森高千里の熊本の実家と父親が経営した喫茶店オレンジ・ヒルの場所

森高千里の熊本の実家と父親が経営した喫茶店オレンジ・ヒルの場所

※当記事は公開情報をまとめた考察記事です。記載内容は執筆時点で確認できた情報に基づきます。
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森高千里さんといえば、「私がオバさんになっても」や「渡良瀬橋」などの名曲で知られる、日本を代表する女性歌手のひとりです。

熊本県出身ということは広く知られていますが、熊本の実家がファンの間で長年「聖地」として語り継がれてきたことをご存じでしょうか。

実家は熊本県阿蘇郡南阿蘇村にあり、父親・森高茂一さんが経営する喫茶店「オレンジ・ヒル」として多くのファンが足を運んだ場所です。

店内には森高千里さんの写真やパネルが飾られ、入手困難な貴重なツアーグッズまで展示・販売されていたというのですから、ファンにとってはたまらないスポットだったようです。

この記事では、森高千里さんの熊本の実家について、喫茶店の詳細から家族のエピソード、芸名の由来をめぐる噂の真相まで、わかっている情報を総まとめしています。

記事のポイント

①:実家は熊本県阿蘇郡南阿蘇村の喫茶店

②:父親は元ロカビリーバンドのミュージシャン

③:芸名の由来「高森・草千里」説は本人が否定

④:2016年熊本地震で実家の棚や食器が壊れた

森高千里の熊本の実家「オレンジ・ヒル」の場所と概要

  • 実家の喫茶店「オレンジ・ヒル」の場所と外観
  • ファンの聖地だったオレンジ・ヒルの内部と閉店
  • 芸名「森高千里」の由来|高森と草千里の噂の真相
  • 熊本で通った高校と学生時代のエピソード
  • 2016年熊本地震が実家に与えた影響
  • 大阪生まれ・熊本育ちの生い立ちと上京まで

実家の喫茶店「オレンジ・ヒル」の場所と外観

実家の喫茶店「オレンジ・ヒル」の場所と外観

まず、森高千里さんの基本プロフィールを下記の表に整理しておきます。

本名 江口千里(旧姓:森高千里)
生年月日 1969年4月11日
2026年04月04日現在の年齢 56歳
出身地 熊本県(大阪府茨木市生まれ)
血液型 O型
身長 161cm
出身校 九州女学院高校→堀越学園高校
デビュー 1987年「NEW SEASON」
配偶者 江口洋介(1999年6月3日入籍)
子供 長女・彩花(2000年)、長男・大翔(2002年)

実家がある場所|熊本県阿蘇郡南阿蘇村

森高千里さんの実家があるのは、熊本県阿蘇郡南阿蘇村(旧・長陽村)です。

阿蘇山の麓に広がる自然豊かなエリアで、熊本市内からも車で1時間半ほどかかる山間の場所です。

近くにはテーマパーク「阿蘇ファームランド」があり、観光客も多く訪れるエリアに位置しています。

南阿蘇村は九州の屋根とも称される阿蘇山系に囲まれており、緑豊かな草原と澄んだ空気が広がる景勝地として知られています。

大阪府茨木市生まれの森高千里さんですが、幼少期に家族とともに熊本のこの地に引っ越しており、自然豊かな阿蘇の環境で育ちました。

父親・森高茂一さんの音楽活動に関係した縁があったのか、それとも故郷に近い場所を選んだのかは不明ですが、大自然に囲まれた南阿蘇村での生活が森高千里さんの感性を育んだのは間違いないでしょう。

「渡良瀬橋」や「気分爽快」などの情感豊かな楽曲には、こうした自然の中で育った感性が反映されているのかもしれません。

ログハウス風の外観と看板の特徴

実家の喫茶店「オレンジ・ヒル」は、ログハウス風のおしゃれな外観が印象的な建物でした。

阿蘇の山並みを背景にした自然に溶け込む外観は、南阿蘇村の風景によく合っていたようです。

看板には父親・森高茂一さんが経営していることが明記されており、ファンが迷うことなく訪れることができる場所として知られていました。

このように堂々と経営者が森高千里さんの父親であることを公表していたことが、ファンの間で聖地として広まるきっかけになったといえます。

阿蘇エリアは観光地としての魅力が高く、草千里や阿蘇山の火口見学など多くの観光スポットが集まる場所でもあります。

そのため「阿蘇観光のついでに聖地巡礼」という形で訪れるファンも多く、熊本を代表する芸能人ゆかりの場所として長年語り継がれてきました。

ここ、気になりますよね。ログハウス風の外観が阿蘇の自然とマッチして、それだけでも一度は訪れてみたくなるようなお店だったようです。

ファンの聖地だったオレンジ・ヒルの内部と閉店

外観だけでなく、店内の内容もファンにとって特別な魅力がありました。ここでは「オレンジ・ヒル」の内部と閉店について詳しく見ていきましょう。

店内の展示と特別メニュー

店内には森高千里さんの写真やパネルがいたるところに飾られており、訪れたファンはまるで小さなギャラリーのような空間を楽しめたといいます。

アーティストの実家が公開しているこうした展示は、公式ファンクラブや記念館にも引けをとらない価値があったといえます。

さらにメニューには、森高千里さんの名前を冠したブレンドティーが設けられており、単なる「実家の喫茶店」を超えた特別感がありました。

名前を冠したメニューを提供するというのは、父親・森高茂一さんの娘への愛情と誇りの表れといえますよね。

ファンにとって特にうれしかったのが、グッズの販売・展示コーナーの存在です。

通常のルートでは入手困難となっていた昔のツアーグッズや、レアなアイテムが展示・販売されていたという情報が残っており、コレクター心をくすぐるスポットだったことは間違いありません。

公式グッズが入手できる希少な場所として、一部のファンにはかなり重要な場所として認知されていたようです。

また父親・森高茂一さん自身も元ミュージシャンとしての経験や、娘・森高千里さんについてのエピソードをファンと気さくに話してくれることもあったようで、マスターとの会話がまた楽しみのひとつでもあったといいます。

閉店と聖地の喪失

残念ながら、喫茶店「オレンジ・ヒル」は現在閉店してしまっています。

閉店の正確な時期や理由については公式な発表はなく、詳細は不明のままです。

長年にわたってファンに愛され続けた場所がなくなったことは、多くのファンにとって惜しまれる出来事だったようです。

かつて阿蘇を訪れる森高千里さんのファンは「オレンジ・ヒル」への訪問を目標のひとつにしていたといいます。

看板に森高千里さんの父親が経営していることが書かれており、訪れれば確かな「縁」を感じられる場所でした。

今から聖地巡礼を考えている方には残念なお知らせですが、阿蘇エリアそのものは今も変わらず雄大な自然とともに存在しており、森高千里さんが育った熊本の風景を感じることはできます。

一度でいいから「オレンジ・ヒル」に行ってみたかった、と思っているファンも多いことでしょう。それだけ特別な場所だったということですよね。

芸名「森高千里」の由来|高森と草千里の噂の真相

森高千里さんの芸名の由来について、ファンの間でよく語られてきた噂があります。ここでその真相を整理しておきましょう。

バスガイドが広めた「高森・草千里」説

かつて阿蘇山を周遊する観光バスで、バスガイドが次のように紹介していたという情報が存在します。

「森高千里の”森高”は両親の出身地である高森町から、”千里”は草千里からとった芸名です」というものです。

熊本には確かに「高森町」という地名があり、また「草千里ヶ浜」は阿蘇山の中腹に広がる美しい草原として有名な観光名所です。

この2つの地名を組み合わせると「森高千里」になるという話は、語呂としてもよくできており、観光バスのガイドトークとしてもキャッチーな内容でした。

熊本の聖地巡りをするファンの間でもこの由来説はまことしやかに広まり、ネット上でも一時期よく見かけた情報として流通していたようです。

阿蘇出身の芸能人ということ、そして地名がぴったりと名前に当てはまること——これだけの条件が重なれば、話として広まるのは自然なことかもしれません。

本人が否定した経緯と真実

しかしこの芸名由来説は、本人が明確に否定しており、事実ではありません

そもそも「森高千里」は芸名ではなく本名です。

本名・森高千里として芸能活動を続けてきた彼女は、1999年6月3日に俳優の江口洋介さんと結婚したことで、戸籍上の本名が「江口千里」に変わりました。

つまり現在の本名は「江口千里」であり、「森高千里」は活動名として使用している形です。

生まれた時から「森高千里」という名前だったわけですから、熊本の地名から芸名をつけたという話には、そもそも根拠がないことになります。

観光バスのガイドが言い始めたのか、それとも別の誰かが広めたのかは不明ですが、地名との偶然の一致があまりにも見事だったために定着してしまったのでしょう。

本人が否定しても根強く残ってしまうこういった噂は、芸能界ではよくあることかもしれませんが、森高千里さん本人からすれば少し複雑な気持ちもあったかもしれませんね。

なお草千里ヶ浜や高森町は今も熊本を代表する観光スポットとして多くの旅行者が訪れます。森高千里さんとの縁はなくても、阿蘇観光の際には立ち寄ってみる価値のある場所です。

熊本で通った高校と学生時代のエピソード

熊本での学生時代について、いくつかのエピソードが伝えられています。ここでまとめて紹介します。

九州女学院高校時代の様子

熊本では九州女学院高校に通っていた森高千里さん。女子校での青春時代を過ごしました。

中学時代は運動が得意な活発な女の子だったとも伝えられており、スポーツと勉強のどちらにも積極的だったようです。

小学校時代には英語スクールに通っており、スクールでのニックネームは「アリス」だったというエピソードも残っています。

子供の頃はピンクレディーの大ファンで、解散コンサートにも足を運んでいたといいます。

ピンクレディーは1970年代後半に日本を席巻したアイドルデュオで、独特のダンスや歌は当時の子供たちに絶大な人気がありました。

幼い頃からエンターテインメントに強い関心を持っていたことが、こうしたエピソードからもうかがえます。

また自宅の外では兄や男の子たちと一緒によく遊んでいたとのことで、活発でサッパリとした性格はこの頃から育まれていたのかもしれません。

軽音楽部とプリプリのコピーバンド

九州女学院高校時代に所属したのが軽音楽部です。

そこで森高千里さんはドラムを担当し、当時人気だった「プリンセス プリンセス(プリプリ)」のコピーバンドで演奏していたといいます。

後に自らドラムを演奏しながら歌うシンガーとして活躍することを思えば、まさにこの時代の経験が大きな原点になっていたといえます。

アルバイトとしてはアイスクリーム屋で働いていたというエピソードも残っています。

また高校時代には2時間目の終わりにおにぎり2個を食べ、さらに昼食も普通に食べていたというエピソードも語られており、今の細身なイメージからは想像しにくいほどの食欲を持っていたようです。

堀越学園高校への転校と上京

高校2年生の冬、森高千里さんは東京にある堀越学園高校に転校しています。

堀越学園高校は多くの芸能人が在籍した学校として知られており、芸能活動と学業を両立させやすい環境として知られています。

熊本から東京への大きな環境の変化の中でも、森高千里さんは芸能活動の道を着実に歩み始めていきました。

なお、堀越学園高校時代は仕事がまだ少なかったため、毎日学校に行っていたというエピソードも残っており、当時の真面目な一面がうかがえます。

熊本での学生時代の積み重ねが、東京でのデビューへの土台になっていたことは間違いないでしょう。

2016年熊本地震が実家に与えた影響

2016年4月に発生した熊本地震は、森高千里さんの実家にも直接的な影響を与えました。ここではその経緯を詳しく見ていきます。

熊本地震の規模と森高千里さんのメッセージ

2016年4月に発生した熊本地震は、前震・本震ともに最大震度7を記録した甚大な地震で、熊本県内に大きな被害をもたらしました。

南阿蘇村を含む阿蘇エリアも大きな被害を受けており、土砂崩れや建物の倒壊など深刻な状況となりました。

地震発生後、森高千里さんは公式サイトを通じて被災者へのお見舞いメッセージを発信しています。

「昨夜の地震で被災された方々、まだまだ大変な時間を過ごされていると思います。心よりお見舞い申し上げます」というメッセージには、故郷・熊本への深い思いが感じられます。

被災地に家族がいるアーティストとして、自らの心配を抱えながらもまずファンや被災者への言葉を発信したことに、多くの人が感銘を受けたようです。

実家への被害と家族の安否

地震後、なかなか電話がつながらない状況が続いたものの、最終的に兄家族とも連絡が取れたことをSNSで報告しています。

普段地震の少ない阿蘇エリアでの大きな揺れに、両親も強い恐怖を感じていたとのことです。

実家についても揺れの影響が及んでおり、家の中の棚や食器類、飾っていた絵などが落ちて割れてしまったことを森高千里さん自身が明かしています。

ただ、幸いなことに家族全員に怪我はなく無事だったとのことで、物的被害はあったものの最悪の事態は免れました。

故郷への愛着が深い森高千里さんが、熊本の復興を心から願っていたことは想像に難くありません。

地震から数年が経ち、南阿蘇村を含む被災地域は少しずつ復興を遂げています。あの阿蘇の雄大な自然も、今も変わらず多くの観光客を迎えています。

大阪生まれ・熊本育ちの生い立ちと上京まで

森高千里さんが大阪府生まれでありながら熊本出身として知られる理由、そしてデビューまでの経緯をここで整理します。

大阪から熊本への移住と自然豊かな環境

1969年4月11日、森高千里さんは大阪府茨木市に生まれました。

茨木市は大阪府北部に位置する都市で、大阪市のベッドタウンとして発展してきた地域です。

ただ、森高千里さんが実際に育ったのは熊本県であり、幼少期に家族とともに熊本に引っ越したことで、その後の感性や音楽的ルーツが形成されることになります。

阿蘇の雄大な自然の中で子供時代を過ごした経験が、後の楽曲に感じられる叙情性や情景描写に反映されていると感じるファンも多いようです。

「渡良瀬橋」のような川辺の情景を歌い上げる感性は、自然に囲まれた環境で育ったことと無縁ではないのかもしれません。

ポカリスエットコンテストグランプリとデビュー

熊本での学生生活を送っていた森高千里さんに転機が訪れたのは1986年のことです。

ポカリスエットのイメージガールコンテストにエントリーし、見事グランプリを受賞したことでポカリスエットのCMに出演することになりました。

このCM出演が芸能界への扉を開く契機となり、翌1987年には映画「あいつに恋して」でヒロイン・松前千里役を演じて映画デビューを果たします。

同映画の主題歌「NEW SEASON」でのデビューにより、歌手としての活動もスタートしました。

1989年にはシングル「17才」が大ヒットし歌手として脚光を浴び、1992年には「私がオバさんになっても」が大ヒットして人気歌手の地位を確立しました。

大阪生まれ・熊本育ちというユニークな出自が、彼女の個性豊かなキャラクターと音楽性を形作ったことは間違いありません。

熊本の自然の中で培われた感性が、東京での芸能界デビューを経て開花していったといえるでしょう。

森高千里の熊本での実家生活と家族のエピソード

  • 父親・森高茂一の元ミュージシャン経歴と喫茶店経営
  • 料理上手な母親と思い出の味
  • 3歳年上の兄との兄弟エピソード
  • 実家から届く熊本の味|馬刺しと味噌
  • 熊本の実家が育んだ森高千里の音楽的ルーツ

父親・森高茂一の元ミュージシャン経歴と喫茶店経営

森高千里さんの父親・森高茂一さんについて、以下の表でプロフィールをまとめます。

名前 森高茂一
過去の職業 ロカビリーバンド「オレンジ・ヒル」のメンバー(元ミュージシャン)
引退後の職業 喫茶店「オレンジ・ヒル」のマスター
喫茶店の場所 熊本県阿蘇郡南阿蘇村(旧・長陽村)
喫茶店の現状 現在は閉店

元ロカビリーバンドのミュージシャン

森高千里さんの父親・森高茂一さんは、かつてロカビリーバンド「オレンジ・ヒル」のメンバーとして音楽活動を行っていた元ミュージシャンです。

ロカビリーとは1950年代にアメリカで生まれた音楽スタイルで、ロックンロールとカントリーを融合させたジャンルです。

エルヴィス・プレスリーなどが代表的なアーティストとして知られており、日本でも1950〜1960年代に大きなブームとなりました。

森高茂一さんが所属していたバンドの名前「オレンジ・ヒル」が、後に自らが開いた喫茶店の名前にもなっているのは、音楽への思いを生涯持ち続けていたことを示すエピソードといえます。

バンド名を大切に引き継ぎ、引退後も「オレンジ・ヒル」という名前を自分の店に受け継いだことは、音楽人としての誇りを物語っているのかもしれません。

マスターとしてファンに愛された喫茶店

ミュージシャンを引退した後、森高茂一さんは地元・熊本で喫茶店「オレンジ・ヒル」を開店しました。

娘・森高千里さんのファンにとって、マスターである父親に会えることも喫茶店訪問の大きな魅力のひとつでした。

看板にはマスターが森高千里さんの父親であることが書かれており、ファンとの交流も積極的に行っていたようです。

元ミュージシャンという経歴を持つ父親が娘の後押しをし、自らの店を娘のファンに向けた聖地として開放していたというのは、父と娘の信頼関係の深さを感じさせます。

森高千里さんも実家に帰省した際にはこの喫茶店に立ち寄ることもあったでしょう。父と娘が音楽という共通の絆で結ばれ、それがファンとのつながりにもなっていた——なんとも温かいストーリーですよね。

料理上手な母親と思い出の味

森高千里さんの母親については、名前や詳細なプロフィールは公開されていません。ここでは伝えられているエピソードをご紹介します。

元女優という噂

過去に女優として活動していたことがあるという噂が存在しますが、詳細な活動内容などは明かされていないため確認はできません。

ただ父親が元ミュージシャンという事実を踏まえると、芸能・エンタメ関係の女性と出会う機会があっても不思議ではないとされています。

森高千里さんが歌手・女優として才能を発揮できたのは、両親の芸術的な素養が受け継がれた影響があるのかもしれません。

テレパシーのような料理の腕前と母子エピソード

母親について森高千里さんが公の場で語っているのが、「本当に料理上手で、どれも絶品」というエピソードです。

料理の味はもちろん、盛り付けや手際の良さも素晴らしく、さらに驚くべきは「テレパシーのように食べたいと思っていたものが目の前に出てくる」ほどの感覚の鋭さがあるということ。

食べたいものを言葉にしなくても察知して出してくれるというのは、母親の観察力と愛情の深さを表しているようで、なんとも温かいエピソードです。

森高千里さんは結婚して子供が生まれた後、母の味を再現しようと努力したそうです。

電話でレシピを聞いてみたところ、母親は目分量でやっているとのこと。長年の料理経験から生まれる技は、電話越しに簡単に伝えられるものではなかったようです。

このエピソードは、母の味の奥深さを改めて認識したと同時に、子育てをしながら母親への尊敬を新たにした瞬間だったのではないでしょうか。

目分量で絶品料理を作れるというのはまさに「職人芸」ともいえます。レシピ本を見れば再現できる現代とは違う、経験と感覚が生み出す料理の魅力を感じさせるエピソードです。

3歳年上の兄との兄弟エピソード

森高千里さんの家族構成は、父・茂一さん、母、兄、そして本人の4人家族です。

兄は3歳年上の男性で、現在は一般人として生活しているため、名前や職業などの詳細は明かされていません。

初めてのカラオケボックス体験

兄にまつわる微笑ましいエピソードとして知られているのが、森高千里さんが実家に帰省した際に兄夫婦と生まれて初めてカラオケボックスに行ったというエピソードです。

歌手の妹を持つ兄としては、カラオケボックスとは意外にも縁遠い生活を送っていたようです。

いざ行ってみると「ハマるほど楽しかった」とのことで、初体験ながらカラオケの楽しさを発見したというエピソードは、なんとも愛らしいですよね。

プロの歌手の妹がいながら、一般的なカラオケボックスには行ったことがなかったという兄——これがまた良い意味でほほえましいです。

森高千里さんと兄夫婦が一緒にカラオケを楽しんでいる光景は、スターと一般人の兄という立場の違いを超えた、普通の家族の楽しいひとときとして語り継がれています。

熊本地震時の連絡と家族の絆

2016年の熊本地震発生直後、なかなか電話がつながらない状況が続いたものの、最終的に兄家族とも連絡が取れたことをSNSで報告しています。

東京で活躍するスターが遠く離れた熊本の家族を気にかけ、安否確認後にファンに向けて報告するという行動は、彼女の誠実さと家族への深い愛情を示しています。

普段は一般人として静かに暮らしている兄ですが、大切な家族のひとりとして、森高千里さんとの絆は今も変わらず続いているようです。

実家から届く熊本の味|馬刺しと味噌

東京で生活している森高千里さんですが、熊本の実家とのつながりを今も大切にしているエピソードがいくつか伝えられています。

好物の馬刺しは実家から送ってもらう

森高千里さんの好物として知られているのが馬刺しです。

馬刺しといえば熊本を代表するグルメのひとつで、全国でも有数の産地として知られています。

新鮮な馬肉を薄切りにして生で食べるこの料理は、熊本ではごく日常的な食卓の一品です。

生姜や醤油、にんにくなどで食べるのが一般的で、さっぱりとした味わいと柔らかい食感が特徴です。

他の地域ではなかなか口にする機会がなく、東京での生活では手に入りにくい食材のひとつです。

熊本の実家から馬刺しを送ってもらうという習慣を持っていることが伝えられており、故郷の味を東京でも楽しんでいるようです。

実家から定期的に送ってもらうというのは、距離は離れていても家族との絆が続いていることを示すほほえましいエピソードですよね。

実家の味噌を使った料理

馬刺しだけでなく、実家から送ってもらった味噌を料理に使うという習慣も持っています。

味噌は日本の食卓の基本調味料のひとつですが、地域によって風味や製法が大きく異なります。

熊本の味噌を使った料理は、実家の食卓の味を再現することでもあり、森高千里さんにとって故郷とつながるひとつの手段になっているのでしょう。

ちなみに森高千里さんの得意料理はカレー、お好み焼き、肉じゃがとのこと。

実家の味噌を使った肉じゃがなどは、まさに「お袋の味」を体現した一品になりそうですね。

熊本の食材を取り寄せながら、東京の生活の中に故郷の味を持ち続けているというのは、熊本への深い愛着を感じさせるエピソードです。

熊本の実家が育んだ森高千里の音楽的ルーツ

森高千里さんがミュージシャンとして多才な才能を持つ背景には、熊本の実家での生育環境が大きく影響していると考えられます。

音楽一家という環境

父親・森高茂一さんが元ミュージシャンであったことは、森高千里さんの音楽的なルーツを考える上で欠かせない要素です。

幼少期から音楽が身近にある環境で育った森高千里さんにとって、歌を歌ったり楽器を演奏したりすることは、ごく日常的なことだったのかもしれません。

自宅にカラオケ設備があり、家族で一緒に歌を楽しんでいたというエピソードも残っており、音楽が家族の絆を深めるツールになっていたことが伝わります。

プロの歌手になってから振り返ると、実家のカラオケでの家族との時間が自分の音楽的な土台になっていたと感じることもあるのではないでしょうか。

ピアノから始まった音楽の習得

森高千里さんが幼少期から習っていたのがピアノです。

ピアノは音楽の基礎を学ぶ上で最も一般的な楽器のひとつであり、この習い事が後の音楽活動の土台を作ったといえます。

ピアノで培った音感やリズム感は、後に彼女がドラムやその他の楽器を習得する際にも活かされたことでしょう。

高校の軽音楽部でプリプリのコピーバンドのドラムを担当したのも、こうした幼少期からの音楽的な素養があってこそです。

現在は特技としてキーボード、ドラム、ギター、アコーディオンを挙げており、複数の楽器を演奏できるマルチミュージシャンとしての実力は、熊本の実家での音楽環境が基礎を作ったといえるでしょう。

音楽を通じて受け継がれた才能

父親がミュージシャン、母親が元女優という芸能一家の環境と、自然豊かな阿蘇の熊本という土地が組み合わさることで、森高千里さんの独自の世界観が育まれたのでしょう。

「渡良瀬橋」のような情景を詠んだ歌詞を書く能力、あるいは「気分爽快」のような自身のリアルな体験を元にした楽曲を作る感性も、こうした環境が生み出したものだと感じます。

なお子供たちである長女・彩花さんと長男・大翔さんも音楽に親しんでいるようで、特に長男の大翔さんはギターが得意で大学の仲間とバンドを組んで路上ライブを行ったという情報があります。

父・江口洋介さんもミュージシャンとして活動していることから、熊本の実家から始まった「音楽の血」は次の世代にも受け継がれているようです。

森高千里さんが今も美しく音楽の舞台で輝き続けているのは、こうした豊かなルーツがあってこそかもしれませんね。

森高千里の熊本の実家に関する総まとめ

  • 森高千里さんの実家は熊本県阿蘇郡南阿蘇村(旧・長陽村)にある
  • 実家は喫茶店「オレンジ・ヒル」として営業していたが現在は閉店している
  • 喫茶店は阿蘇ファームランド近くのログハウス風の建物で、看板には父親が経営していることが明記されていた
  • 店内には森高千里さんの写真・パネル・貴重なツアーグッズが展示・販売されていてファンの聖地として知られた
  • メニューには森高千里さんの名前を冠したブレンドティーが存在した
  • 芸名の由来として「高森町」と「草千里」の地名から取ったとする噂があるが、本人が否定している
  • 森高千里という名前は本名であり芸名ではない、結婚後に戸籍上の本名は「江口千里」となった
  • 父親は元ロカビリーバンド「オレンジ・ヒル」メンバーの森高茂一さん
  • 母親は名前・詳細不明だが元女優の噂があり料理が絶品と伝えられている
  • 兄は3歳年上の一般人で、兄夫婦と初めてカラオケボックスに行ったエピソードが知られている
  • 2016年熊本地震で実家の棚・食器・絵などが落ちて壊れたが、家族に怪我はなかった
  • 好物の馬刺しと料理に使う味噌は今も熊本の実家から送ってもらっている
  • 熊本では九州女学院高校に通い、軽音楽部でドラムを担当した
  • 高校2年の冬に上京し堀越学園高校に転校、1986年ポカリスエットコンテストでグランプリを受賞しデビューへ
  • 父親の音楽経験と実家での環境が、マルチミュージシャンとしての森高千里さんのルーツを形成した

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