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お笑いコンビ「マテンロウ」のアントニーの実家が「寿司屋」であることはファンの間でよく知られた話だ。
しかし、その背景には実父の早すぎる死と、寿司職人の義父との出会いという複雑な家族の歴史がある。
さらに実家のリビングはアメリカンダイナー風という衝撃のインテリアで、SNSで25万いいねを集めるほどの話題を呼んだ。
東京都北区出身のアントニーは現在36歳。
本記事では、アントニーの実家の場所・家族構成・父親の秘話・義父との絆・兄弟関係・出身地の特徴まで徹底解説する。
記事のポイント
①:実家は東京都北区の寿司屋
②:実父はアフリカ系アメリカ人の元プロボクサー
③:義父は日本人の寿司職人で実家が寿司屋に
④:実家リビングはアメリカンダイナー風
アントニーの実家と家族の生い立ち
- 実家は東京都北区・生まれも育ちも日本
- 実父はアフリカ系アメリカ人で元プロボクサー
- アントニーが2歳のとき父は43歳で肝臓がんにより死去
- 母・堀田てる美が寿司職人の義父と再婚
- 弟のマイケルは義父との間に生まれた
実家は東京都北区|生まれも育ちも東京の下町
アントニーの実家がある東京都北区は、東京23区の北部に位置する下町情緒あふれるエリアだ。
アントニーは1990年2月9日に生まれ、生まれも育ちも日本という純粋な「日本人」として育った。
外見はアフリカ系アメリカ人の血を引くアフロ系の風貌をしているが、日本語しか話せないという正真正銘の日本育ちだ。
北区は荒川や隅田川に挟まれた下町エリアで、王子・赤羽・十条など庶民的な商店街が多く残る地域として知られる。
アントニーは著書『アイ アム ジャパニーズ』の中でも、「生まれも育ちも日本です」という言葉を繰り返しており、北区という土地で育ったことへの誇りが見て取れる。
東京都北区の特徴
北区は東京23区の中でも人口が約35万人の中規模区で、下町の雰囲気が強い地域だ。
区内には飛鳥山公園(日本最古の公園のひとつ)や王子稲荷神社など歴史的スポットが点在する。
庶民的な商店街が多く、昔ながらの生活感あふれる街並みが残っており、アントニーの親しみやすいキャラクターの背景にもなっている。
赤羽エリアは「せんべろ」の聖地としても知られ、飲み屋文化が根付いた活気ある街だ。
北区の地価と生活環境
東京都北区の公示地価(2024年)は住宅地平均で約42〜50万円/㎡程度と、都心の港区・渋谷区と比較するとリーズナブルな水準だ。
赤羽周辺の商業地では60〜80万円台の地点もあるが、全体的に家族が生活しやすい価格帯で、古くから職人や商人が多く住んでいた地域でもある。
こうした下町の土地柄が、寿司職人の義父が根を張るのに適した環境を作っていたとも言える。
北区出身の有名人
| 人物名 | 職業 | 北区との関係 |
|---|---|---|
| アントニー(マテンロウ) | お笑い芸人 | 1990年生まれ、北区出身 |
| 渡辺裕之 | 俳優 | 北区出身 |
| 向井亜紀 | タレント | 北区出身 |
| 吉幾三 | 演歌歌手 | 北区在住経験あり |
下町育ちがキャラクターに与えた影響
北区の下町育ちであることは、アントニーのキャラクターと無関係ではないだろう。
外見はアメリカ人でありながら、しゃべりや価値観は完全に下町の日本人という「ギャップ」がアントニーの芸の根幹にある。
「生まれも育ちも日本です」というアントニーの言葉は、北区という土地で育った誇りでもある。
下町では人情や義理を大切にする文化が根付いており、アントニーが義父への感謝を公言し続けることともつながっている。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出身地 | 東京都北区 |
| 生年月日 | 1990年2月9日 |
| 本名 | 堀田世紀アントニー |
| 身長・体重 | 185cm・110kg |
| 北区の特徴 | 下町・商店街・人情の街 |
実父はアフリカ系アメリカ人の元プロボクサー
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アントニーの実父はアフリカ系アメリカ人で、元プロボクサーという経歴を持つ人物だ。
「世界ランカーだったみたいな」とアントニー自身が語っており、相当のキャリアを持つボクサーだったことがうかがえる。
ボクサーを引退した後は大阪のクラブで歌手として働いており、そこで母・堀田てる美と出会い結婚に至ったという。
父が36歳、母が24歳のときの出会いで、12歳という年齢差があった国際結婚だ。
アントニーが「全然(知らなかった)…初めて聞きました」と驚くほど、多くの事情が秘められていた父親の過去だった。
父親のプロフィールと経歴
アントニーの実父の詳細は、2015年に日本テレビ系「解決!ナイナイアンサー」で初めて詳しく明かされた。
スペイン・ガーナ系のアメリカ人という複雑なルーツを持ち、プロボクサーとして活動後に大阪のクラブで歌手として活動していた。
アントニーはそれまで父の詳細を知らされておらず、この番組で初めて父の過去を知ることになった。
プロボクサーとしての具体的な戦績は公開されていないが、「世界ランカー」と伝わるほどの選手だったとされる。
父と母の出会い
母・堀田てる美さんは、大阪のクラブで歌手として働いていた実父と出会った。
父36歳・母24歳というときの出会いで、アフリカ系アメリカ人と日本人女性の国際結婚となった。
この出会いから生まれたのがアントニーで、アントニー出生後は一家は東京都北区で暮らしていた。
ボクサーから歌手へというキャリア
実父がボクサー引退後に歌手として活動していた事実は、アントニーにとっても驚きの秘話だった。
引退後に芸能的な仕事に携わっていた父の姿と、アントニーがお笑い芸人としてエンターテインメントの世界に進んだことには、何らかの血のつながりを感じさせる。
アントニーがお笑いという舞台で輝いているのは、父から受け継いだエンターテイナーの血かもしれない。
父の国籍とアントニーのルーツ
実父はスペイン・ガーナ系のアメリカ国籍を持つ人物で、アントニーはアフリカ・ヨーロッパ・アジアという複数の人種的背景を持つことになる。
本名「堀田世紀アントニー」の「世紀」は日本的な名前で、母が付けた名前とされている。
「アントニー」というファーストネームは英語圏の名前で、父親の文化的背景を引き継いだ名前だ。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 国籍・系統 | スペイン・ガーナ系アメリカ人 |
| 職業 | 元プロボクサー(世界ランカー級)→歌手 |
| 母との出会い | 大阪のクラブで歌手として働いていた時 |
| 結婚時の年齢 | 父36歳・母24歳 |
| 死亡年齢 | 43歳(肝臓がん) |
アントニーが2歳のとき父は他界|43歳で肝臓がん死去
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アントニーの実父は、アントニーがまだ2歳のときに海外出張先で亡くなった。
死因は肝臓がんで、43歳という若さだった。
アントニーは「まったく記憶ない」と語っており、父の顔や声を覚えていない。
2歳で父を亡くしたアントニーは、母・堀田てる美に女手一つで育てられることになった。
2015年3月10日放送の日本テレビ系「解決!ナイナイアンサー」で母へのインタビューが行われ、この秘話が初めて詳しく語られた。
父の死が明かされた経緯
父の死についての詳細は長年語られてこなかったが、2015年の「解決!ナイナイアンサー」でついて明かされた。
番組では母・堀田てる美さんへのインタビューが行われ、アントニーが「全然知らなかった」という秘話が次々と明かされた。
当時アントニーは25歳で、番組で初めて父の詳しいプロフィールを知ることになった。
シングルマザーとして息子を育てた母
実父を亡くした後、母・堀田てる美さんはシングルマザーとしてアントニーを育てた。
アントニーがハーフであることで差別を受けていないか心配し、「体を流すから」と言ってはお風呂でアントニーの体に傷がないかを確認していたという。
また、アントニーが学校から帰るとカバンの中をチェックし、いじめにつながるものがないかを密かに確かめていた。
この母の深い愛情は、アントニーが後に著書『アイ アム ジャパニーズ』で詳しく語っている。
ハーフとしての幼少期のエピソード
幼少期、公園で通りすがりの老人に「アメリカ人は日本にはいらない!帰れ!」と言われたこともあったという。
しかし、アントニー自身は「いじめられたことはない」と語っており、北区の下町で温かく育てられたことがわかる。
外見のためにさまざまな体験をしながらも、明るいキャラクターを持ち続けたのは、母の愛情と下町の温かい人間関係があったからだろう。
父への思いと著書
2015年に出版した著書『アイ アム ジャパニーズ~これがハーフ芸人の生きる道~』では、父を知らずに育った自分の生い立ちが赤裸々に語られている。
「まったく記憶がない」父に対し、アントニーは複雑な思いを抱えながらも、「日本人として生きてきた」というアイデンティティを大切にしてきた。
この著書はアントニーのハーフとしての葛藤と誇りを描いた一冊で、彼の生き方の根本を理解するうえで重要な作品だ。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 父の死亡年齢 | 43歳 |
| 死因 | 肝臓がん(海外出張先) |
| アントニーの年齢 | 2歳のとき |
| 父の記憶 | 「まったく記憶ない」 |
| 著書 | 『アイ アム ジャパニーズ』(2015年2月出版) |
母・堀田てる美と義父|実家が寿司屋になった経緯
アントニーの母・堀田てる美さんは、実父を亡くした後に寿司職人の日本人男性と再婚した。
この再婚によって、アントニーの実家は寿司屋へと変わることになる。
義父はアントニーをわが子として育て、アントニーも「小さいころから、息子として育ててもらって、感謝しかないです」と公言している。
義父との関係は非常に良好で、寿司屋の一家として家族の絆を深めてきた。
義父はプロの寿司職人
義父は日本人の寿司職人で、再婚後に実家として寿司屋を営んでいる。
「親父(義父)が寿司職人なんで、張り切って寿司を友達家族の分も桶でいっぱい作って」とアントニーが語るほど、義父は積極的に家族のためにも寿司を振る舞っていた。
運動会にも桶いっぱいの寿司を持参するという、まさに寿司屋の父親ならではのエピソードが残っている。
義父と「10歳の告白」エピソード
義父がアントニーに「実の子ではない」と話したのは、アントニーが10歳の誕生日のときだった。
「話がある」と切り出した義父に対し、アントニーは「お前は父さんの本当の子供じゃないんだ」という告白を受けた。
しかしアントニーはすでに事情を察しており、「いや、知ってるよ!」とコントのようなツッコミを返してしまったという。
このエピソードは義父との関係の温かさと、北区の下町で育ったアントニーらしいユーモアを示す逸話として広く知られている。
母・堀田てる美のキャラクター
母・堀田てる美さんは、息子への愛情が深いだけでなく、独自のセンスを持つ個性的な女性でもある。
新居のリビングをコカ・コーラのロゴや星条旗で飾りつけ、アメリカンダイナー風に仕上げたインテリアセンスはSNSで大きな話題を呼んだ。
「おかんシャレオツすぎる」「すごいねママのセンス」と多くのファンに称賛され、アントニーのキャラクターのルーツが母にあることを証明するようなエピソードだ。
本番組で「本当に生まれてきてくれてありがとう」と感謝の言葉を伝えた場面は多くの視聴者の涙を誘った。
実家の寿司屋の所在
アントニーの実家の寿司屋は東京都北区に所在すると言われているが、具体的な店名や住所は公開されていない。
ただし、アントニー自身が実家が寿司屋であることを公言しており、義父の腕前を誇りに思っていることは明らかだ。
帰省するたびに義父の手料理の寿司が食べられる環境は、アントニーが「感謝しかない」と言う義父との特別な関係を象徴している。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 母の名前 | 堀田てる美 |
| 義父の職業 | 寿司職人(日本人) |
| 実家の業態 | 寿司屋(東京都北区) |
| 義父との10歳エピソード | 「実の子でない」告白→「知ってるよ!」 |
| 母の特徴 | アメリカンインテリアが大好きな個性派 |
弟マイケルとの兄弟関係
アントニーには弟のマイケルがいる。
マイケルは義父と母の間に生まれた弟で、アントニーとは父親が異なるが、兄弟として深い絆を持つ。
2015年の「解決!ナイナイアンサー」出演時には、弟マイケルも番組に登場し、家族の絆が紹介された。
アントニーは弟マイケルをかわいがっており、二人のハーフ兄弟としての姿が話題を呼んだこともある。
マイケルのプロフィール
弟マイケルは義父(寿司職人・日本人)と母・堀田てる美の間に生まれた子だ。
義父の血を引いているため、アントニーよりも日本人的な外見を持つとされているが、詳細なプロフィールは公開されていない。
アントニーが公の場で「弟マイケル」と紹介したことで、その存在が広く知られるようになった。
兄弟の絆と家族の関係
アントニーとマイケルは父親が異なるハーフ兄弟だが、その事実を超えて強い兄弟の絆を持っている。
「解決!ナイナイアンサー」の放送後、母・てる美さんが「本当に生まれてきてくれてありがとう」とアントニーに伝えた感動のシーンが話題になった。
こうした家族全員の温かい関係が、アントニーの明るいキャラクターを支えてきたと言えるだろう。
ハーフ兄弟として育つということ
アントニーはアフリカ系アメリカ人と日本人のハーフ、マイケルは日本人同士の子供という複雑な家族構成だ。
しかし、この違いが家族の間で問題になったことはないとされており、寿司職人の義父が「息子として」育てたアントニーへの温かさがすべてを示している。
著書でも語っているように、「自分はハーフだが日本人だ」というアイデンティティは、この家族の関係から育まれたものだ。
SNSでの家族公開と反響
アントニーはXやインスタグラムで家族の様子を公開することがあり、ファンから大きな反響を得ている。
アントニーとマイケルが異なる父親を持ちながらも深い兄弟愛で結ばれているのは、母・てる美さんが築いた温かな家庭環境があってこそです。
特に実家のアメリカンダイナー風リビングの写真は25万いいねを超え、家族を大切にするアントニーの姿が多くの人に愛されている。
家族全体がアントニーの「キャラクター」の一部となっており、笑いと感動が共存する実家エピソードがファンを惹きつけ続けている。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 弟の名前 | マイケル |
| 弟の父親 | 義父(寿司職人・日本人) |
| 家族構成 | 母・義父・弟マイケル・アントニー |
| 兄弟の特徴 | 父親が異なるハーフ兄弟 |
| 家族公開 | Xやインスタで実家の様子を積極発信 |
アントニーの実家エピソードと地域環境
- 実家の寿司屋で運動会に桶いっぱいの寿司を持参
- 実家リビングはコカ・コーラグッズだらけのアメリカンダイナー風
- 2025年に公開した実家リビング写真がSNSで25万いいね
- 展覧会で「日本の文化に触れる外国の少年」と題された衝撃エピソード
- 東京都北区は下町の人情と庶民的な文化が根付く土地
実家の寿司屋|義父の職人技と家族エピソード
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アントニーの実家は義父が営む寿司屋で、家族への寿司提供が日常的にあったことがさまざまなエピソードから明らかだ。
義父は寿司職人としてプロの技術を持ち、特別な日だけでなく普段から家族に寿司を振る舞っていた。
アントニーが「親父が寿司職人なんで」と語るときの誇らしそうな表情は、義父への感謝と愛情を示している。
アメリカ人の実父を2歳で亡くしたアントニーにとって、義父こそが本当の父親そのものだ。
運動会での桶寿司エピソード
小学生時代の運動会では、義父が張り切って友達家族分まで桶いっぱいの寿司を作って持参した。
アントニーは「運動会の昼間に皆が美味しそうに食べてるのがうれしくて」と振り返っており、義父の寿司が友達の家族にも喜ばれていたことを今でも誇りに思っている。
義父が「息子の運動会のために」と張り切る姿は、アントニーへの深い父親愛を示すエピソードとして今も語り継がれている。
展覧会での衝撃エピソード
その運動会の年末の区の展覧会で、思わぬ出来事が起きた。
展覧会に写真も展示されており、アントニーが寿司を食べている写真に「日本の文化に触れる外国の少年」というタイトルが付けられ金賞として貼り出されていたのだ。
「俺が中心でネギトロ食ってる写真が金賞で貼り出されてて」とアントニーは語り、知らない人から見れば「外国の少年が日本文化を体験している」ように見えてしまうというシュールさが笑いを誘った。
MCの千原ジュニアも「知らん人から見たらそうやもんな」と反応し、この話は2025年の「千原ジュニアのヘベレケ」でも大いに盛り上がったエピソードだ。
アントニーにとっての寿司屋という実家
「実家が寿司屋」という事実は、アントニーにとって誇りの一つだ。
帰省するたびに義父の寿司が食べられる環境は、アントニーが「感謝しかない」と言う義父との関係を象徴している。
2025年5月の母の日に公開された「実家なう」の投稿でも、アメリカンなリビングの食卓には寿司がずらりと並んでいた。
外見と実家の「ギャップ」がエンターテインメントに
アメリカ人の外見を持つアントニーの実家が寿司屋というギャップは、多くの人を笑わせる「生き芸」となっている。
「カルフォルニアロールが合いそうな実家だ」「アメリカンな実家なのに寿司が」というファンのコメントが示すように、外見と実家の業種のギャップが最高のエンタメになっている。
アントニーが芸人として「ハーフのギャップ」を武器にするスタイルは、こうした実家環境から自然に培われたものだ。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 実家の業態 | 寿司屋(義父が経営) |
| 義父の職業 | 寿司職人 |
| 運動会エピソード | 桶いっぱいの寿司を友達家族分まで用意 |
| 展覧会エピソード | 「日本の文化に触れる外国の少年」で金賞 |
| ギャップ | アメリカンな外見×寿司屋の実家 |
実家リビングはアメリカンダイナー風
アントニーの実家が最も大きな話題を呼んだのは、2025年2月に公開された実家リビングの写真だ。
母・堀田てる美さんが手がけた新居のリビングは、コカ・コーラのロゴが記された赤い椅子や装飾、「OPEN」のネオンサイン、アメリカ国旗などで飾られた「アメリカンダイナー」そのものの空間だった。
アントニーは「母から新居が完成したから、おいでと言われて行ってみたらとんでもねえリビングだった…」とXに投稿し、25万いいねを超える大反響を呼んだ。
「おれこれからここが実家なのか…」と戦慄した様子も率直に投稿し、多くのファンを笑わせた。
コカ・コーラ一色のインテリア
リビングにはコカ・コーラのロゴが入った椅子、トレイ、装飾品が至るところに配置されている。
「めちゃくちゃセンスありすぎて私の実家って言いたいレベル」「おかんシャレオツすぎる」とファンが称賛するほど、徹底したテーマに基づいたインテリアだった。
アメリカ国旗や白黒写真も壁に飾られており、まさにアメリカのハンバーガーショップを彷彿とさせる空間に仕上がっている。
ビリケン像という隠しポイント
写真の左端には、大阪のシンボルとして知られる金色のビリケン像がそっと置かれていた。
「アメカジに急なビリケン」「コカ・コーラ一色かと思いきや、そっと左下にいらっしゃるビリケンさん」とファンがツッコミを入れるポイントになった。
徹底したアメリカンテイストの中に大阪土産のビリケンが紛れ込んでいるという、母・てる美さんならではのセンスが光っている。
SNSでの反響と話題の広がり
アントニーの実家リビング投稿はXで25万いいねを超え、「完全にアメリカンダイナーww」「ハンバーガー屋にしか見えん」など多くのコメントが寄せられた。
「この部屋アントニーがいて完成する」という的確なコメントも相次ぎ、アントニーの存在とリビングのインテリアの親和性を指摘するファンも多かった。
2025年5月の母の日には「実家なう」として再び投稿し、アメリカンリビングの食卓に寿司が並ぶというシュールな光景も公開された。
アントニーの「とんでもねえリビング」への反応
初めて新居を訪れたアントニーは「おれこれからここが実家なのか…」と戦慄した様子でXに投稿した。
しかし翌週には「実家なう。」と笑顔でリビングに座っている写真を投稿しており、すでに受け入れていることがわかる。
「似合いすぎwww」「これはダイナーすぎる」という反響がアントニーのキャラクターと実家の完璧なマッチングを証明している。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| リビングのテーマ | アメリカンダイナー・コカ・コーラ |
| 特徴的な装飾 | コカ・コーラロゴ椅子・アメリカ国旗・ネオンサイン・ビリケン像 |
| SNS反響 | Xで25万いいね超え |
| 公開時期 | 2025年2月(初公開)・2025年5月(母の日再公開) |
| アントニーの反応 | 「とんでもねえリビングだった…」 |
幼少期と学歴|北区で育ったハーフ芸人
アントニーは東京都北区の公立学校で育ち、生まれも育ちも日本という環境でハーフとして成長した。
著書『アイ アム ジャパニーズ』では、意外にも内気だった幼稚園時代から、野球に打ち込んだ小学生時代、英検に苦労した中学生時代、ヒップホップにハマった高校生時代までが語られている。
この学校生活の記録は、アントニーがいかに「日本人として」育ってきたかを示す重要な証言でもある。
幼稚園〜小学校時代
アントニーは意外にも「内気だった幼稚園時代」だったと著書で語っている。
外見のことでいじめられた記憶はないが、公園で老人に「帰れ」と言われたような体験もある中で育った。
小学生時代は野球に打ち込み、「レフト殺しの異名」がつくほどの活躍をしていた。
義父が運動会に桶いっぱいの寿司を持ってくるなど、温かい家族の支えがあった小学校時代だった。
中学・高校時代
中学生時代は「英検5級に学年でひとりだけ落ちた」という衝撃のエピソードを著書で明かしている。
外見はアフリカ系アメリカ人なのに英語が苦手という、ハーフならではの「ギャップ」エピソードだ。
高校生時代はヒップホップにハマるが「すぐに挫折」し、その後お笑いの道へと進むことになる。
高校では現在のコンビ相方・大野大介と出会い、「お笑いやろう」と誘われた。
NSC入学と芸人デビュー
2009年に吉本総合芸能学院(NSC)東京校に入学し、同期だった大野大介とコンビを結成した。
卒業後の2010年5月にブラックリストを結成し、その後コンビ名をマテンロウに改名している。
若手時代は劇場出演が月3〜4回程度という苦しい時期もあったが、「人志松本のすべらない話」への出演が転機となり仕事が5〜6倍に増えた。
著書と自己表現
2015年2月25日に『アイ アム ジャパニーズ~これがハーフ芸人の生きる道~』(ヨシモトブックス)を出版した。
「まわりの人と肌の色が違うこと」というコンプレックスをどう乗り越えてきたかを赤裸々に語った一冊で、初の著書となった。
「アイ アム ジャパニーズ(私は日本人です)」という強いメッセージが込められており、北区の下町で育ったアントニーの誇りが凝縮された作品だ。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 幼稚園 | 内気な子供だった |
| 小学校 | 野球で「レフト殺し」の異名・運動会の桶寿司エピソード |
| 中学校 | 英検5級に学年でひとりだけ落第 |
| 高校 | ヒップホップに挑戦→挫折・相方大野大介と出会う |
| 2009年 | NSC東京校入学 |
| 2010年 | ブラックリスト結成(後にマテンロウ改名) |
東京都北区の環境と地域文化|アントニーが育った下町
アントニーが育った東京都北区は、東京23区の北部に位置する人口約35万人の下町エリアだ。
荒川と隅田川に挟まれたこの地域は、江戸時代から職人や商人が多く住む「庶民の街」として発展してきた。
王子・赤羽・十条・志茂など個性豊かな商店街が残り、地域の人情が厚い土地柄として知られている。
アントニーが「生まれも育ちも日本」というアイデンティティを強く持てるのも、この北区という温かい下町で育ったからだと言えるだろう。
北区の主要エリアと特徴
北区の代表的なエリアは赤羽・王子・十条・志茂などで、それぞれに個性がある。
赤羽は「せんべろ」の聖地として知られる飲み屋街がある庶民的なエリアで、近年は再開発も進んでいる。
王子は飛鳥山公園があり、春には桜の名所として多くの人が訪れる。
十条は昔ながらの商店街が残る静かな住宅地で、下町らしい生活感が今も色濃く残っている。
北区の公示地価
東京都北区の公示地価(2024年)は、住宅地平均で約42〜50万円/㎡前後となっている。
赤羽の駅前商業地では60〜80万円台の高地価地点もあるが、住宅地としては都心部と比べてリーズナブルだ。
下町エリアとして歴史ある土地柄で、職人や商人の家が代々続いているケースも多く、義父の寿司屋も根付きやすい環境だ。
下町文化とハーフへの寛容さ
北区の下町では人情や義理を大切にする文化があり、見た目の違いよりも「人となり」を重視する土地柄だ。
アントニーが「いじめられたことはない」と語っているのも、この北区の下町文化が背景にあるのかもしれない。
下町の温かい雰囲気の中で育ったアントニーが、ハーフというコンプレックスを明るく笑いに変えられるキャラクターになった土台が北区にある。
北区から生まれた芸人精神
北区という下町は、アントニーの芸人としてのベースとなる「おもろい話をしてなんぼ」という感覚を育てた土地でもある。
「人志松本のすべらない話」で初登場からウケをとったのも、北区の下町で培われた話術と体験があったからだ。
アントニーが語る実家エピソードの多くは北区での生活体験をベースにしており、地元・北区は彼の芸の原点と言える。
下町で育ったことで培われたユーモアと人情感覚が、アントニーの芸風の根幹にあることは間違いないでしょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 区の人口 | 約35万人 |
| 主要エリア | 赤羽・王子・十条・志茂など |
| 地価(住宅地平均) | 約42〜50万円/㎡(2024年公示) |
| 地域の特徴 | 下町・人情の街・庶民的な商店街 |
| アクセス | JR京浜東北線・埼京線・赤羽線など |
アントニーの実家と家族の総まとめ
- アントニーは1990年2月9日生まれ、東京都北区出身のお笑い芸人(マテンロウ)
- 本名は堀田世紀アントニー、身長185cm・体重110kg
- 実父はスペイン・ガーナ系アメリカ人の元プロボクサーで「世界ランカーだったみたいな」ほどの実績
- 実父はアントニーが2歳のとき海外出張先で肝臓がんにより43歳で死去
- 母・堀田てる美がアントニーを女手一つで育てた
- 母が日本人の寿司職人と再婚し、実家が寿司屋に変わった
- 義父はアントニーを「息子として」育て、アントニーも「感謝しかない」と公言している
- 義父が運動会に桶いっぱいの寿司を持参したエピソードが知られている
- 運動会の写真に「日本の文化に触れる外国の少年」と題されて展覧会に金賞展示されるという事件が起きた
- 弟マイケルは義父との間に生まれた弟で、家族全員の仲は良好
- 2015年の「解決!ナイナイアンサー」で家族の秘話が初めて明かされた
- 2025年2月、母の新居リビングをXで公開しSNSで25万いいねを記録
- 実家リビングはコカ・コーラグッズとアメリカ国旗で飾られたアメリカンダイナー風
- 10歳の誕生日に義父から「実の子ではない」と告白され「知ってるよ!」とツッコんだ
- 2015年に著書『アイ アム ジャパニーズ』を出版し、ハーフとしての生き方を語った

