桜井ユキの実家は福岡県久留米市で飲食店経営|家族構成と生い立ち

※当記事は公開情報をまとめた考察記事です。記載内容は執筆時点で確認できた情報に基づきます。
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桜井ユキさんの実家について、生まれ育った場所や両親の職業が気になっている方は多いのではないでしょうか。

桜井ユキさんは大分県九重町生まれ・福岡県久留米市育ちの実力派女優で、2016年のフジテレビ月9ドラマ「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」でブレイクを果たしました。

父親は久留米市内で飲食店を経営しており、桜井さんも20〜23歳の間、帰郷して店を手伝っていたというエピソードが知られています。

この記事では、桜井ユキさんの実家の場所・家族構成・生い立ちについて、公開情報をもとに丁寧に整理します。

記事のポイント

①:大分生まれ、小学校入学から久留米市で育った

②:父は久留米で飲食店経営・桜井さんも手伝った

③:3歳からピアノ・日本舞踊・スケートなど多彩な習い事

④:高3でいちご姫GP受賞、23歳で再上京し女優へ

桜井ユキの実家は久留米市|父の飲食店と九重生まれ

  • 大分県九重町の概要と桜井ユキの幼少期
  • 福岡県久留米市の特徴と実家の所在地
  • 父親の飲食店経営と娘への影響
  • 母親の職業と教育熱心なエピソード
  • 姉と桜井ユキの家族構成・実家の雰囲気

大分県九重町の概要と桜井ユキの幼少期

桜井ユキさんが生まれたのは、大分県玖珠郡九重町(ここのえまち)です。

九重町は熊本県との県境に位置する人口約8,000人の小さな山間の町で、くじゅう連山の山麓に広がる豊かな自然環境で知られています。

九重町の基本情報とアクセス

九重町は大分県の内陸部、玖珠郡に属する町で、大分市からは車で約1時間半の距離にあります。

JR豊後中村駅は九重町の中心駅として知られており、日本に2駅しかない茅葺き屋根の駅舎のひとつとして観光客にも人気があります。

桜井さんの祖父母の家は豊後中村駅の近くにあり、幼少期に大分を訪れる際にはよく駅まで迎えに来てもらっていたそうです。

九重町は人口約8,000人という小さな町ですが、自然の観光スポットが豊富で、特に温泉や吊橋の目当てに年間多くの観光客が訪れます。

町内は顔見知りが多く、コミュニティの結束が強いのも特徴で、桜井さんのお母様の従兄弟が経営する和菓子屋さん「梅の家」も長く地元で愛されている名店です。

くじゅう連山と九重夢大吊橋の観光スポット

九重町を代表する観光スポットのひとつが、「九重”夢”大吊橋」です。

2006年10月30日に開業したこの大吊橋は、長さ390m・高さ173m・幅1.5mという巨大な構造物で、日本一の高さを誇る吊橋として知られています。

橋からは「日本の滝百選」にも選ばれた震動の滝・雄滝や雌滝、鳴子川渓谷の原生林、さらに遠くにはくじゅう連山(三俣山・涌蓋山など)を望む360度の絶景が広がります。

桜井ユキさんが幼少期に九重町に住んでいた頃はまだこの吊橋はありませんでしたが、2023年のテレビ番組「ANOTHER SKY」で故郷を訪れた際に初めて渡り、その景観に感動した様子を見せていました。

また、九重町には桜井さんが幼少期によく遊んだ「龍門の滝」もあります。

龍門の滝は松木川沿いの竜門寺境内にある滝で、1段目は高さ26m・幅40mの雄大な滝壺を持ち、2段目は安山岩の岩床を滑るように流れる約70mの滝です。

夏には子供たちが川遊びを楽しむ姿が見られ、桜井さんも幼い頃はこの滝の周辺で自然の中を思いきり走り回っていたそうです。

桜井ユキの生い立ちと祖父母との生活

桜井ユキさんは1987年2月10日に大分県九重町で生まれ、小学校に入学するまでの幼少期を祖父母の家で過ごしました。

豊かな自然の中で育ったため、虫を捕まえたりキャンプを楽しんだりと活発な幼少時代を送っており、今も大の自然好きとして知られています。

桜井さんにとって祖父母の存在は特別で、自然の中での遊びも、故郷の魅力も、すべて祖父母が教えてくれたと語っています。

しかし、桜井さんが高校生の頃、祖父母は相次いで他界しました。

女優として活躍する桜井さんの姿を見ることなく旅立ってしまったことは今も心に残っており、2023年の「ANOTHER SKY」で「大好きだった祖父母が残してくれた場所に帰ると、自然とネガティブな感情が消えていく」と語っていました。

祖父母への思いから、2021年には祖父母が遺した九重町の家で自身初の写真集の撮影を行い、祖父母への恩返しの気持ちを形にしています。

項目 内容
生年月日 1987年2月10日
2026年05月07日現在の年齢 39歳
出生地 大分県玖珠郡九重町
育ち 福岡県久留米市
事務所 スターダストプロモーション
特技 サクソフォーン、日本舞踊(藤間流)、アクション、一人旅

福岡県久留米市の特徴と実家の所在地

桜井ユキさんは小学校に入学するタイミングで、両親とともに福岡県久留米市へ引っ越しました。

それ以降、久留米市が桜井さんにとっての「育ちの地」「実家のある場所」となり、女優を目指して上京するまでの青春時代を過ごした街となります。

久留米市のプロフィールと地域特性

久留米市は福岡県南部に位置するシティで、人口は約30万人を誇り、福岡市・北九州市に次ぐ福岡県第3の都市として知られています。

市の中心部にはJR久留米駅と西鉄久留米駅の2つの主要駅があり、福岡市(博多)まで特急で約30分というアクセスの良さも魅力です。

久留米市は「とんこつラーメン発祥の地」として全国的に知られており、昭和13年(1938年)頃に現在の南京千両(久留米市内の屋台)でとんこつラーメンの原型が誕生したとされています。

また、「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」と呼ばれた江戸〜明治時代の発明家・田中久重の出身地でもあり、JR久留米駅前にはその功績をモデルにした「からくり太鼓時計」のモニュメントが設置されています。

ゴムタイヤメーカー「ブリヂストン」の創業地としても知られており、産業面でも存在感のある都市です。

久留米市の有名出身者と地元文化

久留米市からは多くの著名人が輩出されており、桜井ユキさんのほかにも様々な分野で活躍する人物が知られています。

音楽の世界では、フジファブリックのボーカル・志村正彦さんの「若者のすべて」に描かれた夏の情景が久留米的な風土と重なるとも言われています。

西鉄久留米駅の西口側には「ほとめき通り商店街」があり、桜井ユキさんが高校時代から20代前半にかけてよく足を運んでいた場所です。

ANOTHER SKYでの帰省時には、かつて商店街でバイトしていたお店を訪ねましたが、当時の面影はなく更地になっていたそうで、時の流れを感じさせるシーンとなっていました。

実家のある久留米での生活と桜井ユキの帰郷

桜井さんは19歳で初めて上京しましたが、東京の生活になかなか馴染めず、約1年後に久留米の実家に帰郷しています。

帰郷後の20〜23歳の間は、父親が経営する飲食店を手伝ったり、商店街のレストランバーでアルバイトをしたりと、久留米での生活を再開しました。

桜井さんはこの時期を「接客業を通じて人としての当たり前のことが身についた時期」と振り返っており、未熟な自分を本気で叱ってくれたオーナーには今でも感謝していると語っています。

久留米という街は、挫折した桜井さんをそっと受け止め、再起への力を蓄えてくれた大切な場所となっています。

父親の飲食店経営と桜井ユキへの影響

桜井ユキさんの父親は一般人のため、名前や詳細なプロフィールは公表されていません。

ただ、父親に関して判明していることとして、久留米市内で飲食店(居酒屋)を経営していたという事実があります。

父親のプロフィールと飲食店経営の実態

桜井さんの父親は福岡県久留米市内で飲食店を長年にわたって経営しており、その業種は居酒屋であるという情報が複数のメディアで伝えられています。

桜井さんが幼少期から久留米に引っ越してきた際、すでに父親は久留米市内で飲食業を営んでいたとみられており、地域に根ざした自営業者として家族を支えてきた人物です。

項目 内容
氏名 非公表
職業 飲食店(居酒屋)経営
店舗所在地 福岡県久留米市内(詳細非公表)
特記事項 桜井さんが20〜23歳の間、店を手伝っていた

なお、桜井さん自身はインタビューでも父親の店について詳しく語ったことはなく、あくまで「家族が経営する飲食店を手伝っていた」という形での言及にとどまっています。

店名や正確な場所については非公表のため、現在も特定はできていません。

父親のもとで手伝いをした時代と接客経験

桜井さんが20〜23歳の間、久留米の実家に戻って父親の飲食店を手伝っていたエピソードは、女優としての下積み時代を語るうえで欠かせません。

桜井さんはもともと人と話すのが苦手で、幼少期から引っ込み思案な一面があったと語っています。

そのため、あえて接客業を選んだのには理由があり、「人見知りを克服するための挑戦だった」と述べています。

父親の飲食店での経験は、それまで殻に閉じこもりがちだった桜井さんが「人と話すこと」「礼儀作法」「コミュニケーション」を学ぶ大切な期間となりました。

また、商店街のレストランバー「一番街(ほとめき通り商店街付近)」でも別途アルバイトをしており、そこで厳しく指導してくれたオーナーへの感謝は今も続いているといいます。

父親が娘の夢を後押しした経緯

桜井さんが9歳の頃から「女優になりたい」という夢を持っており、高校卒業後に上京したいと両親に伝えた際、父親は心配しながらも最終的に娘の夢を後押ししてくれたとのことです。

一般的に、女優という職業は収入や安定性の面で不安定なことも多く、特に親御さんからすれば心配が多い選択です。

それでも娘の意志を尊重した父親の姿は、桜井さんが自分の道を切り開く大きな支えになったといえるでしょう。

19歳での上京後、一度挫折して実家に戻り、飲食店を手伝いながら3年間を過ごした桜井さんを、父親がどんな気持ちで見守っていたかは想像するだけで胸が温かくなります。

母親の職業と教育熱心なエピソード

桜井ユキさんの母親についても一般の方であるため、詳細な情報は公開されていません。

母親に関しては「美容師や美容関連の仕事をしているのでは」という噂もありますが、公式な確認は取れていない状況です。

母親の職業に関する噂と実態

桜井ユキさんの実家には「父親が飲食店経営」「母親が美容関連の仕事」という情報が複数メディアで取り上げられています。

母親が美容師をしていたという噂や、美容院を経営しているという説もあり、父親の飲食店と合わせて「共働き家庭」であったことは確かなようです。

項目 内容
氏名 非公表
職業 美容関連(推定・詳細不明)
特記事項 教育熱心で多彩な習い事をさせた
桜井さんとの関係 適度な距離感を保つ良好な母娘関係

いずれも公式な発言による確認はなく、あくまで推測の範囲にとどまりますが、ご両親が共働きでしっかりとした家庭を築いていたことは、多彩な習い事からも伺えます。

教育に熱心だった両親の姿勢と習い事

桜井ユキさんの両親が特に際立っているのは、その教育熱心さです。

桜井さんはなんと3歳からピアノを習い始めており、その後も日本舞踊・書道・スケート・吹奏楽(サックス)と、多彩な習い事を経験してきました。

日本舞踊やスケートは道具や月謝などのコストが高く、経済的な余裕がある家庭でなければ複数の習い事を継続させることは難しいものです。

こうした多彩な体験を与えられた環境が、後に俳優として幅広い役柄を演じる桜井さんの芸の引き出しにつながっているといえます。

桜井さんの特技として「サクソフォーン、日本舞踊(藤間流)、アクション」が公式プロフィールに記載されているのも、幼少期からの積み重ねの賜物です。

母との距離感と「芝居できるんだね」エピソード

桜井さんとお母様の関係で印象的なのが、「適度な距離感を保つ母娘関係」です。

2022年1月のインタビューで、桜井さんはお母様が初めて自分の演技を見た際に「ユキちゃんって、お芝居できるんだね」と驚いた様子で話してくれたエピソードを披露しました。

女優として数多くの作品に出演してきた桜井さんですが、お母様はずっと過干渉にならず、娘の仕事をあまり追いかけてはいなかったようです。

当初は女優になることに反対していた両親も、今では桜井さんの活動を温かく見守っているとのことで、案外この距離感が桜井さんの自立した個性を育んだのかもしれません。

桜井さん自身も「この距離感がちょうど良い」と感じているとのことで、親子関係の絶妙なバランスが伝わってきます。

姉と桜井ユキの家族構成・実家の雰囲気

桜井ユキさんの家族構成は、父親・母親・姉・桜井さんの4人家族です。

姉は一般人であり、顔写真や名前などの詳細は公開されていませんが、既婚者として旦那さんとともに家庭を築いています。

家族構成表と姉のプロフィール

続柄 概要 備考
父親 飲食店(居酒屋)経営 久留米市内
母親 美容関連(推定) 詳細非公表
一般人・既婚 詳細非公表
桜井ユキ 女優 スターダストプロモーション所属

桜井さんの姉は芸能界とは無縁の一般人で、桜井さんの女優活動について特に詮索することはないというサッパリとした関係性が伝えられています。

姉も結婚後は実家を離れていますが、家族との良好な関係を保っているようです。

実家での家族の絆と帰省時のエピソード

桜井ユキさんは実家の家族との関係について、過干渉でも冷淡でもない「ちょうどよい距離感」が保たれていると語っています。

実家に帰省した際には、姉夫婦や両親、親戚が集まってバーベキューを楽しむという温かいエピソードも伝えられており、家族の絆の強さが伺えます。

また、桜井さんが実家に帰省する際には、大分の祖父母の墓参りも欠かさないとのことで、両親のほか、九重町に眠る祖父母への想いも継続しています。

女優という派手な職業に就きながらも、桜井さんの素顔は家族を大切にするごく普通の女性であることが、こうしたエピソードから伝わってきます。

サッパリとした姉妹関係の背景

桜井さんと姉のサッパリとした関係性について、桜井さん自身は「親の影響が大きいのかもしれない」と語っています。

両親自身が子供の自立を尊重する姿勢を持っており、お互いの生活に必要以上に干渉しないスタンスで家庭を築いてきたようです。

その影響もあってか、姉妹間でも相手の生き方を尊重しながら、適切な距離感でつながっている様子が伝わってきます。

こうした家庭環境が、桜井ユキさんのミステリアスで独立心旺盛な個性を育てたといえるかもしれません。

桜井ユキさんが芸能界で成功を収めた後も、実家は久留米市に根ざしており、帰省のたびに父の飲食店や姉夫婦と顔を合わせる機会があると伝えられています。

久留米育ちの温かい家庭環境が、桜井さんの「ありのままの自分に戻れる場所」として今でも機能しています。

桜井ユキの実家と生い立ちを久留米から振り返る

  • 幼少期の多彩な習い事と九重町の記憶
  • 学歴・久留米の高校と吹奏楽部の青春
  • いちご姫グランプリと上京への夢
  • 実家の経済力と金持ちかどうかの検証
  • ANOTHER SKY帰省と故郷・大分への思い

幼少期の多彩な習い事と九重町の記憶

桜井ユキさんの幼少期は、大自然の中で活発に遊びながら、多彩な習い事にも取り組んだ充実した時代でした。

九重町で育った幼少期と、小学校から久留米市で過ごした時代が組み合わさり、桜井さんの豊かな感性と多彩なスキルの土台が形成されていきます。

3歳からのピアノと藤間流日本舞踊

桜井ユキさんが最初に始めた習い事は、3歳からのピアノです。

3歳でピアノを始めるというのは早い部類であり、両親の教育への積極的な姿勢が早くも表れています。

その後、日本舞踊(藤間流)も習い始めており、こちらは現在もスターダストプロモーションの公式プロフィールに特技として掲載されているほど、桜井さんが長く続けた習い事のひとつです。

日本舞踊は礼儀作法や所作の美しさを身につけるうえで、女優としてのベースになっているとも言われており、桜井さんの演技のなかにある品の良さや独特の身のこなしに影響しているかもしれません。

書道・スケートと、習い事の種類は多岐にわたっており、両親がさまざまな分野の体験を与えようとしていたことが伝わります。

小学校時代の合唱団と女優への夢

桜井ユキさんは音楽が大好きで、小学校時代には学校の合唱団にも参加していました。

そして、この頃に女優になるという夢を抱き始めており、小学校3年生の時点で「女優になりたい」という強い思いを持っていたとのことです。

その夢は卒業文集にも「女優になる」と記されるほど明確なもので、単なる子供の夢ではなく本気の志だったことが伺えます。

中学校では吹奏楽部に入部してサックスを担当するようになり、ピアノのレッスンと並行して音楽への情熱を深めていきました。

多彩な習い事と音楽への没頭という幼少期の経験が、後の桜井ユキさんのアーティスティックな感性の根底を作っていたといえます。

習い事の経済的背景と実家の環境

ピアノ・日本舞踊・書道・スケート・吹奏楽と、これだけ多彩な習い事を子供に体験させるためには、相当な経済的余裕が必要です。

日本舞踊は月謝のほかに着物や道具の費用がかかり、スケートも用具や練習場の費用が見込まれます。

こうした複数の習い事を長期にわたって続けさせてくれた両親の経済力と教育熱心さは、桜井ユキさんが今の多才な表現者になるための重要な土台を作ったといえるでしょう。

「家が裕福だったのか」という観点では、習い事の数と種類を見るだけで、ある程度の経済的余裕があったことはほぼ間違いないと推測できます。

学歴・久留米の高校と吹奏楽部の青春

桜井ユキさんの学歴については、高校については「福岡県立久留米筑水高校(推定)」とされています。

ただし、高校名については桜井さん自身が公式に発表したわけではなく、複数のメディアによる推定情報であることをあらかじめお断りしておきます。

中学時代と吹奏楽部でのサックス

桜井ユキさんは中学校で吹奏楽部に入部し、サックスを担当して音楽に熱中した青春時代を送りました。

サックスは肺活量と口の形のコントロールが重要な楽器で、幼少期からのピアノ経験が音感の土台を作っていたことが、サックスへの吸収力にも影響していたと思われます。

中学時代は吹奏楽に打ち込む一方、ピアノのレッスンも並行して続けており、音楽への情熱が学業と部活の両面で発揮されていた時期です。

学校段階 所在地 特記事項
小学校 福岡県久留米市 合唱団参加・女優を目指す決意
中学校 福岡県久留米市 吹奏楽部(サックス)・ピアノ継続
高校 福岡県立久留米筑水高校(推定) 吹奏楽部・ジャズ演奏・いちご姫グランプリ
大学 進学せず 19歳で上京・女優を目指す

中学時代を「暗黒期」と桜井さんが振り返ることもあるように、人と話すのが苦手だったため、部活動に熱中することで自分の居場所を作っていたのかもしれません。

久留米筑水高校とジャズ演奏

高校に進学してからも吹奏楽部でサックスを続けた桜井ユキさんですが、部活動以外でもジャズの演奏を楽しむようになったのが高校時代の大きな変化です。

ジャズは即興演奏の要素が強く、自分の感性を直接音に乗せて表現するジャンルです。

後に女優として「役のキャラクターと自身のパーソナリティを近づけていく手法」を取ると語っている桜井さんにとって、ジャズ的な即興性・感性の表現は芸術的なベースになっていたかもしれません。

高校生活は最初あまり楽しいと感じていませんでしたが、徐々に慣れてきて友人と福岡市内に遊びに行くことが楽しみになっていったとのことです。

学校以外でのアルバイト経験

桜井ユキさんは高校時代から積極的にアルバイトを経験しており、久留米市内のスーパーマーケットでレジ打ちのアルバイトをしたことが知られています。

また、商店街のレストランバーでも働いており、早い段階から接客業のスキルを磨いていました。

これらのアルバイト経験は、もともと人と話すのが苦手だった桜井さんが少しずつ社会性を身につけていく過程でもあり、後の女優活動における「人間観察力」の育成にもつながったと考えられます。

高校卒業後は大学には進まず、そのまま19歳で上京して女優を目指す道を選んだ桜井さんにとって、久留米での高校時代のアルバイト経験は数少ない社会経験のひとつとして重要でした。

いちご姫グランプリと女優への夢

桜井ユキさんにとって、女優への夢を本格的に実現するきっかけとなったのが、高校3年生のときに出場した「いちご姫」グランプリです。

このミスコンへの参加と受賞が、東京の芸能事務所とのつながりを生み、桜井さんの芸能界への扉を開く重要な転機となりました。

いちご姫グランプリとはどんなコンテストか

「いちご姫」は福岡県・佐賀県の女子高校生を対象としたミスコンテストで、九州地方の女子高生にとっては知名度のある登竜門的な大会です。

グランプリを受賞すると、雑誌への掲載機会や芸能事務所からのスカウトにつながることもあり、地元から芸能界を目指す若者にとっての重要なステップとなっています。

桜井ユキさんはこの「いちご姫」グランプリを高校3年時に受賞しており、そのことで雑誌にも掲載され、東京の芸能事務所から面接の誘いを受けるに至りました。

なお、「いちご姫」のグランプリは女優の田中麗奈さんも高校時代に受賞しており、田中さんはそのまま芸能界デビューを果たしています。

グランプリ受賞後の経緯と上京の実現

いちご姫グランプリを受賞した桜井ユキさんでしたが、東京の芸能事務所から面接の誘いが来た際、両親は「高校卒業までは我慢するように」と伝えました。

そのため、高校3年の段階では上京して面接に行くことを断念しましたが、桜井さんの「女優になりたい」という気持ちは変わりませんでした。

高校を卒業した後、大学には進学せず、19歳で上京して女優を目指す道を選びます。

しかし東京の生活になかなか馴染めず、「帆足友紀」という名前でグラビアアイドルとしての活動もしながらも、約1年後に再び久留米の実家に戻ることになります。

23歳の再上京と俳優私塾での修行

久留米に戻って3年間、実家の飲食店を手伝いながら過ごした桜井さんのもとに、23歳のとき、10代の頃にスカウトしてくれた芸能事務所「area」のマネージャーから再び声がかかりました。

「これが最後のチャンスだ」と感じた桜井さんは、再び上京することを決意します。

「area」に所属できたものの、当時の桜井さんは「演技力が壊滅的」と言われ、オーディションの機会すら得られない状況でした。

そこで、舞台演出家・石丸さち子さんが主宰する「俳優私塾POLYPHONIC」で毎日稽古に励み、発声・演技指導・基本的なトレーニングに取り組んでいきます。

石丸さち子さんは日本を代表する演出家・蜷川幸雄さんのもとで経験を積んだ実力者であり、その指導のもとで桜井さんの才能は開花していきました。

桜井さんが石丸さんから言われた「そんな嘘臭い芝居、誰も見ないんだよ」という言葉は、以来ずっと彼女の演技の指針になっているとのことです。

実家の経済力と金持ちかどうかの検証

桜井ユキさんの実家は「金持ちなのか」という点について、習い事や家庭環境から検証してみます。

結論としては、ごく裕福とは言いきれないが、中流より上の生活水準であった可能性が高いと考えられます。

習い事の種類と費用から推測する経済力

桜井ユキさんが幼少期から経験した習い事は、ピアノ・日本舞踊・書道・スケート・吹奏楽と多岐にわたります。

複数の習い事を同時並行で継続するためには、月謝・道具代・交通費など合計すると相当な出費が伴います。

習い事 開始時期 費用の目安
ピアノ 3歳〜 月謝+楽器代(中程度)
日本舞踊(藤間流) 幼少期〜 月謝+着物・道具(高め)
書道 小学校〜 月謝+道具(低〜中程度)
スケート 小学校〜 リンク代+スケート靴(中程度)
吹奏楽(サックス) 中学〜 楽器代(高め)+部活費

特に日本舞踊は着物や舞台衣装など出費が大きく、長く続けるほど費用がかさむ習い事です。

これだけの習い事を継続できたことは、両親の経済的な安定を示す明確な証拠といえます。

飲食店経営者としての収入と生活水準

父親が久留米市内で飲食店を経営しており、母親も美容関連の仕事をしていたとすれば、共働き家庭として安定した収入があったと推測できます。

飲食業は景気の影響を受けやすいビジネスですが、長年にわたって店を続けられていること自体、地域に根ざした安定した経営をされていた証拠でもあります。

ただし、「豪邸」「超富裕層」という印象はなく、あくまで「共働きでしっかり稼ぐ、教育熱心な中流上位の家庭」というイメージが適切でしょう。

金持ち疑惑の結論

桜井ユキさんの実家が「金持ちかどうか」という問いに対する結論は、「裕福な家庭ではあったが、いわゆる大富豪ではない」というものです。

父親の飲食店経営と母親の美容関連の仕事による共働きで、子供に多彩な習い事を与えられる程度の経済力があったことは事実です。

「金持ち」という言葉のイメージに当てはまるかどうかは見る人の基準によりますが、少なくとも経済的に不自由なく育ち、必要な教育投資を惜しまなかった家庭だったことは間違いありません。

このような家庭環境が、桜井ユキさんの豊かな表現力と多彩な才能の素地を作ったといえるでしょう。

いずれにせよ、桜井ユキさんが女優として成長する上で、実家の安定した経済基盤と両親の教育への投資は大きな意味を持っていました。

久留米市という都市の生活水準と実家の家庭環境を総合すると、「裕福ではあるが派手ではない、堅実な家庭」というイメージが浮かびます。

ANOTHER SKY帰省と故郷・大分への思い

2023年9月15日(金)の日本テレビ系「ANOTHER SKY(アナザースカイ)」に、桜井ユキさんがゲスト出演しました。

この放送では、桜井さんが青春の地・久留米と生まれ故郷の大分を旅する様子が放送され、実家や故郷について多くのことが語られました。

久留米での帰省ルートと懐かしの場所

ANOTHER SKYでは、まず福岡県久留米市の西鉄久留米駅から「ほとめき通り商店街」へと向かいました。

桜井さんが20代前半に働いていたレストランバーがあった場所を訪れましたが、当時の面影はなく、更地になっていたことで時の流れを感じた様子でした。

その後、高校の同級生と待ち合わせて、久留米市東町25-25にある「フレーバー(FLAVOR)」でスパイスカレーを味わいました。

和食の技法でうまみを引き出したスパイスカレーが人気のこのレストランは、元和食料理人が営む隠れ家的なお店で、スパイスカレー好きの桜井さんも大満足だったとのことです。

JR久留米駅から大分・豊後中村駅へ

久留米での思い出を振り返った後、桜井さんはJR久留米駅から久大本線に乗り、生まれ故郷の大分県・豊後中村駅へと向かいました。

豊後中村駅は九重町の中心駅であり、幼少期には祖父母がよく迎えに来てくれた思い出の駅です。

桜井さんが生まれ育った祖父母の家の近くには「龍門の滝」があり、番組では20年ぶりに滝を訪れた桜井さんの姿が映し出されました。

幼少期に自然の中で無邪気に遊んだ記憶が残る場所を再訪した桜井さんの表情は、女優としての仮面を脱いだ素顔の温かさを感じさせるものでした。

祖父母の家と帰郷でネガティブが消える理由

番組のなかで桜井ユキさんは、祖父母が遺してくれた大分の家について、こう語っています。

「大分に帰ると自然とネガティブな感情が消えていく。見失ったら帰ってこよう、ありのままの自分に戻れる、故郷に。」

高校時代に祖父母が他界しており、女優として活躍する姿を見てもらえなかったことは今も心残りとして残っているそうです。

それでも毎年のように大分を訪れ、祖父母の墓参りを欠かさないという桜井さんの姿には、深い家族愛と故郷への帰属感が感じられます。

2021年には祖父母が遺した家で自身初の写真集を撮影しており、「祖父母に恩返しという訳ではないが、自分も何かを形に残したい」という想いが込められていたといいます。

久留米の実家も大分の祖父母の家も、桜井ユキさんという女優の核心にある「ありのままの自分に戻れる場所」として、これからも変わらず存在し続けることでしょう。

桜井ユキの実家と久留米・九重生まれの生い立ち総まとめ

  • 桜井ユキは1987年2月10日生まれ、大分県九重町出身・福岡県久留米市育ち
  • 大分県九重町は人口約8,000人の山間の町で、くじゅう連山の自然豊かな環境
  • 九重夢大吊橋(高さ173m)や龍門の滝など、自然の観光スポットが豊富な地域
  • 小学校入学を機に福岡県久留米市へ両親とともに移住した
  • 久留米市はとんこつラーメン発祥の地であり、人口約30万人の福岡第3の都市
  • 父親は久留米市内で飲食店(居酒屋)を経営しており、家族を支えてきた
  • 母親は美容関連の仕事をしていた可能性があるが詳細は非公表
  • 姉が1人おり、既婚・一般人として家庭を築いている4人家族
  • 幼少期からピアノ・日本舞踊・書道・スケート・サックスと多彩な習い事を経験
  • 高校3年時にいちご姫グランプリを受賞(田中麗奈も同賞受賞経験あり)
  • 19歳で上京→挫折→20〜23歳は実家で手伝い→23歳で再上京して俳優の道へ
  • 石丸さち子の俳優私塾POLYPHONICで基礎から学び、2011年に女優デビュー
  • 2016年フジテレビ月9「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」でブレイク
  • 2023年ANOTHER SKYで久留米と大分を旅し、祖父母の家への思いを語った
  • 実家の経済力は中流上位と推測され、多彩な習い事が桜井さんの表現の幅を育てた

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