※当記事は公開情報をまとめた考察記事です。記載内容は執筆時点で確認できた情報に基づきます。
※本サイトのコンテンツには、商品プロモーションが含まれています。
千葉真一さんの実家がどこにあるのか、気になっている方は多いのではないでしょうか。
日本を代表するアクションスターとして、映画・テレビで半世紀以上にわたり活躍した千葉真一さんの実家は、千葉県君津市にあります。
4歳から高校卒業まで君津市で育ち、晩年も君津市山中の豪邸を「終の棲家」として選んだほど、千葉真一さんにとって君津市は生涯を通じた特別な地でした。
この記事では、実家のある君津市での生い立ちや父親・母親の情報、5人兄弟の家族構成、3人の子供たちの活躍、そして晩年の豪邸まで、千葉真一さんの実家と家族全体を詳しくまとめます。
記事のポイント
①:実家は千葉県君津市で4歳から育った故郷
②:父親は陸軍の軍人でテストパイロット出身
③:弟は俳優の矢吹二朗で芸能一家
④:晩年の豪邸は400㎡の2階建て邸宅
千葉真一の実家・千葉県君津市の生い立ちと家族
- 千葉真一の実家がある君津市での生い立ち
- 父親・母親のプロフィール|軍人の父とスポーツの母
- 5人兄弟の家族構成と弟・矢吹二朗の存在
- 木更津高校から東映ニューフェースへの歩み
- 晩年の自宅|君津市山中の400㎡豪邸
千葉真一の実家がある君津市での生い立ち
この投稿をInstagramで見る
ここでは、千葉真一さんの実家と生い立ちについて整理します。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 前田禎穂(まえださだほ) |
| 生年月日 | 1939年1月22日 |
| 出生地 | 福岡県福岡市博多区雑餉隈 |
| 実家 | 千葉県君津市八幡町 |
| 出身高校 | 木更津高校(千葉県木更津市) |
| 職業 | 俳優・アクションスター・映画監督・映画プロデューサー |
| 特技 | 器械体操・極真カラテ四段・少林寺拳法弐段・乗馬・スキー |
| 没年月日 | 2021年8月19日(享年82歳) |
| 墓所 | 千葉県君津市・満隆寺墓地 |
出生地・福岡から君津市への移住
千葉真一さんは1939年1月22日、福岡県福岡市博多区雑餉隈で生まれました。
本名は前田禎穂(まえださだほ)さん。芸名の「千葉真一」は、千葉県で育ったことに由来するといわれており、出身地への誇りが込められた名前です。
福岡で生まれた千葉真一さんは、4歳のときに千葉県君津市へ移住しました。戦時中・戦後の混乱期に家族で移り住んだとみられており、その後は学生時代を通じて千葉県君津市八幡町を実家として過ごします。
君津市は千葉県南部に位置し、里山の自然が豊かな落ち着いた地域です。大都市の喧騒とは無縁のこうした環境で幼少期と学生時代を過ごしたことが、後年の千葉真一さんの精神的な土台をつくったのかもしれません。ここ、なんだかロマンを感じますよね。
なお千葉真一というステージネームは、「千葉県出身」という事実を芸名に取り入れた形で、東映入り後に名付けられたものです。出身地を堂々と名前に掲げるというのは、当時としてもかなり個性的な選択だったといえます。
君津市八幡町での学生時代
千葉真一さんは学生時代を通じて千葉県君津市八幡町で育ちました。
幼い頃から体格に恵まれ、運動能力が抜群だったとされています。器械体操を得意とし、その後は極真空手(四段)・少林寺拳法(弐段)・乗馬・スキーなど複数の武道やスポーツにも取り組みます。こうした多才な身体能力が、後のアクションスターとしての礎となりました。
千葉真一さんにとって、君津市は単なる「生まれ育った場所」以上の意味を持つ地です。高校卒業後に芸能の世界へ飛び込み、京都やロサンゼルスを拠点に活動した時期もありましたが、晩年には再び君津市の山中に「終の棲家」を構え、最期もこの地で迎えています。
また、千葉真一さんのお墓は千葉県君津市の満隆寺墓地に設けられており、父親の眠る墓地への納骨という形で最期まで故郷とのつながりが続きました。実家のある地で生まれ、実家のある地で眠る──そんな千葉真一さんにとって、君津市がいかに特別な場所だったかが伝わってきます。
地元民からも長く愛された存在として知られており、君津市の人々にとって千葉真一さんは誇りある郷土の大スターでした。
父親・母親のプロフィール|軍人の父とスポーツの母
千葉真一さんの父親と母親について、それぞれの背景を整理してみましょう。
| 項目 | 父親 | 母親 |
|---|---|---|
| 出身 | 不明 | 熊本県 |
| 職業・特技 | 陸軍の飛行部隊・テストパイロット | 陸上競技(学生時代に活躍) |
| 備考 | 軍人として航空分野で活動 | スポーツ万能で身体能力に優れた |
軍人・テストパイロットの父親
千葉真一さんの父親は陸軍の飛行部隊に所属する軍人で、テストパイロットなどを務めていたといいます。
テストパイロットとは、開発中の新型航空機を試験飛行する専門の搭乗員のことです。命がけの危険を顧みず飛行に挑む職業であり、強靭な身体能力と精神力が求められます。千葉真一さんが後年、スタントを自ら演じることにこだわり、危険な撮影にも一切ためらわなかったのは、この父親の気質を受け継いでいたからかもしれません。
千葉真一さんといえば、吹き替えに頼らずにアクロバティックなスタントを自ら演じるスタイルが世界的に高く評価されています。そのルーツの一端が、命知らずのテストパイロットだった父親の姿にあったと考えると、非常に興味深いですよね。
なお、千葉真一さんの本名「前田禎穂」の「前田」という苗字も、父方の家名です。千葉真一という芸名の影に、前田家の血脈と軍人精神が宿っているわけです。
熊本出身で陸上競技の母親
千葉真一さんの母親は熊本県の出身で、学生時代には陸上競技で活躍していたといいます。
陸上競技で頭角を現すほどの身体能力を持つ母親の存在は、千葉真一さんの運動神経にも大きく影響したと考えられます。父親は軍人・テストパイロット、母親は陸上競技選手──この両親から生まれたのが、後に「日本が誇る世界的なアクションスター」となる千葉真一さんです。
まさにスポーツDNAが二重に受け継がれた環境といえるでしょう。千葉真一さんが体操・空手・乗馬・スキーなど複数の身体技能を磨き上げたのは、この親から引き継いだ素質があったからこそといえます。
母親が熊本出身ということで、九州と千葉という2つの土地にルーツを持つ千葉真一さん。生まれ故郷の福岡、実家のある千葉、母方の熊本と、異なる地域の気質を身に宿していたことが、その多彩な才能の背景にあったのではないでしょうか。
千葉真一さんの芸能一家としての礎は、間違いなく父親と母親という2人の「身体能力に優れた親」によって築かれたものでした。
5人兄弟の家族構成と弟・矢吹二朗の存在
千葉真一さんの実家の家族構成について確認してみましょう。
| 続柄 | 説明 |
|---|---|
| 姉 | 長女(詳細は非公表) |
| 千葉真一 | 長男(5人兄弟の2番目) |
| 弟 | 矢吹二朗(やぶきじろう)・俳優として活動 |
| 妹 | 3女(詳細は非公表) |
| 妹 | 4女(詳細は非公表) |
千葉真一さんの実家は、父親・母親・姉・千葉真一さん・弟・妹・妹という構成の5人兄弟でした。
千葉真一さんは兄弟の中では2番目に生まれており、両親からみると長男にあたります。上には姉が1人、下には弟1人と妹2人がいたとされています。
5人兄弟のうち特に注目されるのが、弟の矢吹二朗(やぶきじろう)さんです。矢吹二朗さんは俳優として芸能界で活動しており、千葉真一さんと同じく演技の世界に飛び込んでいます。芸能の才能が兄弟に受け継がれているというのは、やはり父親・母親の強い個性がそうさせたのかもしれません。
千葉真一さんと矢吹二朗さんがそれぞれ俳優として活動しているという事実は、この家族がいかに才能豊かな一家であったかを示しています。千葉真一さんが「芸能一家の長」として、子供たち(真瀬樹里さん、新田真剣佑さん、眞栄田郷敦さん)への俳優志向に影響を与えたのと同様に、その才能のルーツは実家の兄弟関係にも見いだすことができます。
なお、姉や2人の妹については詳細な情報は公表されておらず、プライバシーを守りながら一般人として生活されているとみられます。矢吹二朗さん以外の兄弟について現時点では確認できる情報はありません。
5人の子供を育てた千葉真一さんの両親もまた、軍人の父とスポーツ万能の母という個性の強い組み合わせ。この家族の中で育ったからこそ、千葉真一さんは日本一のアクションスターへと成長できたのでしょう。
木更津高校から東映ニューフェースへの歩み
千葉真一さんが俳優の世界へと踏み出すまでの経緯を見てみましょう。
木更津高校での学校生活
千葉真一さんは千葉県の木更津高校に進学しました。
木更津高校は千葉県木更津市にある公立高校で、俳優の中尾彬さんや政治家の松野博一氏(元内閣官房長官)、東映社長など、多くの著名人を輩出している名門校として知られています。千葉真一さんもその輝かしい卒業生の一人として名を連ねています。
実家のある君津市から木更津市は隣接した地域であり、通学圏内でした。高校時代の千葉真一さんがどのような学校生活を送っていたかについての詳細は伝えられていませんが、身体能力の高さから体育系の活動で活躍していたことは想像に難くありません。
東映ニューフェースとしてのデビュー
高校卒業後、千葉真一さんは1959年に東映ニューフェースとして芸能界入りを果たします。
東映ニューフェースとは、映画会社・東映が行っていた俳優発掘のオーディションで、選ばれた者はそのまま東映の専属俳優として活動をスタートできる仕組みでした。千葉真一さんはこのオーディションを勝ち抜き、本格的な俳優の道を歩み始めます。
デビュー後の千葉真一さんは、1968年からテレビドラマ「キイハンター」に出演。危険を顧みないアクションやスタントが視聴者の心をつかみ、瞬く間に人気を博します。このドラマは海外でも放送され、千葉真一さんの名が国際的に知られるきっかけにもなりました。
その後も「網走番外地・北海篇」「仁義なき戦い・広島死闘篇」「柳生一族の陰謀」「戦国自衛隊」「魔界転生」などの映画で主演・重要役を務め、昭和を代表するスターとしての地位を確立していきます。
JACの設立と国際的な活躍
1970年、千葉真一さんはジャパンアクションクラブ(JAC)を設立しました。
JACはアクションスターやスタントマンを育成する養成所として機能し、数多くのプロフェッショナルを輩出しました。千葉真一さんが単なる俳優の枠を超え、後進育成・映画制作・演出にまで関わり続けた背景には、日本のアクション映画を世界に通用するレベルへと高めたいという強い意志があったのです。
1992年の「エイセス 大空の誓い」で本格的にハリウッドデビューを果たし、拠点をロサンゼルスに移します。そして2003年には「キル・ビル」(監督:クエンティン・タランティーノ)に出演し、出演だけでなく剣術指導も担当。タランティーノ監督が公言するほどの熱狂的な千葉真一ファンによる「夢のコラボ」として話題になりました。
実家のある千葉県から世界へ──。そのスケールはまさに日本映画史に残るものです。
晩年の自宅|君津市山中の400㎡豪邸
千葉真一さんが晩年を過ごした自宅について詳しく見ていきましょう。
君津市山中の豪邸とその規模
千葉真一さんは逝去の約7年前(2014年頃)、千葉県君津市内の山中にある一軒家に移り住みました。
この豪邸は、延べ床面積400平方メートルの広大な敷地に地下室を備えた2階建てという、まさに「昭和の銀幕スター」を思わせる堂々とした邸宅です。周囲には民家もほとんどない山深い場所に位置しており、自然に囲まれた静かな環境の中で晩年を過ごしていたことがうかがえます。
千葉真一さんにとってこの邸宅は「終の棲家」として選んだ場所でした。実家のある故郷・君津市に再び腰を落ち着け、人生の最後の章をこの地で刻んだことになります。
なお、以前は京都市に敷地面積約1,000坪・プール付きの大豪邸を構えていたともいわれており、国際的な大スターとしての生活ぶりが伝わってきます。また、千葉県太東岬に別荘を所有していたという情報もあり、千葉真一さんの千葉県への愛着の深さが感じられますよね。
映画村プロジェクトの始動
千葉真一さんが2021年8月に逝去した後、翌2022年3月にこの豪邸を買い取ったのが、千葉県に本社を置く感謝株式会社でした。
同社代表の川畑秀雄氏は千葉真一さんの長年のサポーターであり、千葉真一さんの水素サプリメントの愛用者でもあったとされています。また、息子の新田真剣佑さんや眞栄田郷敦さんとも親交があるといいます。
この旧自宅を「映画村」にするプロジェクトが現在進行中とのことで、これは生前の千葉真一さんが強く望んでいた夢だったといいます。実際に第1作として短編映画「ハナのサンタ~心に灯る最後の約束~」が公開され、YouTubeでの再生回数は32万回を超えています。続編として長編映画の制作も進んでいるほか、千葉真一さんの生涯を描いた「映画バカ~千葉真一物語~」の制作・劇場公開も予定されているとされています。
故郷・君津市の山中で生まれた「映画村の夢」は、今も静かに歩み続けています。
千葉真一の実家が育んだ芸能一家の全貌
- 野際陽子との結婚と離婚の経緯
- 千葉真一の息子・新田真剣佑と眞栄田郷敦
- 長女・真瀬樹里と野際陽子との関係
- ハーフ疑惑の真相と本名・前田禎穂の由来
- 君津市での最期と千葉真一の墓所
野際陽子との結婚と離婚の経緯
この投稿をInstagramで見る
千葉真一さんの結婚歴について整理してみましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 結婚相手(第1婚) | 野際陽子(のぎわようこ) |
| 結婚年 | 1973年 |
| 野際陽子の職業 | 女優 |
| 授かった子供 | 長女・真瀬樹里(まなせじゅり) |
| その後 | 離婚(詳細時期は非公表) |
| 野際陽子の逝去 | 2017年(享年81歳) |
千葉真一さんは1973年に俳優の野際陽子さんと結婚しました。野際陽子さんは「キイハンター」でも共演しており、共に第一線で活躍する人気俳優同士のカップルとして当時大きな話題を呼んだといいます。
2人の間には長女・真瀬樹里さんが生まれています。真瀬樹里さんも俳優として活躍しており、千葉真一さんと野際陽子さんという豪華な両親を持つ芸能一家の正統な継承者といえます。
しかし千葉真一さんと野際陽子さんの結婚はその後離婚という結末を迎えます。離婚の具体的な時期や理由は公表されていませんが、その後も真瀬樹里さんは母・野際陽子さんのもとで育てられています。
野際陽子さんは2017年に享年81歳でこの世を去りました。野際陽子さんが逝去したことにより、千葉真一さんと野際陽子さんの関係は完全に過去のものとなりましたが、2人の間に生まれた真瀬樹里さんの活躍を通じて、その縁は今も芸能界に息づいています。
千葉真一さんはその後も別の女性との間に子供をもうけており、3人の子供たちがそれぞれ母親の異なる「腹違い」の兄弟であることが知られています。
野際陽子さんとの縁が生んだ長女・真瀬樹里さんの存在は、千葉真一さんの家族史を語る上で欠かせないピースのひとつです。
千葉真一の息子・新田真剣佑と眞栄田郷敦
この投稿をInstagramで見る
千葉真一さんには2人の息子がいます。それぞれの生い立ちと活躍を見ていきましょう。
新田真剣佑の生い立ちとハリウッドでの活躍
新田真剣佑さんは、千葉真一さんと別の女性との間に生まれた長男です。
米ロサンゼルス出身で、9歳の時から極真空手を習い始め、ロサンゼルス大会で2度優勝するという父親譲りの武道センスを発揮しています。本名は「前田真剣佑」で、当初は前田真剣佑名義でテレビドラマ「アストロ球団」(2005年)や、父・千葉真一さんがメガホンをとった映画「親父」(2007年)などに出演しています。
高校時代は学業に専念しましたが、2014年から日本で本格的な芸能活動を開始。以降はドラマ・映画・広告と幅広く活躍し、端正な顔立ちとアクションスターの血統から国内外で注目を集めるようになります。父親の千葉真一さんと同様にハリウッドでの活動も積極的に行っており、まさに父の遺志を継ぐ存在といえます。
2023年1月には結婚を発表し、プライベートでも新たな一歩を踏み出しました。
眞栄田郷敦の学生時代と俳優の道
眞栄田郷敦さんは千葉真一さんと再婚した一般女性(2015年離婚)との間に生まれた次男です。
岡山県の明誠学院高等学校の特別芸術コースに在学し、吹奏楽部でサックスを演奏していたことが知られています。同高校の卒業生として、NHKの「あさイチ」にも出演し、高校時代の思い出を語っています。
俳優としての活躍は目覚ましく、映画・ドラマで存在感を発揮しています。兄・新田真剣佑さんと同様に2023年1月に結婚を発表しており、兄弟が同じタイミングで新たな人生のステップを踏み出したことが大きな話題となりました。
父・千葉真一さんの逝去時、眞栄田郷敦さんは仕事の都合から四十九日法要への参列がかなわなかったとされており、父親の最期を看取れなかったことを本人も無念に思っていたことでしょう。
3人の子供たち──真瀬樹里さん・新田真剣佑さん・眞栄田郷敦さん──がそれぞれ俳優として活躍しているという事実は、千葉真一さんというアクションスターのDNAの強さを物語っています。
長女・真瀬樹里と野際陽子との関係
この投稿をInstagramで見る
千葉真一さんの長女・真瀬樹里さんについて見ていきます。
真瀬樹里さんは、千葉真一さんと野際陽子さんの間に生まれた一人娘です。両親が共に著名な俳優という恵まれた環境で育ちながらも、その内情はやや複雑だったといいます。
野際陽子さんは子育てに対して非常に厳しい方針を持っており、「ドラマより怖い教育ママ」と評されるほどだったと伝えられています。真瀬樹里さんが30歳を過ぎた頃に母・野際陽子さんとの関係についての感情が爆発したとも報じられており、母子関係に一時的な確執があったことが示唆されています。
しかしそれでも、真瀬樹里さんは母・野際陽子さんの死(2017年)の後、父・千葉真一さんの四十九日法要(2021年10月)では喪主を務めています。法要は千葉さんの君津市の自宅で行われ、真瀬樹里さんは参列者を丁寧に迎え入れ、穏やかな表情で喪主の役割を果たしたと伝えられています。
父親の四十九日では真瀬樹里さんが喪主を務めたことは、父と娘の間には確かな絆があったことを示しています。父・千葉真一さんが逝去した際、新田真剣佑さんはロサンゼルスの撮影中で帰国後の隔離期間中、眞栄田郷敦さんは仕事のため参列できなかった中、真瀬樹里さんが喪主を引き受けた責任感は見事なものでした。
千葉真一さんの所属事務所によれば、千葉真一さんの遺骨は、千葉真一さんの実父が眠る君津市内の満隆寺墓地に納骨されることが決定しており、相続人と親族の総意として受け入れられました。
真瀬樹里さんは現在も女優として活動を続けており、父・千葉真一さんの遺志を引き継ぐ形で芸能界にその名を刻んでいます。
ハーフ疑惑の真相と本名・前田禎穂の由来
千葉真一さんについてはハーフではないかという噂が一部で囁かれることがありますが、実際のところはどうなのでしょうか。
千葉真一さんはハーフではありません。父親も母親も日本人であり、海外にルーツを持つという情報は事実ではないです。
ハーフ疑惑が生まれた背景
千葉真一さんがハーフではないかと思われる理由は、いくつかの点が考えられます。まず、海外でも通用する「サニー千葉(Sonny Chiba)」という愛称で世界的に知られる国際的な知名度。そしてクエンティン・タランティーノ監督やキアヌ・リーブスさんといったハリウッドのトップスターたちが熱狂的なファンを公言していたこと。さらに1990年代にハリウッドへ活動拠点を移したことなども、「欧米とのつながりが深い人物」というイメージを強めた一因だったかもしれません。
しかし実際には、父親は日本人の軍人・テストパイロット、母親は熊本出身の日本人であり、どちらの親にも外国にルーツはありません。千葉真一さんが海外で高い人気を誇ったのは、ハーフだからではなく、純粋に実力と個性の強さによるものです。
本名・前田禎穂という名前について
千葉真一さんの本名は「前田禎穂(まえださだほ)」といいます。
「禎穂(さだほ)」という名前は、「禎(さだ)」が「めでたい・正しい」を意味する漢字で、「穂(ほ)」は稲穂や豊かさを象徴する漢字です。子供の幸福と将来の豊かさを願って名付けられた名前と読み取れます。
芸名の「千葉真一」は、「千葉県で育った」という出身地への誇りを込めたものとされています。本名の前田禎穂という名前の重みと、千葉真一というステージネームの響きのよさ──どちらも千葉真一さんらしい名前だと思いませんか。
ハーフ疑惑は噂の域を出ないものであり、千葉真一さんは純粋に日本人です。その日本人としての誇りと武道・アクションの精神が世界に認められた、稀有な存在だったといえます。
君津市での最期と千葉真一の墓所
千葉真一さんの最晩年から逝去、そして墓所についてまとめます。
千葉真一さんは2021年8月19日午後5時26分、千葉県木更津市にある君津中央病院において逝去されました。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による肺炎が原因で、享年82歳でした。
COVID-19感染から逝去まで
千葉真一さんが感染症の症状を示したのは7月末のことです。
咳などの症状はあったものの比較的元気な状態だったため、しばらく自宅療養を続けていました。しかし8月4日に38.8度の高熱を発し、PCR検査の数値も悪化。肺炎の症状が急速に進んだため、救急車で搬送され、8月8日に入院しました。
酸素吸入などの治療を受け、一時は回復の兆しもみられましたが、容体は急変。18日頃から意識がなくなり、そのまま息を引き取りました。なお千葉真一さんは自らの意思でCOVID-19ワクチンを接種していなかったとされています。
当時は国内でCOVID-19の第5波が猛威を振るっており、同月6日には感染者が累計100万人を超えていた時期でした。医療体制が極めて逼迫した状況の中での逝去でした。
家族との別れと四十九日
千葉真一さんの逝去に際し、息子の新田真剣佑さんはハリウッド映画の撮影でアメリカに滞在しており、長女・真瀬樹里さんと眞栄田郷敦さんは仕事後に駆けつけましたが、3人とも父親の最期を看取ることはできませんでした。
緊急事態宣言中であったため通夜は行われず、翌20日に眞栄田郷敦さんを喪主として親族5人のみで葬儀が営まれました。
四十九日法要は同年10月8日、千葉・君津市にある千葉さんの自宅で行われ、長女・真瀬樹里さんが喪主を務めました。JACメンバーや姉妹・親族ら約30人が参列しました。
千葉真一の墓所:君津市・満隆寺墓地
千葉真一さんの遺骨は、千葉県君津市の満隆寺墓地に納骨されました。これは相続人と親族の総意によるもので、千葉真一さんの実父が眠るお墓に一緒に埋葬される形となっています。
生まれは福岡、育ちは千葉・君津市、世界で活躍し、そして最期は君津市の病院で息を引き取り、お墓も君津市の満隆寺墓地へ──千葉真一さんの生涯は、実家のある千葉県君津市と切っても切れない縁に彩られていました。
千葉真一さんが遺した映画・芸術への情熱は、映画村プロジェクトや3人の子供たちの活躍を通じて、今も脈々と受け継がれています。
千葉真一の実家と家族に関する総まとめポイント
- 千葉真一さんの実家は千葉県君津市八幡町で、4歳から高校卒業まで育った故郷
- 生まれは福岡県福岡市博多区雑餉隈で、本名は前田禎穂(まえださだほ)
- 芸名「千葉真一」は千葉県で育ったことに由来するといわれている
- 父親は陸軍の飛行部隊に所属する軍人・テストパイロットで、アクションへの情熱に影響を与えた
- 母親は熊本県出身で、学生時代に陸上競技で活躍したスポーツ万能な人物
- 5人兄弟の2番目(長男)で、弟は俳優の矢吹二朗さん
- 出身高校は木更津高校(千葉県木更津市)で、著名な卒業生を多数輩出する名門校
- 1959年に東映ニューフェースとして芸能界入りし、60年以上にわたり活躍した
- 1970年にジャパンアクションクラブ(JAC)を設立し、後進育成にも尽力した
- ハーフ疑惑があるが事実ではなく、父親・母親ともに日本人
- 晩年の自宅は君津市山中の400㎡・2階建て豪邸で、地元民からも愛された
- 3人の子供(真瀬樹里・新田真剣佑・眞栄田郷敦)はいずれも俳優として活躍中
- 2021年8月19日、COVID-19による肺炎で享年82歳にて逝去
- お墓は千葉県君津市の満隆寺墓地で、実父の眠る墓地に納骨された
- 旧自宅は現在、映画村プロジェクトとして生前の夢が実現しつつある

