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日下尚さんは、2024年パリ五輪のレスリング男子グレコローマン77kg級で金メダルを獲得した、香川県高松市出身のレスリング選手です。
実家は香川県高松市にあり、両親・弟2人・妹1人の6人家族で育ちました。
讃岐うどんを愛し、「うどんは自分の元気玉」と公言するほど地元・香川への思いが強い選手です。
名前の「尚」は、2000年シドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子さんから一文字もらったという感動的な由来があり、24年後に同じ五輪の舞台でその名に恥じない金メダルを獲得しました。
この記事では、日下尚さんの実家の場所や家族の素顔、幼少期の環境から世界一に至るまでの歩みについて詳しく紹介します。
記事のポイント
①:実家は香川県高松市、人気うどん店が行きつけ
②:名前の由来は高橋尚子さんへの感動から
③:父親・省二と母親・晃子がパリで現地観戦
④:祖父母のぶどう農園で育った幼少期の食生活
日下尚の実家がある香川県高松市とその生い立ち
- 実家がある高松市の環境|うどん文化と地元の絆
- 父親・省二と母親・晃子のプロフィールと子育て方針
- 日下尚のプロフィールと主な競技経歴
- 弟2人・妹1人の兄弟構成と家族の絆
- 祖父母と伯父のぶどう農園|実家近くの農業一家
- 3歳から始めたレスリングと高松レスリングクラブ
実家がある高松市の環境|うどん文化と地元の絆
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日下尚さんの実家は、讃岐うどんで知られる香川県高松市にあります。
下の表は、日下尚さんの基本プロフィールをまとめたものです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 日下 尚(くさか なお) |
| 生年月日 | 2000年11月28日 |
| 2026年04月03日現在の年齢 | 25歳 |
| 出身地 | 香川県高松市 |
| 身長・体重 | 172cm・77kg |
| 競技種目 | レスリング(グレコローマンスタイル) |
| 所属 | マルハン北日本カンパニー(2025年〜) |
| 学歴 | 高松北高校 → 日本体育大学 |
| 主な実績 | パリ五輪金メダル(2024年) |
実家近くの「あづまうどん」との深い縁
日下尚さんが幼い頃から足しげく通うのが、実家近くにある超人気うどん店「あづまうどん」です。
定番メニューは肉ぶっかけで、地元を代表する名店として地域に根付いています。
高松市は「うどん県」と呼ばれるほどうどん文化が根付いた街で、人口あたりのうどん店数が日本一とも言われています。
子どもの頃からそんな環境で育った日下さんにとって、うどんはまさに特別なソウルフードです。
パリ五輪の壮行会前には、近所の製粉所から乾麺のうどんを送ってもらえるようになり、日下さんはこれをパリに持参することを決めました。
「うどんは、自分の元気玉ですね。香川のうどんを元気に食べて相手に打ち勝ちたい」と語る姿に、実家・高松市への愛着の深さがよく表れています。
また、アジア選手権で優勝した際には製粉所とのつながりが広まり、実家周辺のコミュニティとの絆が改めて注目を集めました。
五輪の舞台でも讃岐うどんへの愛を公言し続けた日下さんの姿は、香川の食文化を全国に発信することにもなりましたよね。
地元・高松市の声援が育んだメンタルの強さ
高松市の人々は、日下さんにとって競技を続ける大きな原動力でした。
「友達とか親戚、近所のおじさんおばさん、じいちゃんばあちゃんが本当に喜んでくれて、そういった人たちが自分のパワーの源になっています」と五輪前のインタビューで語っていました。
何気ない「頑張れよ!」の一言が、きつい練習を乗り越える大きな力になるというのは、実家のある高松市が、日下さんにとってどれほど大切な場所かを物語っています。
五輪出場が決まってから声をかけてくれる人が増えたことを「シンプルに嬉しい」と語り、その言葉をパワーに変えて闘い続けた日下さん。
実家・高松市が持つ温かな人情が、世界最高峰の選手を育てた大きな要因のひとつと言えそうですよね。
父親・省二と母親・晃子のプロフィールと子育て方針
日下尚さんの父親は省二さん、母親は晃子さんです。
下の表は両親の基本情報をまとめたものです。
| 続柄 | 名前 | 推定生年 | 2026年04月03日現在の年齢 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 父親 | 省二 | 1969年頃 | 約56歳 | パリ五輪を現地観戦 |
| 母親 | 晃子 | 1971年頃 | 約54歳 | 名前「尚」の由来を考案 |
名前「尚」の由来|高橋尚子さんへの感動
日下尚さんの「尚」という名前には、特別な由来があります。
両親の省二さんと晃子さんは、2000年のシドニー五輪をともにテレビで観戦し、女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子さんの走りに深く感動しました。
母親の晃子さんは「苦しくてトップを取ったらやめたいと言う方もいっぱいいる中で、すごく楽しく走り終えた。そんなスポーツの楽しみ方をする人に憧れた」と振り返っています。
2文字で呼びやすい名前にもしたかったという思いも重なり、「尚にしよう!」とすぐに決めたそうです。
4人の子どもを育てながら、それぞれの夢を応援してきた両親の姿は、日下さんの競技哲学にも大きな影響を与えてきました。
そのとき両親は「まさかこんなに名前が話題になるなんて思ってもいなかった」と照れながら話していましたが、24年後にその名を持つ息子が本当に五輪の舞台で金メダルを獲得するとは、誰が想像したでしょうか。
スポーツを楽しむことを大切にした子育て方針
両親が日下さんに伝えてきたのは、「スポーツを楽しむ」という精神でした。
高橋尚子さんの走りに憧れた晃子さんが、その思いを子育てにも反映させてきたことが伝わってきます。
実際に日下さん自身も「プレッシャーを感じて実力が出せないことが一番あってはならない」「とにかく楽しんで自分の実力を全部ぶつけることが目標」と語っており、両親の教育方針が競技哲学として根付いていることがわかります。
パリ五輪の決勝当日、父親の省二さんは観客席から息子の姿を見届け、「最高ですね。まさかメダルを取るなんて」と感激の声を上げました。
母親の晃子さんも「パリに来て眠れない日が続いていたけど、尚が勝つんだと信じて気持ちを落ち着けていた」と明かしています。
24年越しの高橋尚子さんへの憧れが、息子を通じて現実になったその瞬間。親子3人でつかんだ金メダルと言っても、言い過ぎではないでしょう。
日下尚のプロフィールと主な競技経歴
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日下尚さんは、自らを「凡人」と称するほど謙虚な性格でありながら、地道な努力で世界の頂点に立ったレスリング選手です。
下の表は、日下尚さんの主な競技経歴をまとめたものです。
| 年 | 所属・学年 | 主な実績 |
|---|---|---|
| 2000年11月28日 | – | 香川県高松市に生まれる |
| 2003年頃 | 高松レスリングクラブ | 3歳でレスリングを開始 |
| 2016年 | 高松北高校 入学 | グレコローマンスタイルに本格転向 |
| 2017年 | 高松北高校2年 | ジュニア大会で初の全国優勝を経験 |
| 2018年 | 高松北高校3年 | 全国高校生グレコローマン選手権71kg級優勝・国体優勝 |
| 2019年 | 日本体育大学1年 | 全日本選抜選手権・全日本選手権優勝(72kg級) |
| 2021年 | 日本体育大学3年 | 全日本学生選手権・全日本大学グレコローマン選手権優勝 |
| 2022年 | 日本体育大学4年 | 全日本学生選手権2連覇 |
| 2023年 | 三恵海運 | 全日本選抜選手権優勝・世界選手権銅メダル・パリ五輪内定 |
| 2024年 | 三恵海運 | アジア選手権優勝・パリ五輪金メダル(グレコローマン77kg級) |
| 2025年〜 | マルハン北日本カンパニー | 2028年LA五輪2連覇を目指して活動中 |
「凡人」と自称した中高時代からの逆転劇
日下尚さんは中高時代、目立った成績を残せず、身体能力も人並みだったとして「自分は凡人だ」と自称していました。
「パリで金メダルを獲って超人になる」と公言していたほど、自分への正直な評価と高い目標を持ち合わせた選手でした。
その後、世界王者を破って世界ランキング1位に躍り出た際には「他の選手に失礼」と感じ、「凡人」発言を封印したというエピソードも、日下さんらしさが出ていますよね。
グレコローマンスタイルは、両腕で相手を掴むことが許されないため、体幹と足腰の力が特に重要な種目です。
日下さんはその中でも、小学生時代に習った相撲の経験を生かした「相撲レスリング」スタイルを確立し、世界の強豪と互角以上に渡り合いました。
パリ五輪での歴史的な金メダル獲得
2024年8月7日のパリ五輪グレコローマン77kg級決勝では、カザフスタンのデメウ・ジャドラエフ選手を5対2で下し、金メダルを獲得しました。
この金メダルは、フリースタイルを含めた日本レスリング史上最重量級での優勝であり、1968年メキシコ五輪以来の快挙となりました。
また、香川県出身者として夏季冬季を通じてオリンピック個人種目で初のメダリストとなるなど、地元・香川県にとっても歴史的な出来事でした。
弟2人・妹1人の兄弟構成と家族の絆
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日下尚さんは4人きょうだいの長男です。
下の表は、日下家の家族構成をまとめたものです。
| 続柄 | 人物 | 備考 |
|---|---|---|
| 父親 | 省二 | パリ五輪を現地観戦 |
| 母親 | 晃子 | 名前「尚」の由来を考案 |
| 長男(本人) | 日下 尚 | 2024年パリ五輪金メダリスト |
| 次男 | 非公表 | – |
| 三男 | 非公表 | – |
| 長女 | 非公表 | – |
弟2人と妹1人の計4人きょうだいの長男として育った日下さん。
弟妹の名前や詳しい情報は現在公表されていませんが、家族の絆が深いことは様々なエピソードから伝わってきます。
日下さんが大学進学を希望した際、両親は4人きょうだいの進学費用など家計のことを考えてすぐには答えを出せなかったといいます。
「もっと強いところでやりたい。日体大に行きたい」と伝えてきた息子に対して、最終的に背中を押したのは両親でした。
4人の子どもを抱えながら一人ひとりの夢を支えようとした両親の姿勢は、長男として家族の期待を背負いながら、それを原動力に変えた日下さんのメンタルにも影響しているのかもしれません。
社会人になった日下さんは、まず自分の携帯電話を家族割から独立させるために帰省し、初任給では両親を高級ディナーに招待するなど、長男としての責任感と感謝の気持ちをしっかり行動で示してきた人物です。
弟妹たちにとって、パリ五輪金メダリストの兄はどれほど誇らしい存在でしょうか。日下さんが地元に錦を飾った瞬間、日下家全体が歴史を作った一日になったはずですよね。
祖父母と伯父のぶどう農園|実家近くの農業一家
日下尚さんの実家の近くには、祖父母と伯父が営むぶどう農園があります。
幼少期から常においしいぶどうを食べ、農作業の手伝いも行っていたというエピソードは、スポーツ選手としての食への意識や体力づくりの素地を形成する上で、大きな役割を果たしたのかもしれません。
香川県は温暖な瀬戸内海気候の恩恵を受け、ぶどうや桃などの果物栽培が盛んな地域です。
幼い頃から旬のぶどうを食べ続けた環境は、栄養バランスへの自然な意識につながりやすく、アスリートとしての健康管理の原点とも言えるでしょう。
農作業体験が培ったメンタルと体力の基礎
農園での手伝いは、体力をつけるだけでなく、「地道な作業を積み重ねることで結果が出る」という農業の本質を体で学ぶ機会でもあります。
レスリングで「凡人」と自称しながらも、地道な練習を積み重ねることで世界一に至った日下さんの姿は、農作業で培われた粘り強さとどこか重なるものを感じます。
祖父母・伯父という農業一家との交流が、日下さんの「泥臭く相手より1点でも多く取る」レスリングスタイルの精神的な土台になっている可能性は十分にあります。
「自分のレスリングは派手なものではなく、泥臭く相手より1点でも多く取る相撲を生かしたレスリングが武器」という言葉からも、華やかさよりも地に足のついた確かさを大切にする価値観が見てとれますよね。
実家近くで農業を営む家族の姿を目の当たりにしながら育ったことが、日下さんの素朴で実直なキャラクターにもつながっているのではないでしょうか。
現在も祖父母との関係は良好とみられており、パリ五輪の金メダル獲得後には地元全体が沸いたことで、農園の祖父母や伯父も同様に大きな喜びを感じたことが想像されます。
3歳から始めたレスリングと高松レスリングクラブ
日下尚さんがレスリングを始めたのは、なんと3歳のとき。
高松市にある高松レスリングクラブに入り、幼児期からレスリングと向き合ってきました。
コーチは山下和代さんで、日下さんが世界に羽ばたくまでの基礎をここで築いています。
山下コーチはパリ五輪の金メダル獲得後、「私はレスリングが楽しいっていうのを教えただけ。今度は子どもたちが尚に憧れて、オリンピックを目指すようになってくれると思う」と涙をにじませながら喜びを語っていました。
小中学生時代は目立った成績を残せなかった
3歳から始めたとはいえ、小中学生時代の日下さんは目立った成績を残せなかったと、本人が率直に認めています。
「自分は凡人。身体能力も人並みで、ずっと普通の成績だった」という自己評価は、金メダリストの言葉とは思えないほど謙虚なものです。
全国で名を知られるような選手ではなかった中学時代。それでも高松レスリングクラブでの練習を続け、着々と力を蓄えていきました。
幼少期から相撲も習っていた日下さんは、その経験をレスリングに応用することで、独自のスタイルを徐々に構築していきます。
相撲で鍛えた足腰の力と前に出る推進力は、後にグレコローマンスタイルで「相撲レスリング」と呼ばれる持ち味の根幹となっていきます。
「相手をぶん投げたりする派手なレスリングではなく、泥臭く相手より1点でも多く取る相撲を生かしたレスリングが自分の武器」という言葉は、幼少期からの積み重ねがあってこそ生まれたものです。
3歳から競技を始めながらも、すぐに頭角を現したわけではなかった日下さん。それが高校・大学と着実に成長を重ね、世界チャンピオンへと進化していく軌跡は、多くの子どもたちへの励みになりますよね。
日下尚の実家が育てた金メダリストの素顔と今後
- 高松北高校での飛躍と全国制覇への歩み
- 日体大進学を支えた両親の決断と家族への感謝
- 社会人初任給で両親を招いた孝行エピソード
- パリ五輪金メダルと実家・香川への凱旋帰国
- 香川県民栄誉賞と紫綬褒章|LA五輪に向けた挑戦
高松北高校での飛躍と全国制覇への歩み
日下尚さんが高松北高校に入学したのは2016年のこと。
この高校でのコーチが竹下敬さんで、日下さんが3歳の頃からなんと10年以上にわたって指導してくれた恩師です。
高校2年時にはジュニア大会で初の全国優勝を経験し、小中学生時代には目立たなかった選手がここで大きく開花し始めます。
グレコローマンスタイルへの本格転向も高校時代で、これが後のスタイル確立に直結しました。
高校3年での全国制覇|国体と全国高校生選手権を制覇
高校3年時には全国高校生グレコローマン選手権71kg級で優勝を果たし、国体でも優勝するという快挙を成し遂げます。
「香川県の地方高校から全国制覇を果たした」という事実は、決して練習環境に恵まれているとは言えない地方で磨き続けた実力の証明でした。
日下さん自身も「自分は香川県で小さい頃からやってきたレスリングを、今本当に世界に打って戦えている。それが大きな自信になっています」と語っており、地元・高松市での積み重ねを誇りに思っていることが伝わります。
また、高松北高校は後輩の吉田泰造さん(アジア選手権・男子グレコローマン82kg級で日本の男子高校選手として初優勝)も輩出しており、日下さんが切り開いた道が後輩たちへの刺激になっています。
竹下コーチは10年以上にわたって日下さんを指導し続け、パリ五輪の金メダル獲得後に日下さんと抱き合って喜んだシーンは、多くの人の心を打ちました。
高松北高校時代に確立した「相撲レスリング」スタイルは、「前に出る相手を押し出すようなレスリングを得意としている」という形に磨き上げられ、その後の日体大・社会人での活躍の基盤となっていきます。
日体大進学を支えた両親の決断と家族への感謝
高校卒業後、日下尚さんは強豪として知られる日本体育大学への進学を強く望みました。
「もっと強いところでやりたい。日体大に行きたい」と両親に伝えたのは、高校卒業を控えた頃のことです。
しかし両親は4人きょうだいの進学費用など家計のことを考え、すぐには答えを出せませんでした。
弟2人・妹1人を抱えた6人家族の中での大学進学。長男として家計への負担を心配する日下さん自身も「育ててくれてありがとう。負担をかけたとすごく感じていた」と後に振り返っています。
背中を押した両親と大学での飛躍
最終的に両親は息子の夢を優先し、日体大進学への背中を押しました。
その決断は、大正解でした。
日体大1年生のシーズンに早くも全日本選抜選手権と全日本選手権を制覇(72kg級)。地方出身の新入生がいきなり全日本を制するという快挙を成し遂げました。
大学3年時には全日本学生選手権と全日本大学グレコローマン選手権を制し、4年時には全日本学生選手権2連覇。大学4年間でタイトルを積み重ねていきます。
家族のために遠慮していたかもしれない大学進学が、結果として世界一への大きな一歩になったことを考えると、両親の決断がいかに大切だったかわかりますよね。
東京で汗を流しながらも、常に高松の実家への感謝を胸に抱き続けた日下さん。その思いが後の孝行エピソードへとつながっていきます。
社会人初任給で両親を招いた孝行エピソード
2023年4月に三恵海運へ入社した日下尚さんは、社会人になると早々に、家族への感謝の思いを行動で示します。
まず取り組んだのが、家族割契約だった自身の携帯電話の解約でした。
「自分で払うから」と言って帰省し、家族割を独立させたその一行動が、実家への思いやりと自立心を如実に物語っています。
初任給で両親を招いた高級ディナーと手紙
さらに、初任給を手にした日下さんは両親を高級レストランへ招待しました。
席に着くと、テーブルには日下さんからの手紙が置いてあったといいます。
「育ててくれてありがとう。おいしいものをいっぱい食べてください」と書かれたその手紙に、母親の晃子さんは深く感動したと語っています。
4人きょうだいの進学費用を心配させてしまったことへの申し訳なさと、長年の感謝が込められたこのエピソードは、金メダルに負けないほど多くの人の心を打つ話ですよね。
プレッシャーに対して「楽しむだけだ」と語るメンタルの強さの裏に、家族への思いという確かな支えがあることが伝わってきます。
「孝行息子が、名前の通りに五輪を楽しんで終えた」と母親の晃子さんが語った言葉には、長年の子育ての喜びと誇りが凝縮されていました。
こうした素顔からも、日下さんが競技の成績だけでなく、人間としても多くの人に愛される理由がわかるのではないでしょうか。
パリ五輪金メダルと実家・香川への凱旋帰国
2024年8月7日(日本時間8日未明)、パリのシャンドマルス・アリーナで行われたレスリング男子グレコローマン77kg級の決勝。
日下尚さんは第1ピリオドを2点のビハインドで折り返しましたが、第2ピリオド開始直後に4点技を繰り出して逆転。さらに1点を追加し、最終的に5対2でカザフスタンの選手を下しました。
観客席では父親の省二さんと母親の晃子さんが金メダルを見届けました。
省二さんは「最高ですね。まさかメダルを取るなんて」と感激の声を上げ、晃子さんは「パリに来て眠れない日が続いていたけど、尚が勝つんだと信じて気持ちを落ち着けていた」と明かしました。
高松空港でのサプライズ|恩師からうどんの出迎え
金メダルを持ち帰った日下さんが故郷・香川県に降り立ったのは、パリ五輪を終えた後のこと。
高松空港では多くの人々が出迎え、賑やかな凱旋帰国となりました。
到着するなり、恩師の竹下敬さんが差し出したのは「さぬきうどん」。
笑顔で豪快にすする日下さんの姿は、実家・香川への深い愛着と、この地で育まれた絆の象徴でした。
母校の高松北高校にも訪問し、後輩の吉田泰造さんに肩車されてガッツポーズをする場面は、多くの人が目にしたシーンです。
高松市総合体育館でのパブリックビューイング会場では、約90人の市民が深夜にもかかわらず集まり、「頑張れ、頑張れ、尚」とコールを続けていました。
高松市の大西秀人市長も「市民に夢を与えていただいた。市民の誇り」と喜びのコメントを寄せており、実家・香川にとっての歴史的快挙を地域全体で分かち合いました。
香川県民栄誉賞と紫綬褒章|LA五輪に向けた挑戦
パリ五輪での金メダル獲得を受け、日下尚さんには数々の栄誉が贈られました。
まず、香川県が新たに創設した「県民栄誉賞」の第一号受賞者に選ばれました。
県庁で池田豊人知事と対面した日下さんは、金メダルを手に記念写真に収まるなど、香川県のヒーローとしての凱旋を果たしました。
紫綬褒章受賞と香川県の歴史に刻まれた功績
さらに、スポーツや芸術の分野で優れた業績を上げた人物に贈られる紫綬褒章も受賞しました。
香川県出身者として夏季冬季を通じてオリンピック個人種目で初のメダリストとなったこと、そして日本レスリング史上最重量級での金メダルという歴史的快挙は、香川県のスポーツ史に永遠に刻まれる功績となりました。
また、高校生向けの講演活動にも積極的に取り組んでおり、倉敷市の鷲羽高校では「どんどんいろんなことに挑戦していってもらって、いろんな目標を貪欲に達成するような人生を送ってほしい」とメッセージを贈りました。
マルハン北日本所属と2028年LA五輪への挑戦
2025年4月には、株式会社マルハン北日本カンパニーとの所属契約を締結。笹本睦コーチとともに新たな環境で競技活動を継続しています。
「2028年ロサンゼルス五輪での2連覇」という明確な目標を掲げ、「レスリングをもっと身近なスポーツにしていきたい」という夢も語っています。
マルハン北日本は「人生にヨロコビを」という企業理念を掲げており、日下さんの挑戦への共感から全面的なサポートを決定しました。
実家・香川で培ったうどん愛、ぶどう農園で感じた自然の恵み、そして家族の支えを糧に世界一になった日下さん。次の4年間、その歩みからまだまだ目が離せませんよね。
日下尚の実家と家族|金メダル秘話の総まとめ
- 日下尚の実家は香川県高松市にある
- 2024年パリ五輪でグレコローマン77kg級金メダルを獲得
- 日本レスリング史上最重量級での金メダルという歴史的快挙
- 生年月日は2000年11月28日、現在25歳
- 名前「尚」の由来は、両親が感動した高橋尚子さんのシドニー五輪金メダルの走り
- 父親・省二と母親・晃子の2人がパリ五輪を現地観戦した
- 弟2人・妹1人の4人きょうだいの長男として育った
- 祖父母と伯父がぶどう農園を経営、幼少期から農作業を手伝った
- 実家近くの「あづまうどん」が行きつけで、肉ぶっかけが定番メニュー
- 3歳から高松レスリングクラブでレスリングを始めた
- 高3で全国高校生グレコローマン選手権71kg優勝・国体優勝を達成
- 日体大4年間で全日本選抜・全日本選手権など多数のタイトルを獲得
- 社会人初任給で両親を高級ディナーに招待し「育ててくれてありがとう」と手紙を渡した
- 香川県民栄誉賞(第一号)・紫綬褒章を受賞した香川県初のオリンピック個人種目金メダリスト
- 2025年よりマルハン北日本カンパニー所属、2028年LA五輪2連覇を目指して活動中

