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志賀紅音さんは、女子アイスホッケー日本代表「スマイルジャパン」のフォワードとして活躍するトップアスリートです。
北海道帯広市の実家で育ち、父親・弘明さんや姉・葵さんとともにアイスホッケーの道を歩んできた紅音さんは、現在では海外リーグにも積極的に挑戦する選手へと成長しました。
北京2022冬季オリンピックで2得点1アシストを挙げ、日本女子アイスホッケー史上初の準々決勝進出に大きく貢献した紅音さんは、その後もカナダや北欧で経験を積み、ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックにも出場しました。
この記事では、志賀紅音さんの実家がある帯広市の環境や家族との絆、アイスホッケーを始めた経緯、そして海外挑戦の軌跡について詳しく紹介します。
記事のポイント
①:北海道帯広市出身、父親・弘明さんと育った姉妹
②:小学校の校庭「お手製リンク」でホッケーをスタート
③:北京2022で2得点、日本初の決勝Tへ貢献
④:日本初のPWHL挑戦を経て北欧リーグで活躍
志賀紅音の実家・帯広市とアイスホッケーの原点
- 実家のある北海道帯広市のプロフィールと環境
- 父・弘明さんの人物像と家族の絆
- 実家の校庭リンクで始まったアイスホッケー
- 志賀紅音の学歴と帯三条高校への道
- 平昌五輪を実家のテレビで見て誓った夢
- 北京五輪での志賀紅音の活躍と実家の反応
実家のある北海道帯広市のプロフィールと環境
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まず、志賀紅音さんの基本プロフィールを確認してみましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 志賀紅音(しが あかね) |
| 生年月日 | 2001年3月3日 |
| 2026年04月03日現在の年齢 | 25歳 |
| 出身地 | 北海道帯広市 |
| 姉 | 志賀葵(DFとして同じく日本代表) |
| ポジション | フォワード(FW) |
| 現在の所属 | ルレオHF(スウェーデン女子ホッケーリーグ・SDHL) |
| オリンピック出場歴 | 北京2022(6位)・ミラノ2026(9位) |
| 父親 | 弘明(ひろあき)さん |
| 出身学校 | 帯広市立稲田小学校→帯広市立南町中学校→帯広三条高校 |
北海道帯広市という実家の地域
志賀紅音さんの実家がある帯広市は、北海道の中央部に位置する十勝地方の中心都市です。
広大な十勝平野に広がるこの都市は、農業と酪農で全国的に知られる地域ですが、冬の気温が氷点下を大きく下回る北海道らしい気候を活かして、スケートやアイスホッケーなどのウィンタースポーツが長い歴史を持っています。
帯広市では古くから地域全体でアイスホッケーへの関心が高く、帯広アイスホッケー連盟を中心に子供たちへの普及と強化が継続的に行われてきました。
少年団でホッケーを始め、高校・大学・実業団・代表と成長するルートが整っており、志賀姉妹もこの土壌の中で競技人生をスタートさせた選手です。
帯広市とアイスホッケーの深い関係
帯広市内には本格的なアイスリンクが整備されており、その代表が帯広の森アイスアリーナです。
全日本女子アイスホッケー選手権大会の開催地としても活用されてきたこの施設は、志賀姉妹が幼少期から親しんできた場所のひとつでもあります。
地域全体がアイスホッケーを応援する文化が根づいており、北京五輪後には帯広アイスホッケー連盟の山下司会長から「惜しくも負けてしまったが2人とも素晴らしい活躍」という言葉が届いたほどです。
「今後も十勝から素晴らしい選手を輩出できるように普及と振興、強化に努めていく」という会長の言葉は、帯広という地域が次世代の選手育成を大切にしている証でもありますよね。
志賀紅音さんの競技成績の概要
志賀紅音さんは2001年3月3日生まれで、現在は25歳のフォワードです。
姉の志賀葵さんより1学年下の妹として生まれ、ともに帯広でアイスホッケーに打ち込んできたふたりは、スマイルジャパンの攻守を担う核として知られています。
北京2022冬季オリンピックでは2得点1アシストという結果を残し、日本代表の快進撃をスコアリング面から力強く支えました。
その後は北米・北欧での海外リーグ挑戦でスキルアップを重ね、ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックにも出場するなど、日本女子アイスホッケーを代表するトップ選手としての地位を確立しています。
父・弘明さんの人物像と家族の絆
ここでは、志賀紅音さんの家族、特に父親・弘明さんとの絆について詳しく整理します。
弘明さんの人物像
志賀紅音さんの父親・弘明(ひろあき)さんは、姉妹のアイスホッケー人生を陰で支え続けてきた人物です。
北京五輪が開催された2022年には49歳、ミラノ2026では53歳となる弘明さんは、帯広市内の実家から娘たちの活躍を温かく見守り続けています。
姉・葵さんが高校3年でチーム最年少として平昌2018代表に選ばれた際も、その後に紅音さんが北京2022代表に選ばれた際も、弘明さんは常に娘たちの側に立つ存在でした。
試合中は帯広の実家のテレビの前で固唾をのんで観戦し、試合後は電話やLINEで娘たちに声をかけるというスタイルが、弘明さんの応援の姿勢を物語っています。
北京五輪での実家観戦エピソード
北京2022冬季オリンピックの準々決勝翌日、地元紙・十勝毎日新聞のインタビューに弘明さんは答えています。
帯広市内の実家でテレビ観戦した弘明さんは、試合後に通信アプリのLINEや電話で姉妹と連絡を取り合い、「お疲れさま。ありがとう、と伝えた」と語りました。
準々決勝でフィンランドの名ゴールキーパーを相手にゴールを決めた紅音さんについては、「リバウンドを出そうと思い、シュートしたと話していた」と誇らしそうに振り返っています。
試合結果は残念ながら敗戦でしたが、弘明さんは「2人とも今後のアイスホッケーに生かしてほしい」と前向きな言葉でふたりへのエールを送りました。
娘たちへの言葉と父親としての思い
弘明さんが娘たちに伝えた「お疲れさま、ありがとう」という言葉は、シンプルながらも深い意味を持っています。
強豪との厳しい戦いを乗り越えてきた娘たちへの敬意と感謝が凝縮されたこの言葉からは、勝敗を超えて娘たちの努力そのものを尊重する父親としての姿勢が伝わってきますよね。
また、北京五輪後に帯広で行われる全日本女子アイスホッケー選手権大会に向けても、「五輪代表のチームメートが敵味方に分かれて試合する。五輪の経験を発揮してほしい」とエールを送るなど、常に先を見据えた応援を続けていました。
弘明さんのこうした姿勢が、志賀紅音さんの精神的な支柱のひとつになっているのは間違いないでしょう。
弘明さんが語る姉妹への期待
弘明さんは娘たちの競技への期待を常に言葉にしてきた父親です。
北京五輪後の取材でも「次のオリンピックでも主力で活躍してほしい」という言葉を引き出した元コーチ・榛澤淳さんのコメントと同様、弘明さんも娘たちの次のステージへの可能性を強く信じています。
海外リーグへの挑戦という大きな決断を姉妹がした際も、家族として後押ししてきたであろうことは想像に難くありません。
帯広という地から世界へと羽ばたいた娘たちを、実家から見守り続ける弘明さんの存在は、志賀紅音さんにとってかけがえのない原動力のひとつです。
実家の校庭リンクで始まったアイスホッケー
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志賀紅音さんがアイスホッケーを始めたきっかけは、実家近くの小学校にありました。
お手製リンクが生んだ競技人生
志賀姉妹が通っていた小学校の校庭には、毎冬、保護者たちが水をまいて凍らせた「お手製リンク」が作られていました。
本格的な施設ではなく、地域の大人たちの手によって作られたこの手作りのリンクが、後に日本代表を担う2人のアスリートを生み出したのです。
寒冷な帯広の冬だからこそ実現できる、この「お手製リンク」文化は、地域コミュニティがスポーツを通じてつながっていることを象徴するエピソードでもあります。
志賀紅音さんが幼少期に氷の上でスティックを握り始めた原点がこの場所にあると思うと、なんとも感慨深いですよね。
友人に誘われたホッケーとの出会い
志賀紅音さんがアイスホッケーを始めた直接のきっかけは、友人からの誘いだったと伝えられています。
妹の紅音さんが小学1年生の時、友人に誘われてアイスホッケーを体験したことがきっかけで姉妹ともに競技に入門したという経緯があります。
子供同士のなにげない誘いが、のちにオリンピック代表選手を生み出すことになるとは、当時は誰も想像していなかったでしょう。
この「友人の誘い」という偶然の出来事が、志賀紅音さんの競技人生のすべての始まりだったと考えると、スポーツとの出会いの持つ力を改めて感じます。
冬の放課後は氷上で過ごした日々
アイスホッケーに夢中になった志賀姉妹は、冬場の放課後になると学校の校庭リンクでスティックを握り続けていました。
北海道の帯広は冬が長く、雪と氷に包まれた季節が続きます。
その環境を存分に活かして氷の上で時間を過ごした幼少期の経験は、スケーティング技術の基礎をはじめ、ホッケーというスポーツへの愛情を育む大切な時間となりました。
寒さも厭わず氷上に立ち続けた放課後の積み重ねが、オリンピック代表選手という今の志賀紅音さんを作り上げたと言っても過言ではないでしょう。
後に日本女子アイスホッケーを代表する選手として成長することになる姉妹の物語は、まさにこの帯広の冬の校庭から始まったのです。
志賀紅音の学歴と帯三条高校への道
以下の表は志賀紅音さんの学歴をまとめたものです。
| 学校種別 | 学校名 | 所在地 |
|---|---|---|
| 小学校 | 帯広市立稲田小学校 | 北海道帯広市 |
| 中学校 | 帯広市立南町中学校 | 北海道帯広市 |
| 高校 | 帯広三条高等学校(帯三条高) | 北海道帯広市 |
帯広市立稲田小学校での幼少期
志賀紅音さんは帯広市内の帯広市立稲田小学校に通いながら、アイスホッケーの基礎を磨いていきました。
小学校時代は清水御影少年団に所属し、榛澤淳さんというコーチの指導を受けながら競技を始めています。
榛澤さんは元日本リーガーとして西武鉄道や日光アイスバックスで活躍した経験を持つ指導者で、紅音さんについて「スコアリングが期待される中で素晴らしい結果を残した」と北京五輪後にコメントするほど、その才能を早くから見抜いていました。
優れた指導者の下で小学校時代から基礎をしっかり積み上げたことが、のちの飛躍につながっていったと言えるでしょう。
帯広市立南町中学校での成長
中学校は姉・葵さんと同じく帯広市立南町中学校に進学しました。
中学時代はアイスホッケーの技術をさらに磨くとともに、体力的にも大きく成長する時期です。
帯広市内の中学校でアイスホッケーを続けながら学業との両立を図るというスタイルは、のちにオリンピック代表になった選手の多くが歩んできたルートと共通しています。
地元の中学校でしっかりと基礎体力と技術を蓄えた紅音さんは、高校でのさらなるステップアップへと向かっていきます。
帯広三条高校とアイスホッケーの両立
高校は帯広三条高等学校(帯三条高)に進学しました。
姉・葵さんも同じ帯三条高校出身であり、姉妹で同じ学校のOGとなっています。
帯広三条高校はアイスホッケーが盛んな環境が整っており、日本代表につながる道を歩んだ選手を輩出してきた実績があります。
紅音さんは高校在学中に日本代表候補としての力をつけていきますが、姉・葵さんが高校3年の際に平昌五輪代表に選ばれたのに対し、高校2年だった紅音さんは代表に選ばれることなく、その悔しさをのちの成長の糧としました。
学業とアイスホッケーを両立しながら代表を目指し続けた高校時代の経験が、紅音さんのメンタルの強さを育んだことは間違いありません。
平昌五輪を実家のテレビで見て誓った夢
志賀紅音さんにとって大きな転機となったのが、2018年の平昌冬季オリンピックでの出来事です。
姉・葵の平昌代表選出
姉の志賀葵さんは1999年7月4日生まれのディフェンスで、紅音さんより1学年上の先輩でもありました。
葵さんは高校3年の時にチーム最年少として平昌2018代表に選ばれるという快挙を成し遂げます。
スマイルジャパンの最年少選手として晴れの舞台に立った姉の姿は、当時高校2年だった紅音さんにとって、誇らしさと同時に強烈な刺激を与えるものだったはずです。
姉が高校生でオリンピックに出場するという事実は、「自分もいつかあの舞台に」という夢を具体的な目標へと変える出来事だったと言えるでしょう。
実家で誓った次の五輪への思い
平昌五輪の際、紅音さんは帯広市内の実家で父親・弘明さんと一緒にテレビで葵さんの活躍を見守りました。
テレビ画面に映る姉の姿を見ながら、紅音さんは「次は一緒に出る」と誓ったと伝えられています。
その言葉には、単なる羨望ではなく、姉妹でオリンピックの舞台に立つという強い意志と決意が込められていたことが伝わってきます。
弘明さんの隣で静かに誓ったこの言葉が、その後の4年間の原動力になっていったのです。
4年間で磨いた実力
平昌五輪後、紅音さんは北京2022に向けて猛然と力をつけていきました。
姉・葵さんが先行してオリンピックという経験を積んでいる一方、妹の紅音さんは「姉に負けたくない」という競争心をエネルギーに変えながらトレーニングを積み上げていきます。
実際に紅音さん自身が「姉に負けたくない、と思ったからここまでやってこられた」と語っており、姉妹の切磋琢磨の関係が大きな成長エンジンになっていたことがわかります。
平昌での「見届ける側」という経験が屈辱ではなく、「次は一緒に立つ」という建設的な原動力に変わった4年間は、紅音さんのアスリートとしての強さを物語っています。
北京五輪での志賀紅音の活躍と実家の反応
2022年の北京冬季オリンピックで、志賀紅音さんはついに姉とともに五輪の舞台に立ちました。
姉妹そろっての北京2022代表
北京2022では、ついに志賀姉妹が揃って日本代表として五輪の舞台に立つという夢が実現しました。
ディフェンスの姉・葵さんとフォワードの妹・紅音さん、攻守で異なるポジションを担う姉妹がスマイルジャパンの中核を担うという形は、日本女子アイスホッケーにとってもひとつの象徴的な存在となりました。
姉妹そろってのオリンピック代表というのは、スポーツの世界でも決して珍しくない例ですが、2人が同じチームで、かつ攻守の要を担うというケースはひときわ注目を集めました。
帯広の実家から遠く離れた北京の地で、姉妹は同じユニフォームを着て世界と戦いました。
2得点1アシストという結果
北京五輪での紅音さんのパフォーマンスは、まさに誓い通りの活躍でした。
大会を通じて2得点1アシストという個人成績を残し、チームの得点力として大きく貢献しました。
準々決勝のフィンランド戦では、前年の世界選手権最優秀ゴールキーパーのフィンランド選手を相手にゴールを決めています。
この得点について弘明さんは「リバウンドを出そうと思い、シュートしたと紅音が話していた」と伝えており、攻撃のチャンスを確実にものにする嗅覚を発揮したことがわかります。
チームは日本女子アイスホッケー史上初の決勝トーナメント(準々決勝)進出という快挙を達成し、最終的に6位という成績を収めました。
実家の父・弘明さんの反応
北京五輪準々決勝の翌日、帯広市内の実家でテレビ観戦していた弘明さんは地元紙のインタビューに答えています。
試合後に娘たちとLINEや電話で言葉を交わした弘明さんは、「お疲れさま。ありがとう、と伝えた」とシンプルにコメントしました。
試合の勝敗よりも、最後まで全力で戦いきった娘たちへの感謝と労いを真っ先に届けた弘明さんの言葉には、父親としての深い愛情が込められています。
厳しい試合だったからこそ、その一言の重みは娘たちにとって格別だったはずです。
地元・帯広からの称賛の声
北京五輪での活躍は、帯広市内の関係者からも大きな称賛で迎えられました。
帯広アイスホッケー連盟の山下司会長は「2人とも素晴らしい活躍。特に紅音さんが準々決勝で決めたゴールは日本のアイスホッケーの将来につながる1点だった」と絶賛しています。
また、清水御影少年団時代に姉妹を指導した元コーチ・榛澤淳さんも「スコアリングが期待される中で2ゴール1アシストと素晴らしい結果を残した。葵も1対1での力強い守りでチームに貢献した」と高く評価しました。
榛澤さんは「次のオリンピックでも主力で活躍してほしい」とさらなる期待を寄せており、帯広出身の選手として将来へのエールを送っています。
志賀紅音の実家と海外挑戦・ミラノ五輪への軌跡
- 北京後に決めた海外武者修行という選択
- 日本選手初のPWHL挑戦と北米での経験
- スウェーデンリーグでのさらなる成長と実家帰省
- 脚の負傷を乗り越えた復帰への道のり
- ミラノ2026への挑戦と姉妹で狙うメダル
北京後に決めた海外武者修行という選択
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北京五輪という経験を通じて、志賀紅音さんは次のステージへの課題を明確に持ち帰りました。
北京五輪で痛感した世界の壁
日本は北京五輪で準々決勝に進出したものの、フィンランドに大差で敗れ、6位という結果に終わりました。
この結果を通じて、志賀紅音さんは「世界の上位との間には大きな壁がある」という現実を肌で感じ取りました。
特に、体格やスピードで上回る外国選手を相手に通用する力をつけるためには、日本国内の環境だけでは限界があるという認識が、姉妹の間で共有されていきます。
「海外に出て体が大きくスピードに勝る選手に負けないようにしなければ」という思いが、2人の海外挑戦への決断を後押ししたのです。
海外挑戦という答えを選んだ理由
先輩たちが次々と引退していく中で、志賀姉妹が出した答えは「海外でより高いレベルの環境に身を置く」という共通の決意でした。
日本のリーグでプレーしながら代表活動を続けるという選択肢もある中で、あえて海外の厳しい環境に飛び込む決断は容易ではありません。
しかし、「ミラノ五輪で悲願のメダルを取る」という目標から逆算したとき、海外挑戦は不可欠な道として自然に浮かび上がってきたのでしょう。
この決断は、帯広の実家を離れて遠い外国の地で戦うことを意味しており、家族との距離も大きく変わることになりました。
姉・葵との共通の決意
海外挑戦の決意は、姉・葵さんとの間で自然と共通のものとなっていきました。
2023/24シーズン、姉・葵さんはまずスイス女子ホッケーリーグのレディース・ルガノ・ホッケークラブへの移籍で海外挑戦をスタートさせました。
その後を追うように妹・紅音さんも北米女子プロリーグ(PWHL)への挑戦に踏み出すことになります。
「会えないけど切磋琢磨できていると思っている。日本にいたら当たり前の存在になっていたので、離れた分関係性は良くなっていると思う」という紅音さんの言葉は、別々の道を歩みながらも互いを高め合うという姉妹の在り方をよく表しています。
日本選手初のPWHL挑戦と北米での経験
北米女子プロリーグへの挑戦は、志賀紅音さんが歴史に名を刻む挑戦でもありました。
PWHLとはどんなリーグか
PWHL(Professional Women’s Hockey League)は、2024年にスタートした北米女子プロアイスホッケーリーグです。
北米女子ホッケーの最高峰として位置づけられており、オリンピックで複数回の金メダルを獲得してきたカナダ・アメリカの選手たちが多数在籍する世界最高レベルのリーグです。
このリーグのレベルの高さは、カナダとアメリカが女子アイスホッケーで世界をリードしてきた歴史そのものを体現しています。
北欧や欧州のリーグと並んで女子アイスホッケーの最前線に位置するPWHLへの挑戦は、志賀紅音さんの競技者としての大きな飛躍を示すものでした。
オタワ・チャージとの契約
志賀紅音さんはPWHLのトライアウトを経て、オタワ・チャージと契約を結びました。
これは日本人選手として初めてのPWHL挑戦であり、日本の女子アイスホッケー界にとって歴史的な出来事となりました。
カナダの首都・オタワを本拠地とするオタワ・チャージは、PWHLの中でも競争の激しいチームのひとつです。
日本で培ってきた技術と北京五輪で積み上げた経験を武器に、世界最高峰のリーグへと飛び込んだ紅音さんの挑戦は、多くの日本の若い選手たちに夢と勇気を与えました。
カナダでの24試合と得た経験
PWHL1シーズンで志賀紅音さんは24試合に出場し、着実に実績を積み上げました。
カナダという地で体の大きな選手たちと対戦する日々は、北京五輪で感じた「世界の壁」を乗り越えるための貴重なトレーニングそのものでした。
世界最高峰の選手たちと同じリンクに立ち、同じ目線で競い合う経験は、技術面だけでなく、精神的なたくましさをも鍛え上げるものです。
遠く帯広の実家を離れてカナダという地で奮闘した1シーズンは、志賀紅音さんをひとまわり大きな選手へと成長させました。
日本選手として切り開いた新たな道
PWHL挑戦という事実は、後に続く日本の女子アイスホッケー選手たちにとって大きな道標となりました。
紅音さん自身も「日本の若い選手たちが日本代表選手たちを見て目標にしてもらいたいと思うし、私は海外で2年プレーしているので、自分もそうなりたいと思ってほしい」と語っています。
トップを目指すアスリートとしての本能的な上昇志向と、次世代への責任感が共存していることが、この言葉からよく伝わってきますよね。
帯広の校庭リンクで始まった紅音さんの旅は、今や世界の最前線へとつながっているのです。
スウェーデンリーグでのさらなる成長と実家帰省
PWHLで北米を経験した志賀紅音さんは、次の挑戦の舞台を北欧・スウェーデンに定めました。
ルレオHFへの移籍と目標
2024年7月、志賀紅音さんはスウェーデン女子ホッケーリーグ(SDHL)の強豪・ルレオHFへ移籍しました。
SDHLはヨーロッパ最高峰の女子アイスホッケーリーグのひとつで、スウェーデンやフィンランドなどの北欧勢が高いレベルで凌ぎを削るリーグです。
PWHLで北米の激しいコンタクトプレーを経験した後、SDHLではスピードと組織的なプレーにさらに磨きをかけることを目指しました。
「フィジカルとメンタルの両面でさらなるレベルアップを図る」という明確な目標を持って移籍した紅音さんの姿勢からは、競技者としての貪欲さが伝わってきます。
スウェーデンでの生活とトレーニング
スウェーデンでの生活は、北米とはまた異なる環境での適応を求められるものでした。
ルレオという街はスウェーデン北部の都市で、帯広と同様に冬は厳しい寒さに包まれます。
SDHLのリーグ戦を戦いながら、姉・葵さんが所属するMoDoホッケーとの対戦機会もあり、同じスウェーデンのリーグで姉妹が別のチームとして切磋琢磨するという状況が生まれました。
「心のメンタルの面でもプレー面でもプラスになっている」という紅音さんの言葉は、北欧での挑戦が確実に実を結んでいることを示しています。
オフには実家に帰る姉妹の絆
海外での過酷な生活の中でも、志賀姉妹は実家との絆を大切にしています。
シーズンオフには時期を合わせて帯広の実家に帰り、愛猫と戯れたり、ドライブをしたりして気分転換する傍ら、一緒にトレーニングする時間も取っているといいます。
実家での時間は、世界を舞台に戦うアスリートがリフレッシュし、原点を確認する大切なひとときです。
父・弘明さんや家族と過ごす帯広の実家が、どれだけ精神的な拠り所となっているかは想像に難くありません。
離れた分、関係性は良くなった
海外でそれぞれ別々の環境に身を置くことで、志賀姉妹の関係性に変化も生まれています。
紅音さんは「一緒に住んでいない分喧嘩はなくなった。日本にいたら当たり前の存在になっていたので、離れた分関係性は良くなっていると思う」と率直に語っています。
離れているからこそ、電話でこまめに近況を報告し合い、互いの試合動画を逐一チェックしては助言を送り合うという関係が自然に育まれていきました。
姉・葵さんも「何でも言い合える中なので、いつもいい刺激をもらっている」と語っており、ライバルであり最大の理解者でもある姉妹の関係が、ふたりの成長を支えていることがよくわかります。
脚の負傷を乗り越えた復帰への道のり
ミラノ五輪に向けて順調に経験を積んできた志賀紅音さんに、2025年春、試練が訪れました。
世界選手権での突然の脚負傷
2025年4月に行われた世界選手権では、志賀紅音さんはスターティングメンバーとして活躍を見せていました。
しかしグループリーグ最終戦で脚を負傷し、途中退場を余儀なくされるという事態が起きます。
その直前の2025年2月のミラノ五輪最終予選(北海道苫小牧開催)ではポーランド戦で1得点を決めて出場枠獲得に貢献しており、上り調子の中での突然のアクシデントでした。
ミラノ五輪まで残り1年を切ったタイミングでの負傷は、目標達成への不安を抱かせる出来事でした。
手術・リハビリと試練の期間
帰国後、志賀紅音さんは手術を受け、その後のリハビリに専念することになりました。
アイスホッケーは身体接触の激しいコンタクトスポーツであり、下半身への負担が大きいスポーツです。
リンクを離れた期間中、それまで当たり前のようにスケートを履いて氷の上に立てていた日常がいかに尊いものだったかを改めて感じながら、リハビリに取り組んでいたことと思います。
「ミラノ五輪に間に合わせる」という一点に向けて、試練の時間をひたすら積み上げていった紅音さんの精神力は、アスリートとしての強さの証です。
約3か月でリンクに復帰した強さ
手術・リハビリを経て、志賀紅音さんは約3か月後にリンクへの復帰を果たしました。
2025年8月には「女子ユースキャンプ」に招集され、トレーニングに励む姿が確認されています。
姉・葵さんが同年7月にキャンプに参加していたのに続き、約1か月後には紅音さんも合流を果たしました。
脚の手術・リハビリというプロセスを経て約3か月でリンクに戻るという復帰の速さは、日頃から鍛え上げてきた身体能力と、ミラノへの強い意志が合わさった結果だと言えるでしょう。
逆境を乗り越えたミラノへの意志
負傷からの復帰を果たした志賀紅音さんは、以前にも増してミラノ五輪への強い意欲を持って準備を進めていきました。
「前回とは違い経験値がついている。オリンピック、世界選手権、海外経験を積んで今回は自分らしいプレーができると思う」という紅音さんの言葉には、逆境を糧にした自信がにじんでいます。
試練があったからこそ、競技への感謝と本番への集中力が高まる部分もあります。
帯広の実家でアイスホッケーを始めた小さな女の子が、手術・リハビリという試練を乗り越えてオリンピックの舞台に立つ選手へと成長した軌跡は、多くの人に勇気を与えるものです。
ミラノ2026への挑戦と姉妹で狙うメダル
あらゆる試練を乗り越えた志賀紅音さんは、姉とともにミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックへと臨みました。
ミラノ五輪出場の意義
ミラノ・コルティナ2026は、志賀紅音さんにとって2度目のオリンピックでした。
日本代表(スマイルジャパン)は4大会連続5度目のオリンピック出場を果たし、志賀姉妹は2度目の姉妹揃っての出場という新たな歴史を刻みました。
北京五輪からの4年間でPWHLとSDHLという世界最高レベルの舞台を経験し、負傷からの復帰というドラマも経た紅音さんにとって、ミラノの舞台は特別な意味を持つものでした。
「2人でずっと目指してきた特別な舞台」という葵さんの言葉は、姉妹が積み上げてきたすべての歩みが凝縮されたものでもあります。
姉妹で目指す悲願のメダル
北京五輪では6位という結果に終わったスマイルジャパンにとって、ミラノ五輪は「悲願のメダル獲得」が共通の目標でした。
フォワードとして攻撃の核を担う紅音さん、ディフェンスとして守備と攻撃参加を担う葵さん、この姉妹が揃って輝きを放つ時、日本のメダル獲得の可能性も高まります。
「世界が注目する大会で、メダルを取りたい」という葵さんの言葉は、妹・紅音さんも共有する思いに違いありません。
帯広の校庭リンクから世界の舞台へ、父・弘明さんの「お疲れさま、ありがとう」という言葉を力に変えてきた姉妹の挑戦は、ミラノで新たな章を迎えました。
紅音さんの意気込みと自信
ミラノ五輪に臨んだ紅音さんは、「前回とは違い経験値がついている。オリンピック、世界選手権、海外経験を積んで今回は自分らしいプレーができると思う」と自信に満ちたコメントを残しています。
北京から4年間、PWHLに日本選手初挑戦を果たし、脚の負傷を乗り越えてSDHLでも戦い続けてきた経験は、選手としての厚みを大きく増しました。
「自分らしいプレー」という言葉の中には、世界最高峰のリーグで揉まれた経験への誇りと、攻撃的なフォワードとしての確立したアイデンティティが詰まっています。
次世代へ夢を示す存在として
志賀紅音さんは自身の活躍が次世代の選手たちに与える影響も意識しています。
「日本の若い選手たちが日本代表選手たちを見て目標にしてもらいたいと思う」という言葉は、かつて平昌五輪のテレビ映像を見て「次は一緒に出る」と誓った自分自身の経験が根底にあるでしょう。
帯広市内の小学校の校庭リンクで友人に誘われてホッケーを始めた少女が、オリンピック2大会に出場し、世界最高峰のリーグを経験する選手へと成長した物語は、それ自体が次世代へのメッセージです。
志賀紅音さんのこれからの活躍から、まだまだ目が離せません。
志賀紅音の実家と家族|帯広から世界への軌跡総まとめ
- 志賀紅音さんの実家は北海道帯広市にある
- 生年月日は2001年3月3日、2026年04月03日現在25歳のフォワード
- 父親の弘明(ひろあき)さんが帯広市の実家で娘たちを見守り続けている
- 姉は同じくスマイルジャパンの志賀葵さん(DF、1999年7月4日生まれ)
- 小学校の校庭に保護者が作った「お手製リンク」でアイスホッケーを始めた
- 小学校時代は清水御影少年団に所属、元日本リーガーの榛澤淳さんに指導を受けた
- 学歴は帯広市立稲田小学校→帯広市立南町中学校→帯広三条高校と姉・葵さんと同じ道
- 平昌2018は父・弘明さんと実家でテレビ観戦し、「次は一緒に出る」と誓った
- 北京2022では姉妹そろって出場、紅音さんは2得点1アシストを記録
- 北京後にPWHL(北米女子プロリーグ)のオタワ・チャージと契約(日本選手初)し24試合出場
- 2024年7月にスウェーデン女子ホッケーリーグ(SDHL)のルレオHFに移籍
- 2025年4月の世界選手権で脚を負傷、手術・リハビリを経て約3か月後に復帰
- シーズンオフには帯広の実家に帰省し、姉と一緒にトレーニングや愛猫との時間を大切にしている
- 「離れた分、関係性は良くなった」と語るほど姉妹の絆は海外生活でより深まった
- ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックに出場し、帯広から世界への挑戦を続けている

