有森也実の実家は神奈川県横浜市|父親は佐賀の神社の宮司で30年別居

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有森也実さんの実家について気になっている方は多いのではないでしょうか。

有森也実さんは1967年12月10日生まれで、神奈川県横浜市の出身です。

実家は横浜にありますが、父親の正行さんは佐賀県鹿島市にある松岡神社の宮司を務めていたことでも知られています。

この記事では、有森也実さんの実家の場所や家族構成、父親が宮司を務めた松岡神社の歴史、そして30年以上にわたる両親の別居の真相まで詳しく整理していきます。

記事のポイント

①:実家は横浜市で父方のルーツは佐賀

②:父親は松岡神社の宮司を単身で務めた

③:両親は30年以上離婚せず別居を継続

④:母親は芸能界デビュー寸前だった過去あり

有森也実の実家は横浜|神社と家族の関係

  • 【結論】実家は横浜で神社は父方の家系
  • 父親・正行の職業と神職への道
  • 佐賀・松岡神社の700年の歴史
  • 祖父・徳次から続く神職の家系
  • 母親・久子の人物像と芸能への夢

【結論】実家は横浜で神社は父方の家系

結論から言うと、有森也実さんの実家は神奈川県横浜市にあります。

「有森也実さんの実家は神社なのでは?」という声がネット上にはありますが、これは少し事情が異なります。

実家そのものは横浜市内にあり、神社は父方の家系のルーツがある佐賀県鹿島市に位置しています。

まずは有森也実さんの基本プロフィールを確認してみましょう。

項目 内容
名前 有森也実(ありもり なりみ)
生年月日 1967年12月10日
2026年05月07日現在の年齢 58歳
出身地 神奈川県横浜市
事務所 フリー(2020年〜)
代表作 東京ラブストーリー(1991年)
家族構成 父親・母親・弟の4人家族

横浜で育った幼少期の暮らし

有森也実さんは横浜市内で、父親の正行さん、母親の久子さん、そして弟の4人家族で育ちました。

毎週のように家族でサンドイッチを持って、海の見える公園に遊びに行っていたそうです。

幼い頃はとても引っ込み思案で、ご本人いわく「鼻ペチャで体型もぽっちゃり」な地味な女の子だったとのことですよ。

それでも両親は「かわいい、かわいい」と言って育ててくれたそうで、感謝の気持ちを語っています。

神社との関係は父親の実家

有森也実さんの「実家が神社」と言われる背景には、父親の正行さんが佐賀県鹿島市にある松岡神社の宮司を務めていた事実があります。

ただし有森也実さん自身が育ったのはあくまで横浜であり、佐賀の神社は父方の実家にあたります。

正行さんが神社を継ぐために単身佐賀に戻ったのは、有森也実さんが高校生の頃のことです。

つまり有森也実さんの実家は横浜に、父親のルーツは佐賀の松岡神社に、それぞれあるという構図になります。

芸能デビューのきっかけも横浜から

有森也実さんは中学3年生のときに、ファッション雑誌「Mc Sister」の専属モデルとして芸能界にデビューしました。

母親の久子さんが「やってごらんなさい」と背中を押してくれたことがきっかけだったそうです。

父親の正行さんは「今でなくてもいいのでは」と慎重な姿勢でしたが、母親の後押しが決め手になりました。

その後スペースクラフトという事務所に所属し、社長から「有森は背も高くないし、スタイルもモデル向きではない」と指摘されたことで、女優への道を歩むことになります。

横浜で育ったからこそ、都内の芸能活動にも通いやすかったのかもしれませんね。

父親・正行の職業と神職への道

有森也実さんの父親・正行さんの経歴は、かなり波瀾万丈なものでした。

ここでは正行さんがどのような人物で、なぜ神職の道に進んだのかを整理します。

項目 内容
名前 有森正行
享年 80歳(2017年1月没)
死因 肺がん
職業(前半) 旅行会社勤務・横浜で会社経営
職業(後半) 佐賀県鹿島市・松岡神社宮司
出身 佐賀県鹿島市

横浜での会社経営時代

正行さんはもともと横浜で旅行会社に勤めていた時期があります。

その後、横浜で自身の会社を経営していたとされていますが、事業がうまくいかず失敗に終わったと伝えられています。

家庭では「父親が圧倒的に強い家庭」だったと有森也実さんが語っており、3つ年下の母親は黙って父についていくようなタイプだったそうです。

会社を経営していた時代は、毎週家族で公園に出かけるような穏やかな家庭を築いていました。

佐賀への転身と神職の道

正行さんが佐賀に単身で戻ったのは、有森也実さんが高校生のときのことです。

正行さんの父親(有森也実さんの祖父)が宮司を務めていた松岡神社を、長男である正行さんが継ぐ必要が生じたのです。

横浜での事業に失敗したことも、佐賀に戻る決断に影響したとみられています。

以降、正行さんは亡くなるまで単身で松岡神社の宮司を務め続けました。

母親と娘を横浜に残して佐賀で神職に専念するという選択は、有森也実さんにとって理解しがたいものだったようです。

家族に対する正行さんの姿勢

有森也実さんの証言によると、正行さんは「別れたくなかった」とのことです。

離婚届を書くこともなく、30年以上にわたって別居という形を選び続けました。

直接的に父親と深く話し合う機会は少なかったそうですが、後に母親の遺品からは大量のラブレターが見つかっており、夫婦の間にはたしかな愛情があったことが伺えます。

正行さんは2017年1月に肺がんで亡くなりました。

母親の久子さんが亡くなった約2年後のことで、まるで追いかけるように旅立ったと言われています。

佐賀・松岡神社の700年の歴史

有森也実さんの父親が宮司を務めた松岡神社は、佐賀県鹿島市に鎮座する由緒ある神社です。

ここでは松岡神社の歴史や特徴について詳しく見ていきましょう。

松岡神社の由緒と祭神

松岡神社は、土地の有力者が日本武尊(やまとたけるのみこと)を奉祀したのが始まりとされています。

その歴史は700年以上にもおよび、地元では由緒正しい神社として知られてきました。

日本武尊は古事記や日本書紀にも登場する英雄的な存在で、多くの神社で祭神として祀られている人物です。

松岡神社がこの祭神を戴いているということは、地域にとって非常に重要な信仰の場であったことを意味していますよ。

正行さんが単身で守り続けた神社

有森也実さんの父親・正行さんは、この松岡神社で亡くなるまで単身で宮司を務めていました。

宮司というのは神社の最高責任者であり、祭祀や神事の統括、神社の運営や管理、地域の氏子との連携など、幅広い業務を担います。

それを正行さんは一人で守り続けていたわけですから、相当な覚悟と責任感があったのでしょう。

有森也実さんが松岡神社を訪れたのは、母親の葬儀のときだったと語っています。

それだけ父親との距離があったことが伺えますね。

鹿島市と松岡神社の位置づけ

佐賀県鹿島市は、佐賀県の南西部に位置する自然豊かな地域です。

鹿島市には祐徳稲荷神社をはじめとする歴史的な神社が多く、神社文化が根付いた土地柄と言えます。

松岡神社もそうした鹿島市の神社群の一つとして、地域の信仰を支えてきました。

有森也実さんの父方の家系がこの地に根差していたことを考えると、実家のルーツは佐賀にあると言っても過言ではないでしょう。

横浜で育った有森也実さんにとって、佐賀は「父親が一人で暮らしていた遠い場所」という印象が強かったのかもしれません。

祖父・徳次から続く神職の家系

有森也実さんの実家と神社の関係を理解するうえで、祖父の存在は欠かせません。

ここでは祖父・徳次さんの経歴と、神職の家系がどのように形成されたのかを見ていきます。

祖父・徳次さんの戦争体験

有森也実さんの祖父にあたる有森徳次さんは、昭和12年(1937年)に日中戦争に出征した経歴を持っています。

NHKの「ファミリーヒストリー」でもこの事実が取り上げられており、徳次さんの戦争体験が有森家の歴史に大きな影響を与えたとされています。

戦争から戻った後、徳次さんは松岡神社の宮司としての道を歩み始めました。

戦時中の経験が、神に仕える道へと導いたのかもしれません。

農家から神職への転身

有森家はもともと地元の農家の出身でした。

しかし徳次さんの代から神職の道に入り、松岡神社の宮司を務めるようになったとされています。

農家から神職への転身は珍しいケースですが、地域の有力者との関係や信仰心の深さが背景にあったと推測されます。

徳次さんが築いた神職の基盤が、息子の正行さんへと受け継がれていくことになります。

父親・正行さんへの継承

祖父の徳次さんから父親の正行さんへ、松岡神社の宮司の役職が引き継がれました。

正行さんは長男として、家業を継ぐ責任があったのです。

ただし正行さん自身は最初から神職を志していたわけではなく、横浜で会社を経営するなど別のキャリアを歩んでいました。

事業の失敗と祖父の跡を継ぐ必要性が重なり、佐賀に戻る決断をしたという流れです。

有森也実さんにとっては、祖父から父へと続く神職の家系が、家族の別居という形で自分の人生に影響を及ぼしたことになります。

こうした経緯を知ると、有森也実さんが語る「両親への葛藤」の背景がより深く理解できますね。

母親・久子の人物像と芸能への夢

有森也実さんの母親・久子さんは、華やかな一面を持つ女性でした。

ここでは久子さんの人物像と、芸能界に縁がありながらも叶わなかった夢について整理します。

ミスコン入賞と芸能界デビュー寸前

久子さんはミスコンで入賞し、芸能界デビュー一歩手前まで進んだ経歴を持っています。

芸能や舞踊に強い関心がある華やかな人柄だったそうです。

しかし婚約中だった正行さんが猛烈に反対し、芸能界への夢は叶いませんでした。

久子さんは芸能界へのあこがれを胸に秘めたまま、専業主婦として結婚生活をスタートさせています。

専業主婦としての暮らし

結婚後の久子さんは、横浜で専業主婦として有森也実さんと弟を育てました。

父親の正行さんが「圧倒的に強い」家庭の中で、久子さんは3つ年下ながら黙って夫についていくタイプだったそうです。

一方で芸能界への関心は消えることがなく、娘の有森也実さんがモデルデビューの話を持ちかけられたときには「やってごらんなさい」と背中を押しています。

自分が叶えられなかった芸能の夢を、娘に託した部分もあったのかもしれません。

久子さんの性格と家族との関係

有森也実さんの証言によると、久子さんは「解決する、前に進むということが怖い」タイプの人だったそうです。

離婚についても何度も口にしながら行動には移さず、「その場に立ち止まることの方が楽だった」と有森也実さんは分析しています。

母と娘の間では闘病中もぶつかることが多く、有森也実さんは「少しでも現状をよくしたい」と思う一方で、母親は変化を恐れていたというすれ違いがあったようです。

久子さんは2015年1月に胃がんで亡くなりました。

享年76歳、9年間にもおよぶ闘病の末のことでした。

有森也実の実家の両親と30年別居の背景

  • 両親の別居が30年以上続いた事情
  • 高校時代に直面した家族への葛藤
  • 母親の9年間の闘病と在宅看取り
  • 父の最期と遺品から出たラブレター
  • 有森也実さんの独身と結婚観
  • 弟と4人家族の暮らしぶり

両親の別居が30年以上続いた事情

 

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有森也実さんの実家を語るうえで避けて通れないのが、両親の長期にわたる別居です。

ここではなぜ30年以上も別居が続いたのか、その背景を詳しく見ていきましょう。

別居の始まりと理由

両親の別居が始まったのは、有森也実さんが高校生の頃です。

父親の正行さんが、祖父の跡を継いで佐賀県鹿島市の松岡神社の宮司となるため、単身で故郷に戻りました。

横浜での事業に失敗したことも大きなきっかけだったとされています。

母親の久子さんと有森也実さん、弟は横浜に残り、以降は父親だけが佐賀で暮らす生活が始まりました。

離婚しなかった不思議

興味深いのは、両親が離婚することなく、最期まで別居生活を続けたという事実です。

久子さんは「今年はお父さんのところに行って離婚届に判を押してもらわなくちゃいけないわよね」と何度も口にしていたそうですが、結局一度も行動に移すことはありませんでした。

有森也実さんは「なぜ離婚しないのかということは最期まで教えてくれなかった」と語っており、母親の本心は最後まで謎のままだったようです。

一方の父親・正行さんは「別れたくなかった」とされており、離婚を望んでいなかったことが伺えます。

夫婦それぞれの事情

正行さんは佐賀で宮司として神社を守り続け、久子さんは東京で芸能活動をする娘を支え続けました。

2人ともそれぞれの場所での生活に手いっぱいだったのでしょう。

離れていても籍を抜かなかったのは、形式的な夫婦であっても家族としてのつながりを保ちたかったからなのかもしれません。

有森也実さんは「あれが父と母、2人のスタイルだったのかな」と、現在は両親の関係を受け入れることができたと語っています。

高校時代に直面した家族への葛藤

有森也実さんが両親の別居に最も苦しんだのは、高校時代のことでした。

ここではその当時の心境と、家族に対する葛藤を掘り下げていきます。

「家族は一つの食卓を囲むもの」という価値観

有森也実さんは「家族は1つの食卓を囲むものだ」という家族像に強くこだわっていたと語っています。

当たり前のようにそう信じて生きてきたからこそ、父親が家を出て佐賀に戻るという現実は、受け入れがたいものでした。

離れ離れになる現実を理解するのに、非常に苦しんだそうです。

まだ10代の多感な時期に、家族の形が大きく変わるという経験は、想像以上の衝撃だったのでしょうね。

両親を説得しようとした日々

有森也実さんは両親の仲を取り持とうと、2人を説得したこともあったそうです。

家族の形についてどう考えているのか問いただし、「中途半端な形で離れ離れに暮らすのなら、いっそ戸籍上も離れ離れになってしまえ」と言ったこともあると明かしています。

娘として少しでも現状をよくしたいという思いから、かなり強い言葉をぶつけていたようですね。

しかし両親は有森也実さんの言葉を受けても、最終的に行動を変えることはありませんでした。

30年続いた葛藤とわだかまり

有森也実さんの胸には、30年にもわたる両親への葛藤がくすぶっていたそうです。

怒り、苦しみ、悩み、悲しみ。

いつもそうした感情にさいなまれ続けてきたと振り返っています。

確執といえば大げさかもしれませんが、娘として、ひとりの女性として、両親へのいら立ちをずっと抱えていたのは事実だったようです。

この長い葛藤が解消されるのは、両親が亡くなった後のことでした。

母親の9年間の闘病と在宅看取り

有森也実さんの母親・久子さんは、長い闘病生活を送りました。

ここでは久子さんの闘病の経緯と、有森也実さんがどのように支えたのかを整理します。

胃がん発覚と末期宣告

2006年に久子さんに胃がんが見つかり、すでに末期と告げられました。

しかし久子さんは驚くほどの生命力を見せ、末期宣告からなんと9年間にわたって闘病を続けることになります。

がんの発覚当初、有森也実さんは父親や弟に知らせず、1人で母親を支えていたそうです。

家族に心配をかけたくないという思いと、自分が支えなければという責任感があったのでしょう。

闘病中の母娘のぶつかり合い

9年間の闘病中、有森也実さんと久子さんは何度もぶつかり合ったそうです。

有森也実さんは「娘として少しでも現状をよくしたい」と思い、夫婦の問題を解決してほしいと願っていました。

しかし久子さんは「解決する、前に進むということが怖い人」で、変化を恐れてその場に立ち止まることを選び続けました。

この母娘のすれ違いは、闘病中ずっと続いたようです。

有森也実さんは「母が亡くなった当時、ちっとも悲しくなかった」とまで語っており、それほどまでに複雑な感情を抱えていたことがわかります。

在宅での看取り

久子さんの最期は、在宅で看取る形となりました。

2015年1月、享年76歳で久子さんは息を引き取りました。

9年間の闘病を支え続けた有森也実さんにとって、母の死は複雑な感情を伴うものだったようです。

当時は穏やかな気持ちで手を合わせることができなかったと振り返っています。

「もう少し早くこういう気持ちになれたら、もうちょっと違う家族になれたのかもしれませんね」という言葉が印象的です。

父の最期と遺品から出たラブレター

母親の久子さんが亡くなった後、父親の正行さんにも別れのときが訪れます。

ここでは正行さんの最期と、遺品整理で見つかった感動的なエピソードを紹介します。

母の2年後に亡くなった父

2017年1月、正行さんは肺がんで亡くなりました。

享年80歳、久子さんが亡くなった約2年後のことです。

まるで妻を追いかけるように旅立ったという表現がぴったりでしょう。

30年以上も離れて暮らしながら、2人の間にはたしかな絆があったことを感じさせるエピソードです。

遺品から発見された大量のラブレター

久子さんの死後、遺品を整理していたところ、正行さんと久子さんが結婚前に交わしていたラブレターが大量に見つかりました。

有森也実さんいわく「それはそれはすてきなラブレターだった」とのこと。

相手を思う気持ちが痛いほど伝わってくる内容で、正行さんはラブレターのことを話すと照れていたそうです。

30年以上別居を続けていた夫婦が、結婚前にはこれほどまでに情熱的な手紙を交わしていたのです。

有森也実さんは現在も、2人のラブレターを大事にとってあると語っています。

穏やかな気持ちで手を合わせられるように

有森也実さんが穏やかな気持ちで両親に手を合わせられるようになったのは、父親が亡くなった後のことでした。

30年にもわたる家族の物語は有森也実さんをひどく傷つけてきましたが、今ではその物語が有森也実さん自身を優しく温かく包んでいると報じられています。

「離れてもつながっていた2人に、私、巻き込まれちゃったんだな」という言葉からは、両親の関係をようやく受け入れることができた安堵が感じられます。

こういう夫婦の形もあるのだと、有森也実さんは時間をかけて理解していったのですね。

有森也実さんの独身と結婚観

有森也実さんの実家の家族事情を知ると、有森也実さん自身の結婚観も気になるところです。

ここでは有森也実さんの結婚歴と独身を貫いている理由について見ていきます。

結婚歴はなく独身を継続

有森也実さんは現在まで一度も結婚しておらず、旦那や子供はいません。

結婚を強く意識した時期もあったそうですが、現在は未婚のままです。

「一人でいることって、つらいとかさみしいと思われるものなんですかね」と疑問を投げかけており、独身であることにネガティブな感情は抱いていないようです。

さみしさや不安を感じることがなかったか問われると「そんなこと言ったらきりがないじゃない」と笑って答えています。

両親の別居と結婚観への影響

有森也実さんが独身を貫いている背景には、両親の複雑な夫婦関係が影響している可能性もあります。

30年以上にわたる別居生活を間近で見続けてきた有森也実さんにとって、結婚や夫婦の形に対する考え方は、一般的なものとは少し異なるのかもしれません。

ただし有森也実さん自身は、両親の関係と自分の結婚観を直接結びつけて語ったことはないようです。

「いつでもお嫁に行けるのに」と周囲から言われることもあるそうですが、有森也実さんは自分のペースで人生を歩んでいます。

女優としての充実した現在

有森也実さんは2020年に長年所属したスペースクラフトを退所し、フリーで活動しています。

1991年のドラマ「東京ラブストーリー」で注目を集めて以降、映画やドラマ、舞台で幅広く活躍を続けてきました。

映画「いぬむこいり」(2017年)で主演を務めたほか、こまつ座公演「化粧二題」では代表作と呼べる作品に巡り会えたと語っています。

独身であることを否定的に捉えるのではなく、女優としてのキャリアに集中している姿が印象的ですね。

弟と4人家族の暮らしぶり

有森也実さんの家族構成を最後に整理しておきましょう。

ここでは弟の存在と、4人家族としての暮らしぶりについてまとめます。

弟の存在と家族構成

有森也実さんの家族は父親・正行さん、母親・久子さん、有森也実さん、弟の4人構成です。

弟については詳しい情報が公表されていませんが、有森也実さんより年下の兄弟がいることは本人の証言から明らかです。

続柄 名前 備考
父親 有森正行 松岡神社宮司・享年80
母親 有森久子 専業主婦・享年76
長女 有森也実 女優
非公表 詳細不明

幼少期の家族の日常

父親が佐賀に戻る前、横浜では穏やかな家族の暮らしがありました。

毎週のように家族でサンドイッチを持って、海の見える公園に出かけていたというエピソードが印象的です。

引っ込み思案だった有森也実さんを「かわいい、かわいい」と育ててくれた両親の愛情は、たしかに存在していたのです。

父親が家を出る前の横浜での生活は、4人家族の温かい思い出として有森也実さんの心に残っているでしょう。

別居後の家族のかたち

父親が佐賀に戻った後は、母親と有森也実さん、弟が横浜で暮らす形になりました。

母親の久子さんは東京で芸能活動をする有森也実さんを支え続けました。

弟については、母親の胃がん発覚時に有森也実さんが知らせなかったという記述があり、家族の中でも有森也実さんが一人で多くのことを背負っていたことが伺えます。

現在は両親ともに他界しており、有森也実さんは自宅に両親の遺影を並べて手を合わせる日々を送っています。

離れ離れになっても家族としてのつながりを保ち続けた有森家の姿は、多くの人の心に響くものがありますね。

有森也実の実家と家族の総まとめ

  • 有森也実の実家は神奈川県横浜市にある
  • 父親の有森正行さんは佐賀県鹿島市の松岡神社の宮司を務めた
  • 松岡神社は日本武尊を祭神とする700年以上の歴史を持つ神社
  • 祖父の有森徳次さんが日中戦争に出征後、神職の道に入った
  • 有森家はもともと農家の出身で祖父の代から神職に転身した
  • 父親は横浜で会社経営に失敗し、佐賀に単身で戻った
  • 母親の有森久子さんはミスコン入賞歴があり芸能界デビュー寸前だった
  • 両親は30年以上離婚せず別居を続けた
  • 有森也実は高校時代に父の別居で「家族の形」に強い葛藤を抱えた
  • 母親は2006年に胃がんが発覚し9年間の闘病の末に享年76で死去
  • 父親は母の2年後に肺がんで享年80にて死去
  • 母の遺品から両親が結婚前に交わした大量のラブレターが見つかった
  • 有森也実は現在まで未婚で旦那や子供はいない
  • 家族構成は父・母・有森也実・弟の4人家族
  • 2020年からフリーで活動し女優として第一線で活躍中

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