蛯原友里の実家は宮崎県佐土原町|上京のきっかけと家族の絆

蛯原友里の実家は宮崎県佐土原町|上京のきっかけと家族の絆

※当記事は公開情報をまとめた考察記事です。記載内容は執筆時点で確認できた情報に基づきます。
※本サイトのコンテンツには、商品プロモーションが含まれています。

「えびちゃん」の愛称で親しまれる蛯原友里さんは、宮崎県出身のトップモデルです。

1990年代後半から2000年代にかけて「エビ売れ」と呼ばれる社会現象を引き起こし、数々の雑誌やCMで圧倒的な存在感を示してきました。

実家は宮崎県宮崎市の佐土原地区にあり、お母様の「好きなことはやりなさい」という言葉が上京のきっかけになったことは広く知られています。

現在もご両親との絆は深く、応援に駆けつけてくれるほど家族の仲が良いことで有名です。

この記事では、蛯原友里さんの実家や出身地にまつわるエピソード、ご両親や夫との関係、そして二度の出産と育児の素顔についてまとめました。

記事のポイント

①:実家は宮崎県の佐土原地区にある

②:上京のきっかけは母親の言葉だった

③:ハーフという噂は事実ではない

④:36歳と42歳で二人の子供を出産

蛯原友里の実家がある宮崎県と出身地の魅力

  • 【宮崎県出身】実家がある佐土原町の環境
  • 佐土原高校時代の地元での青春エピソード
  • 九州産業大学に進学した理由と福岡時代
  • 上京の経緯|母親の言葉が背中を押した
  • えびちゃんはハーフという噂の真相と根拠
  • 実家への深い想いと帰省エピソード

【宮崎県出身】実家がある佐土原町の環境

 

この投稿をInstagramで見る

 

YURI_EBIHARA(@yuri_ebihara)がシェアした投稿

蛯原友里さんの基本プロフィールを、以下の表にまとめました。

項目 内容
本名 蛯原友里(えびはら ゆり)
生年月日 1979年10月3日
2026年04月03日現在の年齢 46歳
出身地 宮崎県宮崎市佐土原地区
身長 169cm
血液型 B型
出身高校 宮崎県立佐土原高等学校
出身大学 九州産業大学芸術学部デザイン学科
所属事務所 スペースクラフト
職業 モデル・女優・タレント
配偶者 ILMARI(RIP SLYME)
子供 長男(2015年生まれ)・長女(2021年生まれ)

宮崎県宮崎市佐土原地区とはどんな場所か

佐土原は、宮崎市の北西部に位置する地区です。

もともとは佐土原町という独立した自治体でしたが、2006年に宮崎市に合併されました。

南国の温暖な気候と豊かな自然に恵まれており、のどかな田園風景と住みやすい環境が広がっています。

地区内には佐土原城跡(現在は「鶴松館」として整備)もあり、歴史と自然が共存する落ち着いたエリアです。

宮崎県はチキン南蛮の発祥地としても有名で、蛯原友里さんも幼い頃からお母様の手作りチキン南蛮が大好きだったと語っています。

宮崎グルメや自然の中で育ったことが、彼女の明るくおおらかな人柄を形成したのかもしれませんね。

えびちゃんが育った地元の環境と人柄への影響

蛯原友里さんは、宮崎県の豊かな自然の中で幼少期を過ごしました。

地元・佐土原で伸び伸びと育ったことが、彼女の底抜けに明るくポジティブな性格の土台になっていると思います。

「えびちゃん」の愛称で親しまれる笑顔の裏には、地元宮崎で培われた温かな家族の絆と、のびやかな故郷の環境があるのではないでしょうか。

宮崎県は日照時間が長く、南国らしい開放的な雰囲気が地域全体に漂っています。

そういった環境で育ったからこそ、蛯原友里さんは「悩まない・忘れる・考える前に動く」というポジティブな思考法を自然と身につけていったのかもしれません。

また、宮崎県は水泳が盛んな地域でもあります。

蛯原友里さんの特技が水泳であることも、南国の温暖な気候と整った環境が影響しているのかもしれないですね。

夏の長い宮崎では、海や川での水遊びが子供たちにとって身近な遊びとなっており、自然とスポーツへの親しみが育まれる環境があります。

地元への愛着は今でも深く、蛯原友里さんはたびたびインタビューで宮崎の良さを語っています。

宮崎県は農業も盛んで、マンゴーや日向夏などのフルーツが特産品として有名です。

こうした豊かな食文化の中で育ったことが、蛯原友里さんの「母の手料理が一番好き」という感覚につながっているのでしょう。

故郷・佐土原の穏やかな自然と温かな家族の記憶が、現在の蛯原さんを支える大きな力になっているのだと感じます。

佐土原高校時代の地元での青春エピソード

蛯原友里さんは宮崎県立佐土原高等学校に進学しました。

佐土原高校は、宮崎市佐土原地区に位置する公立高校で、文武両道の精神が育まれている学校です。

蛯原友里さんの特技は水泳で、高校時代にそのスキルをさらに磨いたと言われています。

温暖な宮崎の気候は水泳に適しており、地元の学校でも水泳教育が充実していたことが想像されます。

高校時代にモデルへの夢が芽生えた

蛯原友里さんがモデルという夢を持ったのは、高校時代のことだったと言われています。

「モデルとして東京で実力を試してみたい」という強い気持ちが、この頃から少しずつ形成されていったのかもしれません。

地元宮崎の普通の高校生活を送りながらも、いつか東京のファッション業界で活躍したいという夢を心に描いていたのでしょう。

高校生活では、多くの友人と青春の時間を過ごしたことが想像されます。

宮崎という地域柄、自然の中での活動や地元のイベントなどを楽しみながら、のびのびとした青春を送っていたのではないかと思います。

地元・佐土原で過ごした高校時代の経験は、今の蛯原友里さんの人格形成に大きな影響を与えています。

「地元が好き」「故郷に帰りたい」という気持ちは、この頃の青春の記憶から来ているのかもしれません。

宮崎県はスポーツ大国としての側面もあり、全国的に活躍する選手を数多く輩出してきた地域です。

蛯原友里さんの特技である水泳も、こうした宮崎のスポーツ文化の中で自然と育まれたものかもしれません。

蛯原友里さんが通っていた高校では、部活動や体育祭など、地域の仲間と切磋琢磨する場面も多かったことでしょう。

そういったチームワークの精神や、仲間を大切にする気持ちが、現在の蛯原さんの人柄に色濃く反映されています。

東京という競争の激しい世界で生き抜けたのも、地元の学校で培った「諦めない精神」が根底にあったからこそだと思います。

また、蛯原友里さんはインタビューで宮崎の話題になると目を輝かせて話すことが多く、地元への深い愛情が伝わってきます。

高校時代の思い出が詰まった佐土原の街は、今でも彼女の心のよりどころとなっているのでしょう。

九州産業大学に進学した理由と福岡時代

高校卒業後、蛯原友里さんは九州産業大学芸術学部デザイン学科に進学しました。

九州産業大学は福岡市東区に位置する私立大学で、芸術・デザイン分野に強みを持つことで知られています。

地元・宮崎から福岡という都市部へ出た経験が、その後の上京への準備期間となっていたと言えるでしょう。

宮崎と福岡では、都市の規模も文化も大きく異なります。

大学時代に福岡という都会の空気に慣れ、新しい環境への適応力を身につけたことが、のちの東京生活の土台になったのではないかと思います。

芸術・デザインを学んだことがモデル業への礎に

九州産業大学のデザイン学科では、美的感覚やビジュアル表現の基礎を学びます。

こうした学問的な背景が、モデルとしての審美眼やファッションへの理解を深めることにつながったと考えられます。

蛯原友里さんは後にファッションモデルとして頂点を極めることになりますが、大学での美術・デザイン教育が、その素地を作っていたのかもしれません。

また、九州産業大学では芸術的なセンスを持つ学生たちと交流する機会も多く、刺激的な学生時代を過ごしたことでしょう。

蛯原友里さんが2011年に福岡市博多区のキャナルシティ博多でトークショーと握手会を行ったことがありました。

大勢のファンが詰め掛けるほどの人気を誇る彼女が、福岡に来るたびに特別な感情を抱くのは、大学時代に青春を過ごした街への愛着があるからでしょう。

「エビちゃん」の愛称で親しまれる蛯原さんは九州産業大学に学び、福岡とも縁が深い人物です。

九州各地でのファン活動や芸能活動の第一歩を、福岡という地で踏み出していたことも、彼女のキャリアにとって大きな意味を持っています。

ここ、気になりますよね。

宮崎から福岡へ、そして福岡から東京へ——。

蛯原友里さんの上京への道のりは、段階的なステップアップの連続だったのです。

九州産業大学での学びと生活が、後のトップモデルとしての活躍を下支えした重要な時期だったと言えるでしょう。

上京の経緯|母親の言葉が背中を押した

大学を卒業後、蛯原友里さんはモデルとして東京で挑戦することを決意します。

「モデルとして東京で実力を試してみたい!」——そう心に決めた瞬間があったといいます。

「失敗してもいいから、行ってくるね!」という言葉を残して上京したエピソードは、多くのファンの心に刻まれています。

父親の反対を乗り越えて

しかし、この上京の決断は簡単なものではありませんでした。

蛯原友里さんがモデルとして東京で挑戦したいと告げたとき、お父様は快く賛成してくれなかったそうです。

娘が遠い東京に行くことへの心配や、モデルというキャリアへの不安があったのかもしれません。

そんな状況を変えたのが、お母様の「好きなことはやりなさい」というひと言でした。

母親のその言葉に後押しされ、蛯原友里さんは思い切って上京を決意します。

「好きなことはやりなさい」——この言葉は、蛯原友里さんにとって人生のターニングポイントとなる金言となりました。

お母様がいなければ、現在の「えびちゃん」は存在しなかったかもしれないのですから、その言葉の重みは計り知れないものがあります。

上京後のホームシックと成長

いざ東京へ出た蛯原友里さんですが、上京直後は実家が恋しくて毎日泣いた日もあったそうです。

宮崎の温かな家庭環境から離れ、ひとり東京という大都会で生きることへの孤独感や不安は、想像を絶するものがあったでしょう。

それでも諦めず、夢に向かって前進し続けた蛯原友里さんの姿勢は、本当に素晴らしいと思います。

ホームシックで泣きながらも、着実にモデルとしてのキャリアを積み重ねていったのです。

その後、「エビ売れ」と呼ばれる社会現象を起こすほどのトップモデルになるとは、上京当初の蛯原友里さん本人も想像していなかったかもしれません。

泣いた夜があったからこそ、成功をつかんだときの喜びも大きかったのでしょう。

「失敗してもいいから」という覚悟を持って飛び込んだ東京での挑戦が、その後の輝かしいキャリアへとつながったのです。

故郷・宮崎の家族への想いと、モデルとしての夢——。

その両方を胸に抱きながら歩んだ上京からの日々が、蛯原友里さんという人間の厚みを作り上げていったのだと感じます。

えびちゃんはハーフという噂の真相と根拠

ネット上では「えびちゃんはハーフなのか?」という疑問の声が見受けられます。

結論から言うと、蛯原友里さんはハーフではなく、純粋な日本人です。

この疑惑が生まれた背景には、いくつかの要因が考えられます。

ハーフ疑惑が生まれた理由

まず、蛯原友里さん自身の外見が挙げられます。

彫りの深い顔立ちとすらりとした長身は、日本人離れした印象を与えることがあり、「ハーフではないか」という憶測を呼ぶことがあります。

また、もう一つの大きな要因として、夫のILMARIさんがハーフであることが関係していると思われます。

ILMARIさんは日本人の父親とフィンランド人の母親を持つハーフで、フィンランド人の血を受け継いだ独特の雰囲気を持っています。

蛯原友里さんとILMARIさんがカップルとして注目を集めてきた経緯の中で、「夫がハーフ=妻もハーフ?」という誤解が生まれてしまったのかもしれません。

さらに、ILMARIさんは幼少期をフィンランドで過ごし、その後日本に移住した経歴を持っています。

こうした夫の国際的な背景が、蛯原友里さんのハーフ疑惑にも影響を与えている可能性があります。

噂を否定する根拠

蛯原友里さんがハーフではないことを示す根拠として、まず出身地が挙げられます。

プロフィールには宮崎県出身と明記されており、両親ともに日本人であることがさまざまな情報源から確認できます。

また、蛯原友里さん自身もハーフであるという発言をしたことはなく、ハーフを示す公式な記録も存在しません。

TBSの番組「暮らしのレシピ」では、お母様が作ってくれる宮崎名物のチキン南蛮について語る場面があり、ごく普通の日本の家庭で育った様子が伝わってきます。

えびちゃんがハーフだという噂は事実ではなく、ネット上で広まった誤情報です。

外見的な印象や夫との混同から生まれた噂に過ぎないので、そのままの蛯原友里さん——宮崎県出身の純粋な日本人トップモデル——として理解していただければ幸いです。

実家への深い想いと帰省エピソード

上京してトップモデルになった今も、蛯原友里さんの実家・宮崎への想いは変わりません。

ご両親は今でも蛯原友里さんの応援に駆けつけてくれるほど仲が良く、家族の絆の深さが伝わってきます。

TBSの番組「暮らしのレシピ」に出演した際、蛯原友里さんは故郷との絆についてこのように語っています。

「遠くにいても家族みんなが応援してくれている。そう思うことが原動力となり、どんなお仕事でも頑張れる」——。

この言葉からは、実家・宮崎の家族がいかに蛯原友里さんの活動の支えになっているかが伝わってきます。

ランウェイでもご両親を意識する

特に印象的なエピソードが、ショーのランウェイを歩く際のエピソードです。

ステージ裏からご両親に電話して座席の場所を確認し、ウォーキング中に親のいる場所を意識しながら歩くこともあるといいます。

今でも応援に駆けつけてくれるというご両親の存在が、プロとしての蛯原友里さんの活動に大きな力を与えているのでしょう。

ここ、気になりますよね。

どんなに有名になっても、ランウェイの上で「お父さん・お母さん、見てて」と思えるその感覚——純粋でとても素敵だと思います。

チキン南蛮と故郷の味への愛着

蛯原友里さんの実家にまつわる最も有名なエピソードのひとつが、チキン南蛮です。

宮崎県出身のえびちゃんは、幼い頃からお母様が作ってくれるチキン南蛮が大好きだったと語っています。

チキン南蛮は宮崎県延岡市発祥のご当地グルメで、揚げた鶏肉に甘酢をかけてタルタルソースを添えた料理です。

その懐かしい味が、東京で孤独を感じるときも、忙しい仕事の合間も、心のよりどころになっていたのかもしれません。

TBSの番組では、実際にチキン南蛮を作りながら家族のお話をする場面もあり、故郷の味と家族への愛情がひとつになったエピソードとして多くの視聴者の印象に残っています。

宮崎の実家と、そこで待つご家族、そしてお母様の手料理——。

それが蛯原友里さんにとって、どんな辛い時期も乗り越えてこられた「原点」だったのでしょう。

蛯原友里の実家の家族と結婚・育児の素顔

  • 父親・母親の人物像とチキン南蛮の思い出
  • ILMARIとの結婚と夫の故郷フィンランドへ
  • 36歳と42歳の出産|体力差のリアルな実感
  • 長男と長女への愛情スタイルと家族の絆
  • モデルと母親業の両立と前向きな生き方

父親・母親の人物像とチキン南蛮の思い出

 

この投稿をInstagramで見る

 

YURI_EBIHARA(@yuri_ebihara)がシェアした投稿

蛯原友里さんのご両親について、公式に詳細なプロフィールが公表されているわけではありません。

ただ、さまざまなインタビューや番組出演を通じて、その人物像の一端が見えてきます。

以下に、現在判明している範囲でご両親の情報をまとめました。

続柄 詳細
父親 宮崎県在住(職業非公表)。当初は上京に反対していた
母親 宮崎県在住(職業非公表)。「好きなことはやりなさい」と上京を後押し

当初は反対だった父親の姿

蛯原友里さんがモデルとして東京に出たいと伝えたとき、お父様は快く賛成してくれなかったそうです。

これは娘を想う父親として、ごく自然な反応だったと思います。

地元・宮崎を離れて遠い東京に娘が行くことへの心配、そしてモデルという不安定な職業への懸念があったのでしょう。

しかし今では、ご両親そろって蛯原友里さんの応援に駆けつけてくれるほどの仲の良さです。

上京に反対していたお父様も、娘の活躍を誰より喜んでいる一人に違いありません。

背中を押してくれた母親の言葉

そんな父親の反対を覆したのが、お母様の「好きなことはやりなさい」というひと言でした。

この言葉は、蛯原友里さんの人生を変えた金言として、多くのメディアで取り上げられています。

「好きなことはやりなさい」——たったこれだけの言葉ですが、その言葉には母親としての深い愛情と信頼が込められていました。

娘の可能性を信じ、背中を押してくれたお母様の存在こそが、「えびちゃん」誕生の最大の功労者と言っても過言ではないかもしれません。

蛯原友里さんが現在もポジティブで前向きな姿勢を保ち続けていられるのは、こうしたお母様から受け継いだ「挑戦を恐れない精神」があるからこそだと感じます。

チキン南蛮に込められた母の愛

ご家族のエピソードの中でも特に有名なのが、チキン南蛮のお話です。

TBSの番組「暮らしのレシピ」では、宮崎県出身のえびちゃんがお母様の手作りチキン南蛮について語り、実際に作りながら家族のお話をする場面がありました。

幼い頃からお母様が作ってくれるチキン南蛮が大好きだったという蛯原友里さん。

「故郷の味」として、東京での忙しい仕事の合間にも思い出すほどの大切な味だったのでしょう。

チキン南蛮というシンプルな宮崎料理に込められたお母様の愛情が、蛯原友里さんの心の中に今も生き続けているのだと思います。

ILMARIとの結婚と夫の故郷フィンランドへ

蛯原友里さんは2009年にRIP SLYMEのメンバー・ILMARIさんと結婚しました。

ILMARIさんのプロフィールを以下にまとめます。

項目 内容
本名 今井啓二
グループ RIP SLYME
父親 日本人
母親 フィンランド人
幼少期 フィンランドで過ごし、その後日本に移住

ILMARIとはどんな人物か

ILMARIさんは日本人の父とフィンランド人の母を持つハーフで、幼少期をフィンランドで過ごしたのち日本に移住してきた経歴を持ちます。

RIP SLYMEはJPOPヒップホップシーンを代表するグループとして知られており、ILMARIさんはそのメンバーのひとりです。

蛯原友里さんとILMARIさんのカップルは、モデル×ミュージシャンという組み合わせとして当時大きな話題を呼びました。

ふたりは2009年に入籍し、それ以来仲睦まじい夫婦として知られています。

フィンランドへの家族旅行

結婚後、蛯原友里さんは夫の故郷であるフィンランドを訪れたことがありました。

蛯原さんはInstagramで、フィンランドの湖畔で子どもと一緒に戯れる様子や、おとぎ話の世界のように美しい景色を眺める様子を公開しています。

「大自然」「大切な家族」「のんびり」「この景色忘れない」「最高の夏」「ありがとう」というメッセージとともに投稿された家族写真には、多くのファンから温かいコメントが寄せられました。

「絶景ですね!ILMARIさんのご実家があったりするのかな?」「素敵な家族写真」「幸せのおすそ分けありがとう」——。

フィンランドのおとぎ話のような美しい大自然の中で過ごした家族時間は、蛯原友里さん一家にとってかけがえのない思い出になったことでしょう。

宮崎の温かな実家で育った蛯原友里さんと、フィンランドという異国の地にルーツを持つILMARIさん。

ふたりが作る家族は、日本とフィンランド、両国の文化を受け継いだユニークで豊かなものになっているのかもしれません。

36歳と42歳の出産|体力差のリアルな実感

蛯原友里さんは、二度の出産を経験しています。

以下の表に出産に関する情報をまとめました。

項目 第1子(長男) 第2子(長女)
出産年 2015年 2021年
出産時の年齢 36歳 41〜42歳
性別 男の子 女の子

36歳での初産と産後の回復

蛯原友里さんは36歳で第1子となる長男を出産しました。

初めての妊娠・出産となった長男の時は、無性に体を動かしたくなって、週に何度もマタニティビクスやヨガ、トレーニングなどに通っていたといいます。

それほどアクティブに過ごしていたことが、産後の回復にもよい影響を与えたのかもしれません。

長男が5歳を迎えた頃から体力的にも気持ち的にも余裕ができ、「そろそろ第2子がほしいな」と思うようになったそうです。

42歳での第2子出産と体力差の実感

41歳での妊娠を経て、蛯原友里さんは42歳で長女を出産しました。

第2子の妊娠は、長男が「ママ、赤ちゃんいるね!」と言いだしたのがきっかけで、まだ本人も気づいていない時期だったといいます。

「子どもって予知能力があるというか、そういうことがわかったりするって言いますよね」と蛯原友里さんは笑いながら語っています。

人生2度目の出産は気持ちに余裕があったものの、36歳の初産と42歳の2度目を比べると体力の衰えを痛感したといいます。

産後は体がガタガタに。体に力が入らずフラフラ、節々が痛くてヨレヨレ。

「志村けんさんのコントに登場する”ひとみばあさん”のようになってしまった時期もあった」と笑いながら語る姿は、えびちゃんらしいユーモアが溢れています。

それでも体重の増加は第1子のときと同様に10kg増くらいに落ち着いたそうで、体力は落ちても体型のコントロールは変わらずできていたようです。

第2子のマタニティ生活では、週1のパーソナルトレーニングのみにとどめながら無理なく過ごしたといいます。

36歳と42歳、それぞれの出産で経験したことが、蛯原友里さんに「大人ママの未来は明るい!」という前向きなメッセージとして昇華されています。

長男と長女への愛情スタイルと家族の絆

蛯原友里さんの育児スタイルは、とにかく愛情たっぷりです。

長男と長女、ふたりの子育てについての言葉からは、家族みんなへの深い愛情が伝わってきます。

長男への「愛してる攻撃」

第2子が生まれて長男が寂しい思いをしないよう、蛯原友里さんが心がけているのが「今まで以上に大好き攻撃」です。

朝起きたら夫婦二人で抱きしめて、チュー&スリスリ&ギュ〜!これを一日に何度も繰り返すといいます。

娘のお世話をするときは「お兄ちゃんにも同じことをしたんだよ」と伝え、「これはお兄ちゃんが使っていたものなんだよ」と息子のお古を娘にも使うよう心がけているそうです。

「同じだよ攻撃」と名付けたこの方法は、妹だけが特別でないことを伝えると同時に、自分がどれだけ愛されて育ったかを長男自身が再確認する作業にもつながっているのかもしれない、と蛯原さんは語っています。

長男が妹の誕生を予知していた

実は娘がお腹にやってくる前、長男が「ママ、僕も赤ちゃんが欲しい」と言いだしたそうです。

公園で滑り台の順番待ちをしているときに突然そう言いだしたといいます。

そして本当に妹が生まれると「僕が欲しいと言ったから来たんだよ」と自慢気に話していたというエピソードは、多くの読者の心を和ませます。

長男は赤ちゃん返りすることなく、妹が泣くと真っ先に駆け寄り優しくトントンしてあげるお兄ちゃんに成長したといいます。

家族みんなで妹の誕生を望んでいたからこそ、こんなに自然な形で受け入れられたのでしょう。

寝る前の絵本タイムと空想物語

息子との睡眠前の絵本タイムも大切にしているといいます。

絵本を読んだ後はいつも一緒に空想でストーリーを作るのがわが家の恒例。

息子にタイトルを考えてもらうのですが、「パンケーキドラゴン」というタイトルから始まって、「でも、ドラゴンは柿も好きなんだよ」という息子のひと言で物語は急展開——そんなほほえましい家族の日常が伝わってきます。

夫のILMARIさんは続きものの長編小説が得意で、毎回同じキャラクターが登場する物語を作るのが得意だとか。

家族みんなでゲラゲラ笑いながら想像の世界を楽しむ——そんな温かな時間が、蛯原友里さん家族の幸せの形なのだと感じます。

モデルと母親業の両立と前向きな生き方

第2子出産後、約4カ月のお休みを経て蛯原友里さんは撮影現場に戻ってきました。

「前日は緊張したり不安になったりするのかなと思っていたんですけど、現実はバタバタでネガティブなことを考える余裕すらなくて。おかげで、まるで昨日も撮影をしていたかのような気持ちでカメラの前に戻ることができました」と語っています。

モデルとしての仕事への情熱は、出産後も少しも衰えていないことが伝わってきます。

蛯原友里さんのポジティブ哲学

蛯原友里さんが日々の育児と仕事を両立できる秘訣として、彼女自身が語るポジティブな思考法があります。

それが「悩まない・忘れる・考える前に動く」という3つのモットーです。

夫に協力してほしいことがあればストレートに言う。考えても答えが出ないモヤモヤは寝て忘れる。家事は面倒くさいと思い始める前に動いてやっつけてしまう。

「余計なことは考えない、ある意味、すごくシンプルなんだと思う」と蛯原友里さんは語ります。

今は悩んでいる時間なんてないから、ネガティブな気持ちはさっさと手放すようにしているそうです。

「子どもはどんどん成長していく、同じ日は一日だってないんだから。その大切な一日は悩み苦しむよりも楽しみたい。どうせなら、笑って過ごしたいじゃないですか!」——この言葉には、えびちゃんの人生哲学が凝縮されています。

夫ILMARIのサポートと夫婦の絆

モデルと母親業の両立を支えているのが、夫ILMARIさんの存在です。

ILMARIさんはオムツ替えはもちろん、お風呂も喜んで入れてくれ、仕事復帰初日の夜は蛯原さんを気遣い夕食を作ってくれたといいます。

「母としての私もモデルとしての私もサポートしてくれる、そこには本当に感謝しています」と蛯原友里さんは語ります。

子どもという共通の大切な存在ができて、夫婦の絆はより強くなった。「恋人だったときよりも、今の彼のほうが好き」とほほえむ蛯原友里さんの言葉は、とても素敵ですよね。

現在の活動状況

現在、蛯原友里さんはテレビ朝日系の「BeauTV ~VOCE」などにも出演し、精力的に活動を続けています。

また三井不動産のCM出演など、企業イメージキャラクターとしても引き続き活躍中です。

「モデルの仕事にやりがいを感じるのは、モニターに自分の想像を超える写真が映し出されたとき。そしてそれを見たスタッフみんなの表情がパッと明るくなるとき。やっぱり私はこの仕事が好き。これからもずっと続けたい!!」——この言葉からは、モデルへの飽くなき情熱が伝わってきます。

故郷・宮崎県佐土原の実家で育まれた前向きな精神を胸に、蛯原友里さんはこれからも輝き続けることでしょう。

蛯原友里の実家と宮崎出身エピソードの総まとめ

  • 蛯原友里さんの実家は宮崎県宮崎市佐土原地区にある
  • 出身高校は宮崎県立佐土原高等学校で、特技は水泳だった
  • 九州産業大学芸術学部デザイン学科を卒業している
  • 上京のきっかけは母親の「好きなことはやりなさい」という言葉だった
  • 父親は当初上京に反対したが、母親の一言が背中を押した
  • 上京直後はホームシックで毎日泣いた時期もあった
  • 現在もご両親は応援に駆けつけ、ステージ裏から連絡を取り合うこともある
  • えびちゃんがハーフという噂は事実ではなく、純粋な日本人である
  • ハーフ疑惑は夫のILMARIが日本人とフィンランド人のハーフであることとの混同とされる
  • 幼い頃から母親が作るチキン南蛮が大好きで、故郷の味として愛し続けている
  • 2009年にRIP SLYMEのILMARIと結婚した
  • 36歳で長男を、42歳で長女を出産した
  • 第2子出産後は「志村けんのひとみばあさんのよう」と体力の衰えを率直に語った
  • 長男は妹が来ると予知し、「僕が欲しいと言ったから来た」と自慢したほど仲睦まじい
  • 「悩まない・忘れる・考える前に動く」をモットーに前向きな生き方を貫いている

▶️他のモデルの実家を知りたい|カテゴリー・記事一覧