キャシー中島の実家は横浜・野毛でハワイ生まれ!離婚した母親との幼少期の暮らし

キャシー中島の実家は横浜・野毛でハワイ生まれ!離婚した母親との幼少期の暮らし

※当記事は公開情報をまとめた考察記事です。記載内容は執筆時点で確認できた情報に基づきます。
※本サイトのコンテンツには、商品プロモーションが含まれています。

キャシー中島さんの実家について気になっている方は多いのではないでしょうか。

キャシーさんはハワイ・マウイ島生まれのタレント・ハワイアンキルト作家で、3歳から日本で生活をスタートした異色の経歴を持ちます。

実家は神奈川県横浜市の野毛エリアにあり、母親が1階でお店を経営する小さな家で育ったといいます。

5歳で両親が離婚するという複雑な幼少期を経験しながらも、強くたくましく生きた母親の背中を見て育ちました。

現在は俳優の勝野洋さんと結婚46年を超えるおしどり夫婦として知られ、ハワイアンキルト作家としても国際的な実績を誇ります。

この記事では、キャシーさんの実家や幼少期の生い立ちから現在の活躍まで詳しく紹介していきます。

記事のポイント

①:実家は横浜・野毛の小さな家

②:5歳で両親が離婚・10歳まで他家に預けられた

③:母は54歳で死去・弟と3人暮らし

④:ハワイアンキルト第一人者として活躍

キャシー中島の実家と幼少期の生い立ち

  • 実家は横浜・野毛の小さな家|母と弟との3人暮らし
  • 5歳で両親が離婚|複雑な幼少期を乗り越えて
  • 思春期の「不良」時代と家族への憧れ
  • 強くて愛がある母親の生き方と54歳での別れ
  • キャシー中島と実家の地・横浜の深い縁

実家は横浜・野毛の小さな家|母と弟との3人暮らし

下記の表はキャシー中島さんの基本プロフィールをまとめたものです。

項目 詳細
本名 中島キャシー(なかじまきゃしー)
生年 1952年
2026年04月06日現在の年齢 73歳
出身地 アメリカ・ハワイ州マウイ島
日本生活開始 3歳から
職業 タレント、ハワイアンキルト作家
所属 サンミュージックプロダクション
デビュー 1969年(モデル)
勝野洋(1979年結婚)
子供 長女・七奈美(故人)、次女・雅奈恵、長男・洋輔

横浜・野毛という場所について

キャシーさんが育った実家は、神奈川県横浜市の野毛エリアにありました。

野毛は横浜を代表する下町文化の色濃いエリアで、昭和の時代から商店や飲食店が立ち並ぶ賑やかな街です。

横浜駅や関内駅からもアクセスしやすく、庶民的な温かみが今も残る歴史のある地域です。

そんな野毛の地で、キャシーさんは母親と弟の3人で肩を寄せ合いながら暮らしていました。

実家の間取りと日常の様子

キャシーさんが語る実家の構造は、1階にお店とキッチンとお風呂、2階に母親の部屋とリビング、そして本人と弟の部屋があるという小さな家でした。

「母と弟と私の3人が肩を寄せ合いながら暮らした家」とキャシーさん自身がブログに綴っているように、決して大きくはない空間でも家族3人の温もりがあったといいます。

お母さんが1階のお店を切り盛りしながら家族を養う姿は、幼いキャシーさんの目にどれほど強く映っていたことでしょう。

野毛は商業エリアということもあり、下の階でお店を営みながら家族が上階で暮らすというスタイルは当時の野毛では珍しくなかったようです。

小さくても愛情があふれるその家は、キャシーさんにとって人生の原点といえる場所です。

17歳まで過ごした思い出の場所

キャシーさんはこの実家に17歳ごろまで住んでいたと明かしています。

小学生・中学生の頃には毎年夏休みを過ごした思い出がたっぷり詰まっており、後に野毛を再訪したときには胸がいっぱいになったと語っています。

屋根裏のお蚕さんと過ごしながら本を読んでいたあの頃のことが懐かしく、「あの頃の私に会いたいなあ」と思うほど大切な記憶として残っているといいます。

芸能界デビュー後もしばらくはこの野毛の家が生活の拠点であり続けました。

現在もその建物はそのまま残っており、キャシーさんが通りかかった際に思わず足を止めたというエピソードは多くのファンの心を打ちました。

5歳で両親が離婚|複雑な幼少期を乗り越えて

ここ、キャシーさんの人生で最も大きな転機のひとつになった幼少期のエピソードです。

5歳での両親の離婚という試練

キャシーさんは5歳という幼い年齢で両親の離婚を経験しました。

まだ親への依存が強い幼少期に突然家族の形が変わるという体験は、子供の心に大きな影響を与えます。

キャシーさん自身も「家族に憧れた幼少期があった」と語っており、その言葉には複雑な心境がにじんでいます。

夫の勝野洋さんも3歳のときに両親が離婚するという似た境遇を持っており、2人が家族を何より大切にする価値観を持つ理由がそこにあります。

10歳まで他人の家に預けられた体験

両親の離婚後、キャシーさんは10歳まで近所に住む血縁者ではない女性の家に預けられて育ったといいます。

親戚でもない他人の家での生活は、幼いキャシーさんにとって決して楽なものではなかったでしょう。

自分を育ててくれる家族と過ごしながらも、どこかに「本当の家族」への切望があったと想像されます。

この時期の経験が、後のキャシーさんの「家族をなによりも大切にする」という価値観の原点になったと考えられます。

ここ、気になりますよね。

複雑な幼少期を過ごしながらも、後に芸能界きってのおしどり夫婦と呼ばれるほどの温かな家族を築いたキャシーさんの強さが印象的です。

幼少期が育んだ「家族への憧れ」

キャシーさんと勝野洋さんが「徹子の部屋」に出演した際、2人はそれぞれの寂しい幼少期を語りました。

勝野さんも3歳のときに両親が離婚し、自衛隊員だった父親が単身赴任で不在がちな寂しい幼少期を過ごしたと明かしています。

似た境遇を持つ2人がおしどり夫婦として家族を大切にしてきた背景には、幼少期に感じた「家族」への憧れが共通してあったのでしょう。

「家族を大切にする根底には、家族に憧れた幼少期があった」というキャシーさんの言葉は、多くの人の共感を呼んでいます。

つらい経験をバネにして素晴らしい家族を築いてきたキャシーさんの生き方は、本当に尊敬できます。

思春期の「不良」時代と家族への憧れ

複雑な幼少期を過ごしたキャシーさんには、思春期にも波乱のエピソードがあります。

夜遊びをするようになった背景

5歳から続いてきた不安定な家庭環境の影響は、思春期になって形として現れることになりました。

キャシーさんは思春期になるとやりきれない思いから夜遊びをするようになったといいます。

「不良」と呼ばれた時代があったとキャシーさん自身が語っており、当時の心境を正直に明かしている点が印象的です。

安定した家族の温かみを求めながらも、どこにもその居場所を見つけられないやりきれなさが夜遊びという形として外に出てきたのでしょう。

「不良」と呼ばれた思春期の葛藤

「不良」と呼ばれた時代があったとあっけらかんと語るキャシーさんの姿には、当時の自分を正面から受け止める強さが見えます。

それでも17歳ごろまで野毛の実家で母親と弟と暮らし続けたという事実は、どんな環境でも家族の絆を手放さなかったことを示しています。

母親がお店を切り盛りしながら必死に子供たちを育てる姿を間近で見て育ったことが、荒れていた時期のキャシーさんの心の支えになっていたのかもしれません。

「不良」と呼ばれながらも、母親が懸命に働く姿だけはしっかりと目に焼き付けていたキャシーさん。

その後の芸能界デビューで見せる行動力や積極性の原点は、この複雑な思春期時代にも育まれていたように感じます。

転換点となった家族への憧れ

その後キャシーさんは1969年に18歳でモデルとして芸能界に踏み出します。

夜遊びをしていた少女が、一転して芸能界のスポットライトを浴びる存在になったことは、当時の周囲の人たちを驚かせたことでしょう。

後に勝野洋さんと結婚してからのキャシーさんが家族を何より大切にする姿勢を貫いてきたのは、幼少期に感じた孤独が逆に大きな原動力となったからに他なりません。

自らが経験した「家族の不在」という痛みを知っているからこそ、温かい家族を守ることへの強い意志が生まれたのでしょう。

複雑な幼少期と不良時代を経て、芸能界きってのおしどり夫婦へと成長したキャシーさんの軌跡は、まさに人生のドラマだと思います。

強くて愛がある母親の生き方と54歳での別れ

キャシーさんの人生を語るうえで欠かせないのが、母親への深い思いです。

横浜・野毛でお店を切り盛りした母

キャシーさんの母親は、横浜・野毛で1階のお店を経営しながら子供たちを育てた強さのある女性でした。

「とても強くて愛がある人でした」とキャシーさんが語る言葉からは、母への深い尊敬と愛情が伝わります。

戦後の横浜という時代背景の中で、離婚後ひとりでお店を切り盛りしながら子育てをするというのは、並大抵のことではありません。

弟とキャシーさんの2人の子供を養いながら野毛で商売を続けた母親の生き方は、まさに「強さ」そのものでした。

ダイアモンド☆ユカイの母との戦時中の絆

キャシーさんの母親とダイアモンド☆ユカイさんの母親は、戦時中に青春時代を過ごした親友同士でした。

この2つの家族は長年にわたって家族ぐるみの付き合いを続けており、夏にはハワイで一緒に休暇を過ごすほどの仲でした。

ダイアモンド☆ユカイさんは後に「何より、キャシー姉さんに出会わせてくれた、おふくろに感謝。舞台が実現したのが夢のよう」と語っており、2つの家族の絆の深さが伝わります。

横浜の下町で時代を共に生きた2人の母親の友情は、子の代にもしっかりと受け継がれていきました。

実話を元にした舞台「虹の彼方に」

キャシーさんは母親とダイアモンド☆ユカイさんの母親の実話をもとに、舞台「虹の彼方に~きぃちゃんとまぁちゃんの秘密~」を原案として制作しました。

戦時中に青春時代を送った2人の母親の物語を舞台として残したいというキャシーさんの思いが形になった作品です。

夫の勝野洋さんが主演を務め、家族一丸となって制作に携わったこの舞台は、母への深い愛と感謝の表れでもありました。

役名「中島菊江」として演じた女優・十碧れいやさんは「太陽のような、キャシーさんを育てられたお母さん。すてきな方という思いがある」と語っており、舞台を通じてキャシーさんの母親像が広く伝わりました。

母の死と残されたもの

キャシーさんが勝野洋さんと結婚した1979年、母親は54歳でこの世を去りました。

「私を勝野に託して安心したのでしょうか」というキャシーさんの言葉は、娘の幸せを見届けてから旅立った母の愛を感じさせます。

「母ほどは強くはないけど、最近すごく母に似てきました」と語るキャシーさんの姿には、年月を重ねて母親に近づいていく娘の姿があります。

母が54歳で逝った年齢をとうに超えた今も、キャシーさんは野毛の実家の前に立つと母を思い出して胸がいっぱいになると明かしています。

母が遺した「強さと愛」はキャシーさんの中に確かに生き続け、その生き方を通じて子供たちや孫たちへと受け継がれています。

キャシー中島と実家の地・横浜の深い縁

ハワイ生まれでありながら横浜の下町で育ったキャシーさん。

ハワイ生まれ・横浜育ちという独特の背景

キャシーさんはアメリカ・ハワイ州マウイ島で生まれ、3歳から日本に来て横浜で育つという独特のバックグラウンドを持っています。

ハワイと横浜という2つのルーツが交差した経歴は、後のハワイアンキルト作家としての活動にも自然につながっていったことが興味深いです。

ハワイ生まれという出自が、日本にハワイアンキルトを紹介する先駆者となった背景にあることは間違いありません。

異文化を持ちながら横浜という港町の下町で育ったからこそ、国際的な感覚と日本的な温かさの両方を体現できるタレントになれたのでしょう。

野毛再訪の感動エピソード

キャシーさんは横浜高島屋でのトークショーに出演した後、親友たちと野毛で夕食を楽しむ機会がありました。

その際に実家の前まで足を運んだところ、建物がそのままの形で残っていたのを発見したといいます。

「ありました!あの頃のまま!」と思わず驚き、1階がお店、2階が住居という実家の記憶がよみがえったとブログに綴りました。

お店の名前は変わっていたものの建物はそのままだったという事実が、横浜・野毛という場所とキャシーさんの深い縁を物語っています。

横浜がキャシーさんを形成した土台

「ここに立つと、母を思い出して胸がいっぱいになります」という言葉が示すように、横浜・野毛はキャシーさんの原点であり心の故郷です。

複雑な幼少期を過ごしながらも、母親の強さと愛情を間近で見て育ったこの場所が、今のキャシーさんを作り上げた土台になっていることは間違いないでしょう。

芸能界という華やかな世界に長く身を置きながらも、キャシーさんの言葉には常に下町育ちの温かさと人間味があふれています。

ハワイとも東京とも違う、横浜・野毛という土地が持つ独特の人情味がキャシーさんの人格の底に流れているように感じます。

キャシー中島の実家育ちが育んだ才能と家族の絆

  • 18歳でモデルデビュー|芸能界への第一歩
  • 勝野洋との馴れ初めと結婚の軌跡
  • ハワイアンキルト第一人者への歩み
  • 現在の自宅と家族との2世帯生活
  • 長女・七奈美さんへの思いと受け継がれる精神

18歳でモデルデビュー|芸能界への第一歩

野毛の実家から、キャシーさんはどのようにして芸能界へと踏み出したのでしょうか。

1969年のモデルデビューと才能の開花

キャシーさんは1969年、18歳のときにモデルとして芸能界に踏み出しました。

ハワイ生まれの異国的な顔立ちと横浜で培った独特の雰囲気がモデルとして高い評価を受けることになりました。

当時のモデル時代の写真を見ると、スラリとした体型でポーズを決める18歳のキャシーさんの美しさが際立っており、現在もファンを驚かせています。

厳しい指導で知られる著名カメラマン・藤井秀樹さんに師事しており、「厳しい先生でした!」と後に感謝の言葉を口にしています。

タレントへの転向と幅広い活躍

モデルとしてのキャリアをスタートさせたキャシーさんは、その後タレントに転向し、テレビを中心に幅広い活躍を見せました。

明るく朗らかなキャラクターと、どこかアメリカンな雰囲気が日本のお茶の間に好評を博し、多くの番組に出演しました。

ハワイ生まれという希少性と、横浜の下町で育った庶民的な温かさの両面を持つキャラクターが、幅広い層に支持されるタレントとしての地位を確立しました。

野毛の実家でたくましく生きた母親の背中を見て育った少女が、芸能界のスポットライトを浴びる存在になったのです。

55年以上のキャリアと今なお続く挑戦

2025年、キャシーさんは自身のインスタグラムに18歳のモデル時代のレアショットを公開しました。

ファンからは「若い時も今もずっと綺麗」「安西マリアさんに似てますね」など多くの反響が寄せられました。

「70代も結構楽しいのよ。なんでもチャレンジできる!ダメでも70代にしては頑張ってるって思える。楽しいよ」という言葉は、年齢を前向きに捉えるキャシーさんらしさが凝縮されています。

55年以上にわたる芸能生活を経た今もなお現役で活動し続けるその姿は、多くのファンに感動と勇気を与え続けています。

勝野洋との馴れ初めと結婚の軌跡

キャシーさんの結婚エピソードは、芸能界でも有名な話です。

テレビで一目惚れしての猛アタック

キャシーさんと勝野洋さんの馴れ初めは、キャシーさんが偶然テレビに映っている勝野さんを見て一目惚れし、猛アタックをしたことが始まりでした。

「太陽にほえろ!」でテキサス刑事役を演じ、お茶の間の人気者となっていた勝野さんに対し、積極的にアプローチしたキャシーさんのエピソードは有名です。

好きになったら一直線というキャシーさんの行動力は、野毛の下町で育った飾り気のなさからきているのかもしれません。

「猫を見に来ない?」という出会いのきっかけ

勝野さんは最初、「騙されているのではないか」と疑って避けていたといいます。

しかしキャシーさんから「猫を見に来ない?」という誘いを受け、「猫好きだから見に行くよ」と訪問したことがきっかけでそのまま一緒にいるようになったと明かしています。

ハプニングのような馴れ初めから始まった2人の関係は、結婚46年を超えるおしどり夫婦の愛へと育っていくことになります。

ここ、なんかドラマみたいで素敵ですよね。

1979年の結婚と実家への思い

2人は1979年に結婚し、最初の自宅として渋谷区西参道の2LDKマンションを購入しました。

キャシーさんが見つけてきた物件だったといい、後にこのマンションは購入価格よりも高値で売却できたことも明かしています。

そして、この結婚した年に母親が54歳で亡くなるという悲しみも重なり、喜びと悲しみが交錯した特別な年となりました。

野毛の実家で一緒に暮らした母親の最期を見届けてから、キャシーさんの新しい人生が始まったといえるでしょう。

おしどり夫婦46年の秘訣

「ママの言うとおりにしなさい!」と子供たちに言い聞かせる勝野さんの姿を長男・洋輔さんが暴露するなど、夫婦円満のエピソードには事欠きません。

約束を破って飲みに行ってしまう勝野さんへのキャシーさんの”こっそり仕返し”も話題になりましたが、それも2人の深い信頼関係があってこそです。

幼少期にそれぞれ「家族」への憧れを抱いて育った2人が、温かい家族を一から築き上げてきた歩みはとても尊いものがあります。

ハワイアンキルト第一人者への歩み

キャシーさんはタレントとしての活動と並行して、ハワイアンキルト作家としても世界的な評価を得るに至りました。

パッチワークとの出会いとスクール開設

キャシーさんがキルトを始めたのは20歳ごろのことでした。

もともと趣味として始めたパッチワークでしたが、子供が幼稚園に通い始めた頃にママ友にその技術を教えたことをきっかけに、教室として発展させることになりました。

その後、生活の拠点を御殿場に移し、御殿場に1号館スタジオKを開設するまでに規模が大きくなっていきました。

野毛の実家で手先の器用さと創造することへの情熱を育んでいたキャシーさんにとって、キルトはまさに天職ともいえる出会いだったのでしょう。

ハワイアンキルトの第一人者へ

日本にハワイアンキルトを紹介し第一人者と呼ばれるまでになったキャシーさんは、その後全国6店舗のキルトスタジオを展開するまでに成長しました。

アメリカンパッチワーク・ステンドグラスキルト・アップリケキルト・ハワイアンキルトなど、あらゆる手法のキルト製作とデザインを手掛けています。

ハワイアンキルトの第一人者として国内では名を馳せながらも、海外のコンテストではアップリケキルトの製作者として大きなタイトルを数々受賞しており、国際的な評価も非常に高いものがあります。

65冊以上の著書と全国展開

2017年にはキルト生活45周年・芸能生活50周年を同時に迎え、その間に発行したキルト関係の本だけでも65冊を超えるという驚異的な実績を持ちます。

年間を通じてキルト展や講演会を全国各地で開催しており、タレントとキルト作家という二足の草鞋を見事に両立してきました。

全国6店舗のキルトスタジオでは後進の指導にも力を注いでおり、キャシーさんのキルト文化を広める活動は今も続いています。

長男・洋輔さんもフランス留学でキルトを学び、現在はキャシーさんの仕事を手伝いながら自身のブランドも立ち上げるなど、母の背中を追って活躍しています。

現在の自宅と家族との2世帯生活

横浜・野毛の小さな実家で育ったキャシーさんが、現在どんな暮らしをしているか気になりますよね。

東京・3階建て2世帯住宅の暮らし

現在のキャシーさんの自宅は、1階に事務所とショップ、2階に次女・雅奈恵さんファミリーが住み、3階にキャシーさんと勝野洋さんが暮らす3階建て2世帯住宅です。

「私たちの家は2世帯で住んでいます」と自身のSNSで明かしており、キッチンやダイニングリビングは別々ながら、お風呂はひとつという近い距離感が特徴的です。

1階の事務所とショップはキャシーさんのキルト関連の活動拠点となっており、仕事と生活が隣り合わせの充実した毎日が伝わってきます。

孫たちとの温かい日常

2世帯住宅ならではの醍醐味として、キャシーさんは孫たちと過ごす日常の喜びをSNSで頻繁に発信しています。

「お風呂に入りに来ます。そして出たあとは必ずリビングに来てアイスキャンディーを食べます。この時間が楽しみなのよ」とキャシーさんが語るように、毎日の何気ない時間に幸せを感じています。

かつて5歳で両親の離婚を経験し10歳まで他人の家に預けられた少女が、今は孫たちに囲まれた温かい家族の中心にいるという事実は、とても感動的です。

「家族に憧れた幼少期があった」と語ったキャシーさんが、自らの手でこれだけ豊かな家族を築き上げてきたことの意味は大きいでしょう。

勝野ファミリーの結束

勝野洋さんとキャシーさん夫妻と、次女・雅奈恵さん・長男・洋輔さんで構成される勝野ファミリーは、芸能界でも屈指の仲良し家族として知られています。

「徹子の部屋」に家族4人で出演した際の微笑ましいエピソードや、勝野さんが「ママの言うとおりにしなさい!」と子供たちに言う姿がSNSで話題になるなど、家族の絆の強さは多くのファンに愛されています。

結婚46年を超えて今もラブラブぶりを発揮する2人の姿は、「家族に憧れた幼少期」を持つ2人だからこそ余計に輝いて見えます。

長女・七奈美さんへの思いと受け継がれる精神

キャシーさんの家族について触れるとき、長女・七奈美さんへの思いは欠かせません。

長女・七奈美さんの突然の病

キャシーさんと勝野洋さんの長女、七奈美さんは2008年12月に結婚直後から体調不良を訴え始めました。

当初は風邪・気管支炎・肺炎と診断が変わり、2ヶ月経ってもせきが止まらないため精密検査を行ったところ、最も完治が難しい肺がんの一種「小細胞がん」と判明しました。

たばこも吸わず、お酒も飲まず、食事にも気を使っていた七奈美さんが29歳という若さでがんと闘うことになるとは、家族にとって信じられない出来事でした。

懸命の治療もむなしく、がん細胞が骨に転移し、2009年7月7日に家族に看取られながら静かに息を引き取りました。

悲しみを乗り越えたキャシーさんの強さ

七奈美さんを失ったキャシーさんは「もう針も持てないかと思いました」と語っています。

しかし七奈美さんがオレンジ系が好きだったことを思い出し、「そんな色の作品なら針が持てるかなと思って」とキルトを再開したことで「まるで娘と会話をしているかのように、楽しく作れた」といいます。

「七奈美は『楽しそうなお母さんが好き』と言っていたから、私が悲しむ姿は喜ばない」という言葉で前を向き続けたキャシーさんの強さは、野毛の実家で見た母親の生き方と重なります。

石を探すとき「七奈ちゃん、いい石みつからないんだけど、どこかにない?」と心の中で呼びかけると不思議なことにポンと見つかったりするという話は、娘と今もつながっているキャシーさんの愛を感じさせます。

773チャリティーの設立と若者へのメッセージ

七奈美さんを失ったキャシーさんは、がん研究やがん患者を支援する「773(ななみ)チャリティー」を設立しました。

若い人もがんになりうること、そして早期発見の大切さを伝えることが七奈美さんの遺志だったといいます。

「若い人も年に1回は健診を受けてほしい」というキャシーさんのメッセージは、最期まで回復を信じ続けた七奈美さんへの最大の供養となっています。

受け継がれる七奈美さんの魂

七奈美さんがデザインしたジュエリーは今も次女・雅奈恵さんや長男・洋輔さんが引き継いで身につけています。

洋輔さんはお姉さんが身につけていた指輪をネックレスにリメイクして今も持ち歩いており、「いつも側に感じていられる」とキャシーさんは語ります。

キルトもジュエリーも、そして家族を大切にする思いも、横浜・野毛の小さな実家から始まった物語は今も続いています。

少しでもキャシーさんの実家や家族のことが伝わっていたら嬉しいです。

キャシー中島の実家と家族を巡る総まとめ

  • 実家は神奈川県横浜市・野毛エリアにある小さな家
  • 1階がお店・キッチン・お風呂、2階が住居という間取り
  • 母と弟の3人暮らしで17歳ごろまで野毛の実家に住んでいた
  • 5歳で両親が離婚という複雑な幼少期を経験
  • 10歳まで近所の血縁者ではない女性の家に預けられて育った
  • 思春期は夜遊びで「不良」と呼ばれた時代があった
  • 母親はダイアモンド☆ユカイの母と戦時中からの親友同士
  • 2人の母の実話をもとにした舞台「虹の彼方に」を原案した
  • 母親はキャシーさんの結婚した年に54歳で死去
  • 1969年・18歳でモデルとして芸能界デビュー
  • 勝野洋さんに一目惚れして猛アタック、1979年に結婚
  • 20歳ごろからパッチワークを始め、ハワイアンキルト第一人者
  • 現在は全国6店舗のキルトスタジオを経営・著書65冊以上
  • 現在の自宅は3階建て2世帯住宅で孫たちと温かく暮らす
  • 長女・七奈美さんを2009年29歳で亡くしながらも前を向き続けている

▶️他のタレントの実家を知りたい|カテゴリー・記事一覧