属 | インテル・マイアミ(米MLS) |
| ポジション | フォワード(FW) |
ロサリオの都市概要|アルゼンチン第3の都市
メッシさんの実家があるロサリオは、アルゼンチン北部のサンタフェ州に位置する都市です。
首都ブエノスアイレスから北西に289kmの場所にあり、人口はおよそ100万人を誇るアルゼンチン第3の都市として知られています。
ロサリオの地理的特徴
ロサリオは広大なパラナ河(パラナ川)の流域に広がる都市で、河沿いに見える街並みはまるで海辺のリゾート地のように優雅で美しいと評されています。
中心部には趣のあるコロニアル様式の古い建築物が立ち並び、ヨーロッパの町を彷彿とさせる雰囲気があります。
パラナ川は南アメリカで2番目に長い河川であり、ロサリオはその流域に形成された水運の要衝として古くから発展してきました。
対岸にはビーチが広がっており、夏のバカンスシーズンには多くの市民が遊覧船でビーチへと向かいます。
市内には独立公園(パルケ・デ・ラ・インデペンシア)と呼ばれる市民の憩いの場があり、平日もジョギングや散歩を楽しむ人々でにぎわっています。
ロサリオのサッカー文化
ロサリオは特にサッカーへの熱狂ぶりで知られる都市でもあります。
メッシさんが所属したニューウェルズ・オールドボーイズをはじめ、ロサリオ・セントラルという2つの大きなクラブチームが本拠地を置いており、両クラブのライバル関係はアルゼンチンでも有数の激しさです。
試合中にファン同士が喧嘩を始めることも少なくないほどサッカーに情熱的なエリアで、1978年のワールドカップ アルゼンチン大会では、メッシさんの両親が結婚式の翌日にロサリオで開催されたアルゼンチン対ブラジル戦に駆けつけたというエピソードも残っています。
その翌年のワールドカップでアルゼンチンが優勝、さらにその4年後の1986年メキシコ大会でマラドーナが英雄となった翌年、リオネル・メッシさんが生まれたのです。
ロサリオの生活環境と公共交通
ロサリオはブエノスアイレス、コルドバに次ぐ第3の都市ですので、大学や語学学校も多く集まっています。
中心街にはおいしいレストランや日々の買い物を楽しめるお店が揃っており、生活に不自由しない都市環境が整っています。
ただし、日本の感覚で「普通の住宅地」と見えるエリアでも治安上の注意が必要なことがあり、特にロサリオ市街地から離れた郊外エリアでは気を付けるに越したことはないとされています。
ロサリオの治安と生活環境
ロサリオは治安が良くないと言われることが多い都市です。
外務省の危険情報によると、サンタフェ州ロサリオ市はレベル1(十分注意)に指定されており、麻薬組織間の抗争による銃器を使用した殺人等の凶悪犯罪が多発しているとされています。
治安の実態と注意点
現地を取材した記者は「市街地からおよそ40ブロック、車で20分ほどの距離まで離れると、貧しい人たちが暮らすバラック建ての住居が密集する地区が点在し、何をするともなく道端でたむろする若者たちの姿が目立つ」と報告しています。
また、「一見、一軒家が並ぶ普通の住宅地のようでも、どこか乾いた、殺伐とした雰囲気をかもし出している」という証言もあり、日本人の感覚での「普通の住宅地」への安易な立ち入りは危険とされています。
一方で、ロサリオ中心部の観光エリアや商業エリアは比較的安全に観光できるとされており、現地の事情に詳しい人の同伴があれば、メッシさんの生家を訪れることも不可能ではありません。
ロサリオの現在と発展
ロサリオは治安問題を抱えながらも、観光業や商業において発展を続けている都市です。
ロサリオ観光局の公式サイトでは、メッシさんの通った小学校など各名所の情報を公開しており、サッカーファンにとっての聖地として認知されています。
メッシさんは2017年にロサリオで挙式を行うなど、長年活動の拠点をバルセロナ(スペイン)やパリ(フランス)に移した後も故郷への思い入れは強く、ロサリオに所有するレストランでホームレスへ食事を提供する慈善活動を行ったこともあります。
世界最高の選手が生まれ育ったことで、ロサリオは今やサッカーファンにとって一度は訪れたい場所になっています。
ロサリオ在住の日本人視点
ブエノスアイレス在住のジャーナリストは「日本では安全な鉄道も、アルゼンチンでは低所得者が利用する移動手段。日本でよく見かける2〜3階建てのコンクリート製集合住宅は、アルゼンチンではもともとバラックが密集していた貧民街を整備した地区」と指摘しています。
日本人的な感覚で「普通の住宅地」と判断すると大変なことになりかねない、というのがロサリオ訪問における重要な注意点です。
こうした環境の中でメッシさんが世界最高の選手に成長したという事実は、彼の人間的なたくましさを物語っていますよね。
ロサリオ出身の有名人
ロサリオは世界的な有名人を多く輩出している都市でもあります。
革命家チェ・ゲバラとリオネル・メッシという、世界で最も知名度の高い人物2人がともにロサリオ出身というのは非常に印象的ですよね。
チェ・ゲバラとの共通点
チェ・ゲバラ(本名エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ)は1928年10月14日にロサリオで生まれ、キューバ革命の英雄として世界史に名を刻んだ革命家です。
ゲバラとメッシさんはいずれも若くしてロサリオを離れ、世界を舞台に活躍したという点で共通しています。
また、サッカー選手のアンヘル・ディ・マリアさん(元アルゼンチン代表)もロサリオの出身であり、ロサリオはサッカーの名選手を数多く輩出しています。
ロサリオ出身の有名人一覧
下の表はロサリオ出身の主な有名人をまとめたものです。
| 名前 | 分野 | 主な実績 |
|---|---|---|
| リオネル・メッシ | サッカー | ワールドカップ優勝、バロンドール8回 |
| チェ・ゲバラ | 革命家 | キューバ革命の英雄 |
| アンヘル・ディ・マリア | サッカー | アルゼンチン代表、欧州主要クラブで活躍 |
ロサリオのサッカー輩出力
ロサリオはアルゼンチン国内でも特にサッカー選手を多く輩出している地域として知られています。
ニューウェルズ・オールドボーイズのアカデミーからは数多くのプロ選手が生まれており、メッシさんもこのアカデミーで幼少期の技術的基盤を築きました。
サッカーが生活の中に深く根付いた文化的背景が、ロサリオから世界クラスの選手を育てる土壌になっているといえるでしょう。
また、ロサリオ・セントラルのアカデミー出身の選手も多く、両クラブが競い合う環境がタレントを磨く大きな要因になっています。
チェ・ゲバラが政治・革命の世界で世界史に名を刻み、メッシさんがサッカーの世界で世界史に名を刻んだという事実は、ロサリオという都市が持つ底知れぬポテンシャルを感じさせます。
ロサリオのサッカー文化は単なる地域の趣味の域を超え、国際的な競技水準で戦える選手を育てるシステムとして機能しており、それがアルゼンチン代表の強さの一因にもなっているのです。
メッシ家のイタリア移民ルーツ
メッシさんの家系は、イタリア移民の子孫です。
父親・ホルヘさん側のメッシ家も、母親・セリアさん側のクッシティーニ家も、ともに19世紀末にイタリアからアルゼンチンへ移住してきた家系であることが知られています。
父方メッシ家のイタリアのルーツ
父方のメッシ家は、もともとイタリア中部のマルケ州にあるアドリア海沿岸の町ポルト・レカナーティの出身です。
19世紀の終わりに多くの人々とともに3等船室に乗り込み、アメリカ大陸へ渡ってきたとされています。
当時のイタリアは経済的に厳しい状況にあり、多くの人々が新天地を求めてアルゼンチンなどの南米に移民していました。
メッシ家もそのような時代の流れの中でアルゼンチンに渡り、ロサリオに根を下ろしていきました。
母方クッシティーニ家のルーツ
母親・セリアさんの実家であるクッシティーニ家も、同じくイタリア出身です。
アルゼンチンの広大なパンパ(大草原)の土地へ入植し、首都ブエノスアイレスから300kmほど離れたサンタフェ州最大の都市ロサリオに居を定めていきました。
実際、メッシさんが誕生した総合病院は、イタリア系移民に対する医療を目的に開業された病院であり、イタリア系移民のコミュニティーがロサリオに深く根付いていたことがわかります。
イタリア系ルーツが与えた影響
メッシさん自身はアルゼンチン生まれ・アルゼンチン育ちですが、そのルーツにはイタリア移民の血が流れています。
バルセロナでの活躍を経て、現在はスペイン国籍も取得しており、アルゼンチン・スペインの二重国籍を持っています。
イタリア移民の子孫として南米に渡り、その後スペインで大成長を遂げ、世界最高のサッカー選手になるというメッシさんの物語は、まさに移民の歴史が生んだストーリーといえるでしょう。
アルゼンチンはイタリア系移民の子孫が人口の相当数を占める国であり、メッシさんのルーツはアルゼンチン社会の縮図ともいえます。
ちなみに、メッシさんのフルネーム「リオネル・アンドレス・メッシ・クッシティーニ」のうち「クッシティーニ」は母方のイタリア系の姓であり、名前にもそのルーツが刻まれているのです。
メッシの父親・母親と幼少期|メッシ実家での家族の絆
- 父親・ホルヘさんの職業と人物像
- 母親・セリアさんと祖母の存在
- 兄弟構成と家族全員サッカー環境
- 幼少期のエピソードと内気な性格
- 成長ホルモン欠乏症とバルセロナ移籍
父親・ホルヘさんの職業と人物像
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メッシさんの父親・ホルヘ・メッシさんは、ロサリオの鉄工所(製鉄工場)に勤務する職人として家族を支えていました。
決して裕福な家庭ではありませんでしたが、サッカーが大好きで、息子たちのサッカーを熱心に支援した父親として知られています。
鉄工所勤務から息子のエージェントへ
ホルヘさんはロサリオの鉄工所で働く一般的な労働者として家族を養っていました。
成長ホルモン欠乏症の治療費が月に数万円かかる中、家計は相当苦しかったとされていますが、息子の夢を諦めさせることはしませんでした。
その後、息子がFCバルセロナと契約してプロとして活躍するようになると、ホルヘさんはメッシさんのビジネスエージェントとして活動するようになり、息子のキャリアをサポートし続けました。
バルセロナとの契約交渉においても重要な役割を果たし、家族を守るために常に奮闘し続けた父親の姿は、メッシさんの人生において大きな支えになっています。
ホルヘさんとサッカーの関係
ホルヘさん自身も地元のサッカーチームでプレーしていた経験があり、サッカーへの愛情は深かったとされています。
1978年、両親(ホルヘさんと母・セリアさん)は結婚式の翌日にロサリオで開催されたアルゼンチン対ブラジル戦に駆けつけるほどのサッカー熱を持っていました。
上の兄2人(ロドリーゴさんとマティアスさん)も父親の影響でサッカーをプレーしており、週2回のミニサッカー(バビーフットボール)にも通っていたという徹底ぶりです。
父親と息子の関係を示すエピソード
ホルヘさんは長男リオの幼い頃から、近所の道上でサッカーをするときには兄2人と一緒に父親も加わり、家族でボールを蹴り合う時間を大切にしていました。
まだ幼かったリオが加わってきたとき、すでにボールの扱い方を知っているかのように巧みに蹴り出した様子に家族全員が驚いたというエピソードも残っています。
そのような日常の積み重ねが、世界最高のサッカー選手の誕生を支えた土台になったといえるでしょう。
母親・セリアさんと祖母の存在
メッシさんの母親・セリア・クッシティーニさん(現在の姓はメッシ)は、家族を温かく支えた献身的な母親として知られています。
そして、メッシさんの人生において最も重要な影響を与えた人物の一人として、祖母・セリア・オリベラ・デ・クッシティーニさんの存在があります。
祖母がサッカーへの扉を開いた
メッシさんが後のインタビューで語った最も大切な思い出の一つは、「お祖母ちゃんに初めてサッカーをしに連れて行ってもらったこと」だったと言われています。
父親や兄たちのサッカーに連れ添い、子供たちをサッカーの練習に連れて行ってくれていたのが祖母でした。
また、両親がメッシさんに最初のサッカーのスパイクを買い与えるよう説得したのも祖母だったとされており、メッシさんのサッカー人生において祖母は最初のサポーターでした。
祖母との別れと深い悲しみ
メッシさんが最も悲しかった出来事として語るのが、祖母が亡くなったときです。
祖母のセリアさんは、メッシさんが10歳のとき(1997年頃)に亡くなりました。
幼いメッシさんにとって祖母は「いつも傍らに居る大人しい内気な少年の側にいてくれる存在」であり、その死は深い悲しみをもたらしました。
現在でも、メッシさんはゴールを決めた後に天に向かって指を差すポーズをとることが多いですが、これは亡き祖母に捧げるポーズとして知られています。
母親セリアさんの役割
母親のセリアさんは、子供たちの成長を温かく見守りながら家族の中心として機能した存在です。
幼いメッシさんの成長ホルモン欠乏症の治療に奔走し、治療費の工面に苦労した時期もありましたが、息子のサッカーへの夢を支え続けました。
「4人の子供たちは皆この家で生まれました。私たちの本当のルーツはロサリオにあるのです」という言葉は、ロサリオへの家族の深い愛着を示しています。
セリアさんは現在も息子の傍でメッシ家族を支えており、孫たちとの交流を大切にしながら穏やかな日々を送っているとされています。
息子が世界最高の選手になっても変わらず家族の絆を大切にするメッシさんの姿勢は、献身的な母親セリアさんの愛情の賜物といえるでしょう。
兄弟構成と家族全員サッカー環境
メッシさんは4人兄弟の3番目の子供(三男)として生まれました。
家族全員がサッカーに情熱を注ぐ環境の中で育ち、父親・兄2人・祖父・祖母というサッカー好きな家庭環境が幼少期のメッシさんを形成しました。
長男・ロドリーゴさんと次男・マティアスさん
上の兄2人はともにサッカーをプレーしており、長男・ロドリーゴさんはスピードとパワーのあるセンターフォワード、次男・マティアスさんはディフェンダーとしてプレーしていました。
兄たちが通っていたバビーフットボール(アルゼンチンの子供たちに普及しているミニサッカー)に週2回通っていたため、幼いリオはその姿を身近で見て育ちました。
兄弟全員がサッカーを通じて育まれた環境は、メッシさんの幼少期のサッカーへの熱意に大きく影響しています。
家族構成表
メッシさんの家族構成を下の表にまとめました。
| 続柄 | 名前 | 特記事項 |
|---|---|---|
| 父親 | ホルヘ・メッシ | 鉄工所勤務、後に息子のエージェント |
| 母親 | セリア・クッシティーニ | 家族の中心的存在 |
| 長男(兄) | ロドリーゴ・メッシ | センターフォワードとしてサッカーをプレー |
| 次男(兄) | マティアス・メッシ | ディフェンダーとしてサッカーをプレー |
| 三男(本人) | リオネル・メッシ | 世界最高のサッカー選手 |
| 妹 | マリア・ソル・メッシ | 4人兄弟の末っ子 |
家族が語るメッシさんの幼少期
一家は毎週2回、バビーフットボールの練習に通っており、特に長男・ロドリーゴさんと次男・マティアスさんは相当優秀なプレーをしていたとされています。
小さなリオが兄たちの影響を受けて自然とサッカーに引き込まれていった様子は、家族の証言から生き生きと伝わってきます。
「上の兄2人がともにバビーフットボールをやっていてしかも相当優秀なプレーをしていたことが小さなリオにどれほどの刺激を与えたことでしょう」と当時を振り返る声もあります。
兄たちに追いつこうとする弟の闘志が、メッシさんの技術向上の大きな原動力になっていたことは想像に難くありません。
末妹・マリア・ソルさんについては表舞台に出ることは少ないですが、メッシさんのInstagramなどに家族写真が公開されることがあり、家族の絆の強さが伝わってきます。
幼少期のエピソードと内気な性格
幼いメッシさんは、リングの上では天才的なプレーを見せながらも、非常に内気で無口な性格だったといわれています。
いつも祖母の傍らに居る大人しい真面目な子供で、友達の輪の中に積極的に飛び込むタイプではありませんでした。
3歳から始めた人形遊びとビー玉
意外なことに、メッシさんが3歳の頃に夢中になった遊びは、サッカーではなく人形遊びとビー玉遊びでした。
1歳の誕生日にサッカー好きの祖父からサッカーのユニフォームをプレゼントされかかりましたが、サッカーボールを両親からプレゼントされたのは4歳の誕生日のことだったとされています。
しかし4歳でボールを受け取ると、すでにボールの扱い方を知っているかのように巧みにボールをコントロールし始め、家族を驚かせました。
5歳で見せた輝きと近所への苦情
メッシさんは5歳頃にはすでにボール扱いが巧みで、ボールが足に吸い付くようなドリブルができたといいます。
いつも家の玄関ドアにボールを蹴り当てていたため、近所からよく苦情が出ていたというエピソードも残っています。
人生で初めて試合に出たのは、ロサリオ郊外の少年サッカーチーム「グランドリ」のグラウンドでした。
当時のコーチ・オスカル・ロペスさんは「ここから始まったんだ」と、その原点となるグラウンドを誇りを持って語っています。
強い意志と内気な性格の共存
内気で無口なメッシさんでしたが、周囲の誰もが気づいていたことがあったといいます。
それは「強い意志」を持った子供だということでした。
学校の休み時間になると別人のように生き生きとしてサッカーをプレーし、おとなしかった少年が休み時間には圧倒的な輝きを放っていたと、当時の関係者が語っています。
内気でも外向的でも、サッカーへの情熱と強い意志があれば世界のトップに立てることを、メッシさんは体現しているといえるでしょう。
後にメッシさんはインタビューで「子供の頃は恥ずかしがり屋だったが、ボールがあれば全てが変わった」と語っており、サッカーが内気な少年を解放する場であったことがわかります。
成長ホルモン欠乏症とバルセロナ移籍
メッシさんは11歳のとき、成長ホルモン欠乏症と診断されました。
この病気のために故郷アルゼンチンを出てスペインへ渡ることになり、それがその後の世界最高の選手への道を開くことになります。
成長ホルモン欠乏症の発覚と治療費問題
成長ホルモン欠乏症の治療には、週に数回のホルモン注射が必要で、その費用は月に約9万円(当時のレートで約900ドル)に上ったとされています。
鉄工所勤務の父親ホルヘさんにとって、この治療費の負担は相当なものでした。
地元のクラブ・ニューウェルズ・オールドボーイズもしばらく治療費を支援していましたが、アルゼンチンの経済危機の影響もあり、支援を続けることが困難になっていきました。
バルセロナのスカウトとナプキンの誓い
そこでFCバルセロナのスカウトが登場します。
バルセロナのスカウトは幼いメッシさんのプレーを見て、その才能に強い可能性を感じ、治療費の全額負担を条件にスペイン移籍を提案しました。
話は急展開し、正式な契約書が整う前に、ある食事の席でナプキンに合意内容をメモして署名したというエピソードが語り継がれています。
13歳でのバルセロナ移籍とプロデビュー
メッシさんは2000年、13歳でFCバルセロナのユースアカデミーに加入するためにスペインへ渡りました。
バルセロナBで活躍を続け、2004年10月16日にわずか17歳でバルセロナのトップチームにデビューし、スペイン1部リーグ史上3番目に若い選手としてリーグデビューを飾りました。
その後は誰もが知る通り、バロンドール8回受賞、ワールドカップ優勝という前人未到の実績を積み上げ、世界最高のサッカー選手として君臨し続けています。
ロサリオの小さな生家から始まった物語が、世界の頂点へとつながっていったわけです。
2021年のコパ・アメリカでアルゼンチンが28年ぶりの南米制覇を成し遂げた後、2022年のカタールワールドカップではついに悲願のワールドカップ優勝を果たし、故郷ロサリオの生家の外壁にはその栄光を記念した壁画が描かれました。
成長ホルモン欠乏症という困難を乗り越え、13歳でアルゼンチンを離れた少年が世界最高の選手になるまでの道のりは、実家のある街ロサリオから始まっているのです。
メッシの実家と生い立ちに関する総まとめ
- メッシの実家はアルゼンチン サンタフェ州ロサリオ市街地南部のイスラエル通り525番地
- 生家は2階建てで門のある立派な造りで、現在は無人
- ロサリオはブエノスアイレスから北西289kmのアルゼンチン第3の都市
- パラナ川沿いに広がる人口約100万人の都市
- ロサリオの出身有名人にはチェ・ゲバラやアンヘル・ディ・マリアもいる
- メッシ家・クッシティーニ家ともに19世紀末にイタリアから移民した家系
- 父親・ホルヘさんは鉄工所勤務の職人から後に息子のエージェントへ
- 母親・セリアさんは家族の中心として4人の子供たちを支えた
- 祖母・セリアさんが初めてメッシをサッカー練習に連れて行き、スパイク購入も後押し
- 3歳では人形遊びが好きな内気な子供で、4歳でボールをプレゼントされた
- 5歳でボールが足に吸い付くようなドリブルを披露して家族を驚かせた
- 11歳で成長ホルモン欠乏症と診断され、治療費は月約9万円に上った
- 治療費の全額負担を条件にFCバルセロナへ13歳で移籍
- 17歳でバルセロナトップチームにデビューし、その後バロンドール8回を達成
- ロサリオの生家にはコパ・アメリカ2021をモチーフにした壁画が描かれている

